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第四章 静かな決意

伊沢美紀は、その夜からずっと、自分の中で何かが静かに動き出しているのを感じていた。


自分の「女としての姿」を、誰にも見られず、誰にも邪魔されずに見つめてみたい。

そんな衝動が、胸の奥でふいに芽生えた。


娘を寝かしつけ、夫の寝息が聞こえるのを確かめてから、美紀はそっと寝室を抜け出す。

向かったのは、明かりを落としたままの小さな部屋。ほのかに灯る常夜灯の下に、全身が映る大きな鏡が置かれている。


その夜、美紀が身に着けていたのは、柔らかな長袖のカットソーと、綿のスウェットパンツ。

何の変哲もない、ごく普通のルームウェアだ。だが、肌に馴染んだその布を脱ぐたびに、体温が直接空気に触れるのを感じ、指先にわずかな緊張が走った。


カットソーの裾に手をかけ、ゆっくりと頭上にたぐり上げる。

鏡の端に、肩のラインと鎖骨が現れていくのがちらりと映る。


次に、スウェットの腰をつかみ、ためらいなく下ろす。

現れたのは、ベージュ色の実用的な下着。ブラジャーもパンティも、ほんのわずかなレースとリボンがあしらわれているだけの、控えめなものだ。

その布地には、育児と家事に追われた日々の気配が、淡く染みついている。

わずかなレースや小さな飾りも、その時間の重みの中に、静かに溶け込んでいた。


美紀は静かに鏡の前に立ち、自分の姿をまっすぐに見つめた。

想像していたよりも、輪郭は柔らかく、肌には年月の影がはっきりと刻まれている。


ひとつ息を吐き、背中のホックに指を回す。

外す瞬間、鏡越しに目が合い、ほんの一瞬だけためらったが――それでも、手を止めることはなかった。


最後の一枚を脱ぎ去ると、そこには何もまとっていない自分が立っていた。

肩、胸、腹、腰、脚、そして脚の奥に茂る陰毛まで――

それはもう若さの象徴ではない。けれど、間違いなく“生きてきた身体”だった。


「……こんなに、変わってしまったんだ」


切れ長の黒目が、鏡の中の自分をじっと追う。


胸は、脂肪がついたぶん若干大きく見えたが、かつての張りは失われている。

出産を経た腹は、過食の影響もあって丸く膨らみ、かつてのすらりとした面影は薄れていた。

腰から尻にかけては、重みとともに、女らしい丸みがはっきりと浮かんでいた。


美紀はそっと、二の腕や胸、腰まわりの肉を自分の指でつまみ、感触を確かめる。

たるみは感じるものの、肌にはまだ、かすかな柔らかさと艶が残っていた。


(こんな体になってたんだ……)


鏡に映る姿に、美紀は思わず目を逸らしたくなった――

負けず嫌いな自分にとって、変わりゆく体はやはり受け入れづらかった。


結婚する前は、それなりに多くの男性に言い寄られ、自分の容姿にも強い自信を持っていた。

けれど、年月と共に変わってしまったこの体型では、そんな過去もすでに遠いものに感じられる。


自分で自分に敗北を突きつけられたような気がして、胸の奥にじわりと苦いものが広がっていった。

まるで、心の奥底に封じていた何かが静かに顔を出したようだった。


――夫には、この身体を見られることはある。だが、それは生活の延長線上にある「作業」でしかなかった。

性的なまなざしとは、まるで別のもの。見られることに、もはや意味などなかった。


そのとき、美紀はふいに、背中に誰かの視線を感じた気がした。


肌に触れていないのに、首筋の産毛がそっと逆立つ。

ずっと忘れていた、“見られる”という意識――それが、微かな衝動となって身体の奥でくすぶり始めた。


その視線の持ち主を思い浮かべると、なぜか心がざわつく。

あの優しい眼差し。あたたかな声――


「……もしかして、私……早田さんのことを……」


かすかな呟きを漏らした美紀は、鏡の中の自分をまっすぐに見つめ直しながら、そっと茂みに手を伸ばした。

指先に触れたその奥は、すでに熱を帯び、しっとりと潤んでいた――


「わたし、変わりたい。今のままじゃ、何も始まらない……」


ゆっくりと深く息を吸い込み、鏡の前で彼女は小さく頷いた。

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