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目覚め


 レオナールが目を覚ました場所は、ランバートの屋敷に併設された寺院だった。


 微かに漂う薬草の香り。

 白い天井。整えられた寝台。採掘場とはまるで違う静けさだった。


「……目が覚めましたね」


 枕元に座っていた少女が、静かに声をかけた。

 アクアだった。

 その声は穏やかだったが、どこか遠くのものを見るような冷静さがあった。


「あなたは……」


「動かないでください。かなり消耗しています。無理に動けば、また倒れます」


 アクアはそう言って立ち上がる。


「ランバート様を呼んできます」


 扉が音もなく閉じた。


 レオナールは動かないまま、自分の腕を見た。


 そこには、枷がついていた。

 術具はない。

 当然だ。奴隷になったのだから。


 それでも、生きている。


 妹は、まだ探せる。


 そこまで考えた時、胸の奥が妙に軽いことに気がついた。身体から力が抜けているのに、手足は鉛のように重い。指先まで、自分のものではないような感覚があった。


 その違和感と一緒に、ふと術具のことを思い出す。

 妹とお揃いだった、あの術具。

 なぜかいつも、スコアのような意味のわからない数字を表示していた。

 今は、何もない。


 不安だった。

 あれがなくて、こんなに不安になるなんて、思ってもみなかった。


 やがて、扉が開いた。


 ランバートだった。

 後ろにはアクア。彼女は無言で飲み物を運び始める。

 何も特別なことではない。いつものように。


 ランバートは向かいに腰を下ろした。


 柔らかそうな茶色の髪をしている。だが、その前髪の下にある目は少しも柔らかくない。濃紺の外套、黒い革手袋、肘掛けに預けられた腕。その全部が整っているのに、飾りのためではなく、過不足なくそこにあるという印象だった。


 アクアが差し出したカップを当然のように受け取り、ひとくち飲む。


「状況はわかっているか?」


 低い声だった。

 横柄ではある。だが、そこに相手を貶めようとする含みは感じられない。前置きを省いているだけの声だった。


 レオナールは息を整える。


「……私が、あなたに拾われたのだと」


 ランバートは一度だけアクアを見た。

 アクアは小さく首を横に振る。


 説明はしていない。

 そう理解したのだろう。ランバートはすぐに視線を戻した。


「私はヴェルンシュタインを統括しているランバートだ。あの採掘場も私の管轄になる」


 ヴェルンシュタイン。


 その名に、レオナールははっと顔を上げた。

 知らないはずがない。瞳芯結晶に関わる家に生まれた者なら、その手の話は嫌でも耳に入る。自分の──いや、かつての旧領もまた、瞳芯結晶の産出に支えられた土地だった。鉱脈自体は国有地扱いで、採掘権は王家に属していたが、その保証によって領地は潤い、奴隷に頼らずに市民の労働と技術で回っていた。


 ヴェルンシュタインもまた、古い鉱山を抱える家だ。

 だが、特徴は鉱山そのものより家系にある。術具の心臓部たる魔核を生み出す核化収束。その技術の系譜に連なる特別な家筋――少なくとも、レオナールの知る限りではそうだった。


 だから、相手の格はわかる。


 だが、それがわかるからこそ腑に落ちない。


 なぜ、どこの馬の骨ともわからなくなった今の自分が、この領主の前にいるのか。


 その疑問が頭の奥に引っかかったまま、ランバートは次の問いを投げた。


「あの少年を知っているか」


「……少年?」


「君が昏倒したところまでは覚えているな?」


「……はい」


「見張りに状況を聞いた。だが、よく分かっていなかった。そばにいた少年が説明してくれた」


 ランバートはカップを置く。


「君が魔法を使って、坑道入口の崩落を抑えていたことをな」


 レオナールは目を見開いた。


 あの場に、この領主がいた?


 自分がここにいる理由も、その事実とどこかで繋がっていそうなのに、まだうまく繋がらない。違和感を口にできないまま、ランバートの言葉は続いた。


「あの規模の崩落を止めるのは無理だ。術具の魔力量では到底足りない。君は足りない分を補った」


 そこで一度だけ、言葉を切る。


「倒れた理由は明白だ──魔力枯渇だ」


 そんなはずはない、と言いたかった。

 けれど、完全には否定できない。あの時、自分は確かに何かをしていた。


「君は……リチャージを知っているか?」


 レオナールは回らない頭でその言葉を反芻した。

 たしか、父の書庫で、その魔術回路についての記載を見たことがある。


「……知識としてはあります。でも、読んだことがあるだけです。というか、使ったことはありません」


「だが、使った」


 違う、とは言えなかった。

 明らかに、あの場面はそれでしか説明できない。


「多分……そう、だったのだと思います」


 ランバートの視線が、レオナールの腕の枷へ落ちた。


「その枷をつけたまま術具は使えない。明確な奴隷の印だ。市民ではない者に、術具の所持も、魔術の行使も許されない。それがどういうことか、君にはわかるかね」


「術具なしに魔法を使うなんて、あり得ません」


 思わず言い返していた。


「そんなことができるとしたら、本物の魔法使いだけです。わたしにも何が起きたのか、わかりません」


「自覚はないのか」


「……?」


 ランバートは、まるで既知の事実でも告げるように言った。


「君は本物の魔法使いだ」


 しばらく、声が出なかった。


 本物。

 術具に頼らず魔法を行使する者。教本の端にしか出てこない、時代遅れの比喩か、伝承の中の存在。


「その場で君を買ったよ。君のことを見ていた少年も、ついでにな。あの場で状況を正確に把握していたのは私とあの少年だけだ。……正確には、あと一人いた気もするが、まあいい」


 アクアがランバートのカップを下げる。


 レオナールは妙な気分になった。目の前の男は、どん底まで落ちた自分の人生をひっくり返すような話をしている。なのに、恩を売るでもなく、脅すでもなく、ただ必要な事実だけを置いてくる。


「というわけで、君は私の奴隷だ。君の氏も名も、もう系譜からは削除されているだろう。名前については追ってつける。今は名無しだ。いいね」


 いいね、と言われても、反論の余地があるようには聞こえなかった。


「話は以上だ」


 ランバートが立ちかけたところで、レオナールは口を開いた。


「……ひとつ、よろしいですか」


 ランバートは動きを止める。


「何だ」


「あの採掘場は、いまは普通の資源石しか採れないはずです。それでも、あなたがあの場にいた。……何故です?」


 ランバートの目が、わずかに細くなる。


「……なぜ、領主であるあなたが、あの場に?」


 言ってから、踏み込みすぎたかと思った。


 だがランバートは怒りもしない。ただ、視線だけをこちらへ戻して、ふっと口元を緩めた。


「同感だ」


 それで終わりだった。

 否定でも、答えでもない。


「──ともあれ、奴隷である以上、本来ならすぐに配置を決めるところだが、まだ体が動かないだろう。しばらくは静養が必要だな」


 わずかに口元を動かす。


「君は“本物”だから、こうして直々に私が君の処遇とやらを申し渡した。くれぐれも、自身の価値をわきまえて行動するように」


扉が叩かれたのは、その直後だった。


「アクアさん! 来てください! 怪我人が……!」


 外から焦った声が飛び込んでくる。

 アクアがすぐに振り向いた。


「ランバート様」


「行ってやれ」


 ランバートは、考える間もなくそう言った。

 アクアは一礼し、そのまま音もなく部屋を出ていく。


 入れ替わるように、別の女が入ってきた。

 探索奴隷だ、とレオナールはすぐにわかった。動きやすい服。擦れた靴。けれど、入室すると同時に、彼女はまっすぐランバートの前へ進み、膝をつく。


「旦那様」


 呼び方に、レオナールはわずかに目を細めた。

 女は息を整え、それから口を開く。


「素材回収の探索中、罠が発動しました。隊は散り散りです」


 その声音は落ち着こうとしていたが、焦りを隠しきれていない。


「ハールは……囮になって、一人で遺跡に残りました」


 ランバートは何も言わなかった。


 だが、彼女はその沈黙を責めとは受け取らないらしい。むしろ、そこへ自分の言葉を押し込むように続けた。


「いなければ、全滅でした。旦那様が許してくださるなら、もう一度隊を組み直して、あの子を助けに行きたいです。私が指揮を執ります」


 レオナールは、そこで初めて「ハール」という名を意識した。

 あの少年のことだろうか。

 採掘場で、見張りでも奴隷でもない目をしていた、あの黒髪の少年。


 ランバートは探索奴隷の女から視線を外し、今度はレオナールを見た。


「お前。探知魔法は使えるか?」


「……探知、魔法?」


 問いの意味を理解するより先に、本が膝へ落ちてきた。

 重い音がして、レオナールは反射的にそれを受け止める。


「覚えろ」


 あまりにも短い。


 レオナールは、本とランバートの顔を見比べた。


「……冗談、ですよね」


「何がだ」


「さっき、静養が必要だって言ってませんでしたか?」


「言ったな」


「なら――」


「アクアは回復が使える」


 それだけで話は済んだと言わんばかりだった。


 レオナールは、しばらく口を開いたまま固まった。

 回復をかけるから動け、という話なのか。

 そんな乱暴な理屈があるのか。

 いや、目の前の男は本気でそれを成立させる気でいる。


「お前は探索奴隷だ」


 ランバートの声は低いままだった。


「役に立たなければ、それまでだ」


 その言葉は脅しのようでいて、妙に平坦だった。

 脅して従わせたいのではない。ただ、本当にそういう枠組みで世界を見ているのだとわかる言い方だった。


 レオナールは呆然とした。


「いきなり実践とか、使ったこともない魔法を使えとか、そもそも僕は――」


 そこまで言って、自分で息を呑む。


 今、自分は「私」ではなく「僕」と言った。


 ランバートは、その綻びに気づいているはずなのに、わざわざそこをつつかなかった。ただ小さく息をつく。


「研究生か。未経験なら仕方ない。わかった」


 そこでわずかに体を引いた。


「私が教える」


「一晩で?」


「そうだ」


「……なら、あなたが行けばいいじゃないですか!」


 思わず声が上ずった。

 言ってから遅れて、自分の口調が崩れていることに気づく。


 だがランバートは平然としていた。


「何のための探索奴隷だと思っている」


 女が、ごくわずかに身じろぎした。

 部屋の空気が冷える。


 だが、その時だった。


「兄さん――」


 探索奴隷の女が、低く言った。


 最初、レオナールはそれが自分に向けられた言葉だと理解できなかった。


「兄さん、お願いします。あの子を……助けて」


 その一言で、何かが弾けた。


 兄さん。


 抗えない、と思った。

 理屈ではない。もっと古い、もっと深いところで、それは呼び声だった。


 妹の声に似ていたわけではない。

 だが、それで十分だった。


 レオナールは立ち上がっていた。

 自分でも驚くほど早く。


「――やりましょう!!」


 誰よりも先に声が出ていた。

 膝の上の本を掴みしめたまま、胸の奥が熱くなる。


「助けます! それは当然です!」


 言ってから、部屋が静まり返っていることに気づく。


 探索奴隷の女は、ぽかんとしていた。

 何が起きたのか本気でわからない、という顔だった。頼んだのは自分なのに、その返り方は想定外だったらしい。ほんの少し、引いている。


 ランバートは、その勢いを見ていた。


 しばらく何も言わない。

 ただ、ほんのわずかに目を細める。


 それから、喉の奥で短く笑いを漏らした。


「……ふ」


 大きく笑ったわけではない。

 だが、面白がったのだとわかるには十分だった。


「……あいつが放っておかないわけだ」


 誰に向けた言葉なのか、レオナールにはわからなかった。

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