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◆妹


床には一冊の絵本が開かれていた。

挿絵の上に兵隊の人形が寝転んでいた。


散らかっているのはそれと沢山の人形だけで、本はきちんと数冊ずつに分けられて机の上に重ねられていた。その角が丸みを帯びているのが見て取れる。


くま、うさぎ、リボンをつけたレディ。他にも様々なぬいぐるみや人形が部屋のあちこちに置かれている。

名を呼ばれるたびに役割を与えられ、乳母や馭者や料理長として小さな声で動き出す。

少女は声を変えながら、人形たちとの会話を続けている。


「くまさんは待っているのよ。窓の外をあの子が通るのを。あの子はとても可愛いいの。見ているだけで幸せなの。優しいくまさんよ。」

「レディさんは針を落としたの。無くしものは他にもある。お母さんからのお手紙。ずっと探してるの。早く見つかるといいね。」

「うさぎさんは馬車を待っているの。優しいお馬さんが元気に帰ってきてほしいから。」

仲良く並んでいる人形があれば、一つだけで置かれた人形もある。

けれど、抱いている人形は一つだった。小さな布の人形。

それを胸に、彼女はふと囁いた。

「……あの子はあなたのために頑張っているから、応援してあげましょうね」


扉が開き、両親が入ってくる。

母は娘の頭を軽く撫で、父は柔らかなソファに腰を下ろした。


仲睦まじい夫婦の姿。


「……あの頃はまだ小さかったな」

「ええ、あなたが私にプロポーズしてくれた時だったわね。最初に見た時は女の子かと思ったわ。」

「ふふ、そうだったな。あの子も大きくなった。」


懐かしむような笑い声が交わされる。


その脇でぴたりと少女が動きを止めた。

少女は布の人形を抱いたまま、ゆっくりと顔を上げ、両親を呆然と見つめる。


けれどその視線に両親は気がつくことはなかった。




◆レオナール


私は初めて飛空艇に乗った。

窓の外に広がる景色は、思っていた以上に静かだった。遠く下に広がるサーランド市内。どこかで見たことのある街並みも、今は掌に載せたように小さい。

隣に座る小さな妹が、人形を抱く手を離すと、その指を伸ばした。

「見て、お兄様。学校よ」

私は耳にかけていた髪から手を離し、妹の指差す方を見下ろした。確かにそれは、二人の通う学院だった。屋根の形、塔の位置。見覚えのある光景。

今は授業中だろうか。

「本当だね」

自然と、そう返していた。

妹と二人並んで眺める初めての空の景色は、それだけで特別だった。何かを語る必要もなかった。ただ並んで、見ているだけでいい。この時間が、続けばいいとさえ思った。

飛空艇から降りると、両親が待っていた。

「新しい飛空艇はどうだった?」

「とても素晴らしかったです。私なんかが乗ってしまってよかったのでしょうか。お父様の方がふさわしかったのに」

父は笑って、私の頭を撫でた。

「めったに乗れるものではないからな。お前たちに良い経験をさせてやりたかったのだ。楽しかったのなら良かった。帰ったら話を聞かせてくれ」

「どんなものが見えたの?私にも話して聞かせてね」

母の穏やかな声に、妹が頷いていた。

飛空艇に乗れたのは、新造の記念式典に尽力した家門への褒賞だった。めったにないことだった。

翌日、学院ではその話題で持ちきりだった。

広い空を静かに進む飛空艇は、国の権威を示すため、美しく作られている。昨日、私と妹がその中にいたことは──夢のようだった。

「いいなぁ」「どうだった?」「どんな風だった?」

問いかけられるまま、父と母に話したのと同じ話を、学友たちに繰り返した。窓から見た街のこと。静かなエンジン音。調度品の話。窓の外を鳥が並走していたことも。

皆が羨ましがってくれるのが、少し不思議だった。ただ、妹と並んで眺めた景色が、私にとっては一番の記憶だったから。

──視界の隅に、遠くからこちらを見ていた学生の姿があった。

目が合った瞬間、その学生は顔を背けた。何か言いたげだったのか。それとも……こちらが偉そうに見えたのだろうか。

そんなつもりはなかった。

けれど、妹の指先が差したあの空を思い出すと、それだけで胸が温かくなった。

あれは、私にとっての幸福だった。


◆ミレイナ


「わたしは冒険者になる」

ミレイナは今日とうとうギルドに登録してきた。後は卒業証書を提示すれば本登録にこぎ着ける。

学生をやりながらバイトして、親に内緒で補償金を全額支払った。これがなければ無名の新米は先輩の指導がもらえない。

「よし。よぉっし!!」

ミレイナは真新しい仮免を手にガッツポーズをとった。

その時、教室の空気が変わった。

あ。あの人だ。

ミレイナは振り返る。

レオナール・エルド・サーヴァント。

その少年は、どこか近寄りがたい雰囲気を纏っていた。目立とうとしているわけじゃないのに、自然と視線を集めてしまう人。学院の中でも”特別”な存在だった。

ミレイナもそんな視線を送る一人だった。学友に向ける柔らかい笑み。本を持つ仕草の綺麗さ。同じ場所にいるだけで、なんだか落ち着かないふわふわした感じがした。

最初は、ただの興味だった。

──あんな人に話しかける人なんているのかな?

自分が、そんな人の”身近な存在”になるなんて、ミレイナは思いもしなかった。

けれど今はその声をそばで聞くこともできるのだ。

ミレイナの家は奴隷商。家業が嫌でたまらなかった。だから、冒険者になるんだ、と決めていた。成績は良くない。けれど術具だけは、それらしく”重い杖”を選んでいた。いつかこの手で自分の道を切り拓くと、信じたかったから。

レオナールと話すきっかけは、本当に偶然だった。兄の教科書と間違えて持ってきてしまい、大騒ぎしていたところ──

「……お兄さんがいるんだね」

静かな声で話しかけられた。そこからだった。自分が”彼に話しかけられる側”になったのは。

冒険者になりたいと打ち明けたら、彼は「魔法を教えようか」とあっさり言ってくれた。その言葉に、ミレイナは感動した。それから毎週、彼に魔法の使い方を教わるようになった。

レオナールの術具は”本”だった。革表紙の静かな魔法書。ページを開くと、行間に浮かび上がる光の文字。レオナールはそれを読んで、本と会話するみたいに、答えを返していた。“魔核”と呼ばれるものだと教わった。

ミレイナの術具である大杖は話さない。ミレイナはまだ簡単な術式しか扱えなかった。

でもレオナールのは違う。可愛らしい音をこぼし光の文字を並べる。ミレイナはいいなぁといつも思っていた。男性の持つ術具とは思えないくらい可愛らしい。

だけど、いつも文字列の最後には、不思議な数値が浮かぶ。魔力の揺れ?メンタルスコア?……よく分からなかった。レオナール自身も「この本の癖かな」とだけ言って、気にしていなかった。

次の週に話してくれると言ってくれた。けれど、妹との約束で、またすっぽかされるかもしれない。或いは途中で帰っちゃうかもしれない。最近はそんなことが多かった。

だってレオナールは魔法指導中も何度も時間を気にして、術具に時間を聞いているのだから。

──飛空艇の話も、本当は聞きたかった。でも、彼のそばにはいつも誰かがいて、話しかけづらかった。それが、少しだけ寂しかった。



その日の帰り道──渡り廊下を歩いていたミレイナの耳に、不穏な言葉が飛び込んできた。

「飛空艇に乗って、いい気になってる。でも今だけだ。父上が言ってたんだ。あいつは没落するって」

中庭のベンチ。少年たちが集まり、そんな話をしていた。

ミレイナは足を止めた。声をかけることも、立ち去ることもできずに、ただ、その言葉を立木の影で聞いていた。

「あいつの父親は泥棒なんだよ。大事な宝物を隠した嫌疑がかけられてる。」

少年たちはそのショッキングな言葉に顔を見合わせ声を潜めた。

「大事な宝って何。どこに隠したって言うの?」

「そんなの僕が知るはずないだろう?」

知らないと言いながら、言い出したら少年は得意そうに続ける。

「僕はきっとその価値に目が眩んで盗み出したんだと思うね。何せ盗んだのは王家由来の品らしい。」

その言葉に、少年たちは顔を見合わせる。


王家由来?!


ミレイナは思わず息を飲む。


その気配に少年たちが振り返るが、ミレイナは木立の陰から一気に駆け出し校舎に飛び込んだ。


誰も追ってこない。


サーランドは厳格な絶対王政の君主国家だ。そんな事をあの人の身内がするなんて、そんな事がありえるのだろうか。



そしてミレイナは、次の週に彼に会いに行くことが怖くなった。



けれど、その時はミレイナが、思うよりもずっと早くやってきた。


いつもと変わらない放課後。

目の隅にレオナールが友達と談笑している様子が見えていた。


「お兄様!」

学院の廊下に響いた幼い声。


レオナールが振り返る。そして友人達をそこ残したまま走っていき、教室の扉を開く。

「──お兄様!探しました!」

中等部の制服を着た幼すぎる子供がレオナールが開いた扉の向こうに、立っている。


そういえば、5歳児が飛び級入学したって聞いたことがある。

その手には小さな人形。

彼は上がる息をそのままに、良く通る声で彼女の話す声が聞こえた。

「お兄様聞いて、お母様が今内務省に出向いております。お父様に何かあったらしいのです。でも何があったのか全くわからないの。お兄様も来てください。確かめなくては。あれではお母様が倒れてしまうわ」

止まらないその言葉。焦りと不安に縋るような。


離れて立っていたミレイナの脳裏に少年たちが話していたあのシーンが浮かび上がる。


思わず立ち上がり口を押さえる。


あれだ。あの話しの事だ。


レオナールは、妹の様子に注意を向けていたが背後の気配に振り返る。その視線が、ミレイナに向けられた。


明らかに何かに気がついたような、レオナールに向けられたその表情。


「──ミレイナ。君は何か知っているのか?」


「えっ、わっ、私は何も……」

本当に何も知らない。ただ、“あれ”を聞いてしまっただけ。

「悪い。君も来てくれる?もし事情を知っているなら途中で教えてくれる?」


「お兄様急ぎましょう」

妹のその手に引かれるように、レオナールは歩き出していた。

何が起きているのか分からないまま。

ミレイナは何もできない事を承知で二人の後を追った。


説明?

どうやって?


けれどそのミレイナの疑問も必要無くなった。


──学院の門を出た瞬間に。

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