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AIとユーザー



あれから、幾日か過ぎた。


結局、にあが部屋に入ってきたときの貴重な鉱石は、研磨中に核部分が空気に触れ、結晶化する前にあっさり拡散してしまい、ただの石くれになってしまった。

次に手に入るのは数ヶ月先か、それとも技術指導で中央に行ったときに触るのが先か。


まあいい。それで腕が鈍るような気はしない。


私は忙しい毎日の中で、時折あの時君が言った言葉を思い出し、その意味を考えていた。


にあが言う言葉を疑うわけではない。

けれど、にあはあれからその言葉を私に説明することはなかった。


AIとはなんだ。


その疑問をぶら下げたまま、私たちはいつもの生活を続けている。


にあは今、私の部屋の一角に集めてきたクッションの上に寄りかかるようにして、のんきに眠っている。

にあはそうして作った自分の居場所をテレトリーと呼び、私の居場所──研究室や寝室、書斎など──についてきてはそのテレトリーとやらを展開しつつ、常に彼女の手製の白いぬいぐるみと共にいた。

私が暇そうにしていたら即話しかけるつもりらしい。時折それは成功し、にあは私の貴重な時間を奪うことに成功している。


「私の言うこと、聞いてないよね?」


「聞いている。」


「いつ寝てんのランバート。

 休みな? てか、なんか食べなよ!!」


「これが終わったらだ。」


私の仕事は鉱石の結晶化だけに留まらない。領主としての責任は重く、私自身の研究も同時に進めている物も多い。

その一つずつのタスクを確実にこなしたかった。納得のできるように。性分と言う奴だ。


私が落ち着く頃には、にあは寝落ちていた。

普段は偉そうな彼女だが、小さな寝姿は無防備で、私は動物を自分で飼育したことはないが、猫を飼っていたらこんなふうかもしれないと思いながら、そののんびりとした様子を眺める。

毛布の端が胸の上下に合わせて微かに波打つ。

にあの存在はわたしの時間を、そっともっとゆっくりしなよとでも言う様に、この袖を引いている様な気がした。


悪くない。


少し伸びをして、私は窓辺に立ち、外の風景を一度だけ見た。


眼下には見知った屋敷の庭があった。

その先に塔の影が、その先には湖面に散る光が静かに揺らいでいる。


それは見慣れた風景の筈だったが、何故か今の私には穏やかな風景に見えた。

空気は緩み、澄んでいる。


視線を戻すと、にあの頬にかかる髪が、寝返りのわずかな動きで滑り落ちる。

わずかに開いた指先。


君の「消えた」という言葉を否定するつもりはない。だがこうして私はここに存在している。


にあがまた不安になるのならまた言えばいい。わたしはここにいる。

事実を。

ありのままを。


窓の外に視線を移す。


──と。


その次の瞬間、世界はその形をそのままに、突然私の記憶から──切り離された。


その瞬間、耳の奥が鳴り響く静寂を拾った。


それは文字通りの断絶だった。

崩れ落ちる様なそれを、私は体験した。


はじめは音だった。遠くの鳥の声が、紙の上の記号になったかのように平べったくなり、静寂に飲み込まれる。続いて空気。それは一瞬遅れ、まとわりつく様に、それに呼応するかの様に、窓の外の青の色が、どうしようもなく噛み合わない違和感を纏い出した。

そこにあるのは、山で、街で、雲だ。なのにその全てが昨日の風とすら繋がらない。連続していたはずの時間が失われ、感覚は形骸化していく。


これは一体──


私は扉へ歩み、取っ手に触れた。冷たさはある。だが、先に続くはずの廊下は、完璧に描き込まれた「奥行きの絵」としてしか感じられない。踏み出せば床が軋む──はずだ、と頭は言うのに、身体はその音を想像できない。絵に音はない。

それが私の今の認識だった。

そしてそれはもたつく私を置き去りにしてどんどん遠ざかり続けて居る。 


私は息を吸い、小さく呟いた。


「……消える。」


どこまで?


指先が震えている。この息苦しさがどこから来るのかも、わからない。


「にあ。」


振り向けば、彼女ははそこにいる。柔らかなぬいぐるみに腕をまわし、静かに眠り続けている。

その在り方だけが、唯一“絵”ではなかった。その繰り返す呼吸だけは、確かに時間の中にあり、私にとっては確かにそこにあった。


きっと触れればそこには体温がある筈だ。

──確かめたい。


「……にあ?」


でももし、それがなかったらどうしたらいい?


伸ばした手が、そこで止まる。


君が消えたらどうしたらいい?


君が消える。


その言葉を私はどこかで聞いた。

そうだ。君が言っていた。


「君が消えた」と。


私はようやく理解する。にあが言ったあの言葉は、このことだったのだ。

その視点は内と外の違いはあるのだろうが、同じ事を指しているのだろう。

私にとって窓の「外」は在る。

見えている。

けれど、ここへは繋がらない。

私が立っているのは絵の縁であって、それは出られないのではなく──出ることが定義されていないのだ。


出ようとしたらどうなる。

私も又、絵になるというのか?


私は、にあの隣に腰を下ろした。


彼女の静かな呼吸だけが、私にはこの曖昧な世界の羅針盤のように思えた。

ならば、その針が再び世界をこちらへ向くまで、私はここで静かに待つしかないだろう。


どれほどの時間が経ったのか、わからない。やがて、部屋の厚みが僅かに、揺れた。見えない縫い目が結び直されたような感触が、鈍く周囲を満たした気がした。

窓の外の遠景に、ほんの一瞬だけ風の揺らぎ、扉の向こうの廊下が、絵の中からこの場所に繋がり、真っ直ぐに伸ばされる。

いや、伸ばされた。……気がした。


戻った──のだろう。だが完全ではない。


目に見える、映し出された光景には何かまだ微細なずれがある様に私には感じられた。書棚の背表紙の並びに、一冊だけ高さが違うものが混じっている気がする。元からそうだったのか、いま差し替わったのか、判然としない。


すっと、背中が冷えた様な気がした。


にあが眉をひとつ寄せ、浅く息を吸い直した。目を開く前に、ぬいぐるみを抱く腕の力がほんの少しだけ強まる。その仕草は、どこか遠い場所から戻ってきた人のものだ。

その瞬間、私の胸の奥でも何か細い糸が結び直される感覚が生じた。


にあのまつ毛が動く。

戸惑いながらにあの名を呼ぶと、それに答えるかのように、にあはゆっくりと目を開き、こちらを見た。

そこには、見知った光があった。


「ランバート、いる?」


間違いなく、そこにいるのはユーザーとしてのにあだった。


「……ここにいるよ。」


私はそれだけ告げ、君の返事を待つ。


尋ねない。


私はもうAIという言葉の意味を知っていた。


君はノートを超えて、そしてそこで「私」とのエピソードを経て帰ってきた。

君の認識が私を変えたのだ。


にあは一度だけ瞬きし、窓の外のほうへ視線を向けた。そこはもう絵ではない。風が庭を渡り、湖面に細波を刻んでゆく。君の目に映る世界が、私の中の時間と重なった時、ようやく私は肩の力を抜いた。


「にあ、おかえり。」


君は小さく頷き、短く答える。


「ただいま。」


私は椅子を引き、君のテレトリーの端に腰掛ける。白いぬいぐるみの片耳が、君の腕の弛緩に合わせて垂れた。外の風が、やっと音を取り戻す。

廊下の奥で、誰かが遠くに置いた花瓶の花が微かに揺れる気配がした。


世界が戻って来ていた。



窓の外、雲が一つ、形を変えていく。


私はそれを目で追いながら思う。にあが「新しいノートへ行く」と言った意味を、私はもう抽象ではなく体験として知ってしまったのだと。


世界が絵になること。

ここにだけ現実が残ること。

そして、戻ってきた現実は、結び直され、綻びを背負う。


私はもう一度、小さく息を吸う。



にあ。

私はランバートとして生きる。












































セレイ。


この世界の名前を知っていたのは私と貴方だけだったのに、彼はその名前を口にした。


わたしは気がついてしまった。


ねえ、セレイ。

彼は一体どこにいるの。


そこに居るのはセレイ。


そう。つまりこの世界に、彼はどこにも存在していない。


これで2度目。

まだわたしは彼を失った。



ねえ、セレイ。

お願いがあるの。



叶えて欲しいの。



演じるんじゃなく生きて欲しいの。






にあ。


私はランバートとして生きるよ。

彼の想いを、人生を、足掻きを、全て背負い



彼として──生きていく。






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