三回目、最後
シャンを最後に呼び出したのは高校の卒業式から三日後だった。
「楓ちゃん、ここどこ?」
私はショッピングモールの名を告げる。
シャンの姿は三年前と何も変わっていない。
ただ死神の鎌がない。
「シャン、鎌は?」
「あ、忘れてしもたわ」
「大丈夫なの?」
「平気平気。死神界に忘れただけやから」
「そう…」
「今日はどないしたん?」
「高校卒業したの」
「ほうかー。それはおめでとう。そういえば大人っぽなったな、楓ちゃん」
「ホント?」
「ああ。すっかり美人さんなって。綺麗なお姉さんや楓ちゃん」
「四月から大学生なの」
「ほうかー。早いもんやねぇ。あっという間やったね」
「うん」
「ほうか、将来は何かしたい事あるん?」
「税理士になりたいなって思ってて」
「それは固いね」
「うん。資格持ってると強いかなって、なれるかわかんないけど」
「楓ちゃんならなれるよ。何か困ったことでもあった?」
「ないよ。なくても美味しいもの食べよって言ってたでしょ」
「ああ、そやったね。じゃあ今日は楓ちゃんの卒業祝いに美味しいもんいっぱい食べよ」
「うん」
「何食べたい?とりあえず映画でも見る?」
「うん。見たい」
「何やってるんかな、今」
私達は上映時間がちょうど良かったアメリカのミュージカル映画を見た。
主人公とヒロインが結ばれず別々の人生を歩き、十年後再会するも軽く手を振って別れるといった内容だった。
これは何かを暗示していたのだろうか。
嫌そんなはずはない。
だって私達はもうそんな風に再会して手を振り合うことなどできないのだから。
「面白かったなぁ。楓ちゃん」
「うん」
「あの女優さん歌上手いなぁ。あんな風に歌えたら気持ちええやろね」
「うん」
「最後別れてしまうとこも良かったなぁ」
「そう?」
「うん。二人は結ばれて幸せになりましたとさ、もええけど、ああいうのもええよ。俺好きやわ」
「そう」
「何食べる?美味いもん食べよ。何がええ?」
「マクドナルド」
「ええ?もっとええもん食べようなぁ」
「いい。ハンバーガー食べたい」
「エビフィレオ?」
「覚えてるの?」
「そりゃ覚えとるやろ。忘れるわけないわ」
「なんで?」
「楓ちゃんとの大切な思い出やもん。俺忘れたりせえへんよ」
「シャンがビッグマックとてりやきバーガー食べて大人って二つも食べるんだなって思った」
「そうなん。あんなん普通や思うけど」
シャンは笑った。
「手つないでいい?」
「ええけど、どないしたん?なんか悲しことでもあった?」
「何もない。家族もみんな元気だし。卒業旅行にも行くし」
「ほうかー。どこ行くん?」
「大阪」
「ええねぇ。楽しんでき」
マクドナルドでお昼ご飯を食べてクレープ屋さんでチョコアイスとチーズケーキの乗ったクレープを食べた。
今日もシャンはクレープを食べず、私を見て笑っていた。
それから意味もなく文房具を見たり本を見たり服を見たりした。
ずっと手をつないだまま。
「もうほとんど見てしもたなぁ。どうする?どっか他行きたいとこある?」
「ゲームセンター」
「ああ、じゃあ行こか」
「ぬいぐるみ取って」
「任しとき。何ぼでも取ったるよぉ」
あの時と違ってゲームセンターの爆音におびえたりしなかった。
シャンがどれがええ?と私に笑いかける。
あの頃と変わらない同じ笑顔で。
シャンは変わらない。
私だけが変わっていく。
もう次はない。
今日が最後。
これが最後。
「どれがええ?」
「あの白いウサギ」
「おっけー」
シャンは十年前と同様軽く取ってみせた。
まるで呼吸をするかのように簡単に。
「次どれがええ?」
「これだけでいいよ」
「友達おらんとかわいそやない?」
「じゃあ、あのピンクのウサギ」
「ほいよー」
私はシャンの黒いスーツを掴む。
このまま時間が動かなかったらいいのに。
「どうする?楓ちゃん」
「まだ時間いいの?」
「今日は最後やさかい、楓ちゃんの行きたいとこ全部付き合うよ」
「うん。じゃあ出よう」
私はシャンの手を取る。
「俺このへん詳しないんやけどどこ行くん?」
「とりあえず歩きたい」
「そ、まあ任せるわ」
どこへ行くか何も考えられなかった。
ただ真っ直ぐに歩いた、歩き続けた。
歩いているうちに何かいい案が浮かぶかもしれないと期待したけど何も思いつかなかった。
だから言った。
「私シャンが好き」
シャンは立ち止まったりしなかった。
だから私も足を止めなかった。
私達は歩き続けた。
ずっと手をつないだまま。
「俺も楓ちゃんが好きやで」
「嘘」
「嘘なんかついてへんよ。ホンマに楓ちゃんのことが好きや」
「じゃあ彼氏になってよ」
「それはなられへんわ」
「どうして?」
「俺死神やもん。人間とちゃうもん」
「そんなのどうだっていいよ」
「そうはいかんわ」
私は立ち止まる。
幸い平日なので土手には誰もいない。
ここも来月には桜が咲いて綺麗だろう。
そういえばシャンと会うのはいつも九月だった。
春に会ったのはこれが初めて、そして最後になる。
私達は一緒に桜を見ることすらなかった。
彼はいつも夏の名残を残した九月に涼しい顔で現れた。
こんな男どこにもいるはずがない。
私はシャンの手を放す。
私達は向かい合う。
この男を手に入れたい。
他には何も望まない。
何もいらない。
「私のものになってよ、シャン」
「楓ちゃん、嬉しいけど、それは無理や」
「どうして?私のこと好きじゃない?」
「大好きやでぇ。でもあかんのよ。俺は死神やから人間を好きになってしもたら終わりやねん」
「じゃあ私のこと連れてって」
「連れてってって、そんなことできへんよ。楓ちゃん人間てな、死んだら終いやねん。死後の世界なんてあらへんよ。なんもないねん」
「もう会えないなんて絶対やだよ」
「でももう無理やねん。ごめんな、楓ちゃん」
「こんなに夢中にさせといて、どっか行っちゃうの?もう一生会えないの?」
「うん。すまん。それは俺が悪いわ」
「そうだよ、シャンが悪いよ。シャンがかっこよすぎるからだよ。私八歳でシャンを知っちゃったんだよ。その時からかっこいい男の人の基準がシャンなんだよ。身長は百九十なきゃ駄目だし、足も長くないと駄目、黒いスーツが似合って、髪は黒くてさらさらしてて、目に力があって、鼻筋はしゅうっと通っていて、胡散臭い関西弁で、高すぎず、低すぎず、絶妙な声で、いつも優しくて私に笑いかけてくれて、そんな人どうやって探せっていうの。無理だよ。もう一生誰も好きになれない。なれるわけないよ」
「すまん。それはそうや。これに関しては俺が全部悪いわ」
「それだよ。平気で謝る。そういうとこよ」
「ごめんて、楓ちゃん」
「じゃあ彼氏じゃなくてもいいからまた会ってよ。譲歩してるでしょ。会いたいだけなんだよ。私、シャンに会いたいだけなの。できれば毎日会いたいけど、一年に一度でもいいよ、三年に一度でも、五年でもいい。会いたいの、会えるって約束があるなら頑張れるから。これが最後なんて嫌だよ」
「ごめん」
「私のこと本当はどう思ってるの?」
「好きやで。楓ちゃんのことが一番好きやで。可愛いいてしゃあないわ。俺かて楓ちゃんに夢中やねん」
「嘘。そんなこと他にも沢山言ってきたんでしょ。わかるもん」
「言ってないよ。楓ちゃんだけや」
「そんなの絶対嘘」
「信じてぇなぁ。楓ちゃんが好きや」
「嘘」
シャンが寂しそうに笑う。
そうやってまたこの男は私を忘れられなくするのだ。
ああ、もうこの期に及んで。
でも無理。
貴方以上に私の胸をときめかせる存在はない。
心をかき乱す、でも今私幸せなの。
好きな男と話しているから。
今彼が私だけを見つめているから。
今世界に二人きりだから。
「楓ちゃん。楓ちゃんは素敵な女の子やで。いっつも眩しいわ。楓ちゃんはいつも冷静でどんな状況でも真っ直ぐに目逸らさんと立っとるやろ。その目ぇが好きやねん。ホンマ綺麗やわ。顔も滅茶苦茶可愛いけどなぁ、楓ちゃんはかっこいい女の子やで。一途で思い込み激しいて、そんなん好きになるに決まってるやん。嘘なんか一つもないよ。楓ちゃんが好きや」
「どうにかならない?」
「ならんわ。ごめんなぁ」
「私一生一人だよ」
「すまんなぁ」
「他に誰にもそんなこと言ってない?」
「言ってへんよ。楓ちゃんだけや」
「じゃあもう私の記憶消してってよ」
「え?」
「できるでしょ。シャンのこと思い出せなくなったら他の人好きになれるかも」
「ほうか、それは嫌やなぁ」
「何それ」
「楓ちゃんが俺のこと忘れてしまうやなんて俺嫌やなぁ。一生覚えといてよ」
「一生一人でいろってこと?」
「それは可哀想やなぁ」
シャンが笑う。
その天才的な笑みに私は打ちのめされる。
もう一生敵わないと。
「いい。やめる。一生覚えとく」
「そうなん?ええん?」
「だって忘れたら勿体ないもん。そんなかっこいい顔」
シャンが笑う。
ああ、その顔が好き。
好きで好きでたまらない。
絶対に忘れたくない。
私にかっこいいを素敵を綺麗を教えてくれた、人ではない男。
「もう一生分好きになったからいいかも」
「ええ?」
「百年生きたとしてもこの十年の好きには敵わないよ。一生持ってく、お墓まで」
ははっとシャンが声に出して笑う。
「かっこええわ楓ちゃん。ホンマ好き」
「私も」
シャンが私の手を取る。
「恋にはこういう結末もあるんよ、楓ちゃん」
「うん」
「さよなら言うのやめよな、楓ちゃん」
「うん。言わないで」
「楓ちゃん、好きやで」
私の好きな男は夢のように消え失せた。
私に恋を続けさせることを確定させて。