攻守交替
グラウベルトは、取るものも取りあえず逃げ惑った。
明日か明後日にはこの砦を落とすことができるだろう、と上機嫌で眠りについたところだった。
敵を疲れさせるための鉦や銅鑼の音が遠くから聞こえてくる。
うとうとし始めた頃、見張りの「敵襲だ!」という声が響いた。
のそのそと起き出したグラウベルトは、事態が把握できない。
しかし、兵の叫び声が聞こえてくるようになると、さすがにハッキリとわかった。
グラウベルトも戦場には慣れている。
「夜襲、じゃと!?」
圧倒的にこちらの方が兵力が多いというのに、砦から打って出たのか。
「やられた」という気持ちが強かった。
攻撃を始めた頃は、夜襲に対する備えもしていたのだ。
しかし、もう数日で落ちるだろうという気の緩みがあった。
相手を疲れさせているという自信があったからこそ、つい警戒を怠った。
味方に鋭気を養わせた方が砦を早く落とせる、と思ったのだ。
信じられない、信じたくないという気持ちでグラウベルトは馬にまたがる。
ヴァルハルゼン王国を強国にのし上げた男として、歴史に載るはずだった。
栄光に向かって確かに前進していたはずだったのだ。
しかし、現実には悔しさを噛み締めながら逃げるしかなかった。
グリモー侯爵の領地では防げる場所がない。
燃やされてしまった館が、防御の要だったのだ。
「いくらの兵が残っているだろうか」
逃げながら、グラウベルトは考えた。
こういう状況になると、逃げ散ってしまうのが兵士だ。
しかし、ヴァルハルゼンから連れてきた兵士は簡単に帰ることができない。
だが、敵の勢いはかなりすさまじかった。
逃げ惑う者を討つのは、難しいことではない。
それに、火に巻かれるものも少なくなかった。
さらに敵軍の中に聖獣の姿が見えたのも大きい。
「聖獣の怒りに触れ滅びを迎える」リディアの言葉は、今となってはヴァルハルゼンの兵士に大きな影響を与えている。
ルナを見ると、恐怖ですくんでしまうのだ。
「忌々しい奴め!」
それはルナに向けた言葉か、リディアか、ゼノか。
エリザベートの父ハロルド・エルモン・セルヴァ公爵への工作で5日間遅らせはしたが、敵にはいずれ援軍が来るはずだ。
それを考えると、守りに入らざるを得ない。
国境近くの領主に兵を出させなければ、グラウベルトはそう考えながら必死で馬を走らせた。
***
「ゼノ……?」
リディアがゼノの顔を覗き込む。
「王の子と言っても庶子だ。王になるつもりもないし、レオンにも軽んじられている。それでも、多少の命令を下す権限くらいあるだろう」
そう言ってゼノは笑った。
そして、書記官に命じて王都への報告文を作成させる。
敵対国を攻めることは、きちんと説明しておかなくてはいけない。
「とりあえずは国境だな」
普段と変わらずにそう言っているガロの横で、ヴォルドが顎の外れそうな顔をしていた。
「お、王子様でいらっしゃったのですか?」
山賊として暮らしていても、国を嫌っているわけではない。
気に入らない貴族は多いが、権威全てを認めないわけでもない。
むしろ、国土を広げ国を強くしたガラハルト王には、年下ながら憧れのような気持ちも抱いている。
その子供が、目の前にいるのだ。
しかも、普段は憎まれ口を叩いたりしている。
「え、ええと……いつもは失礼をば……」
しどろもどろになっているヴォルドに、ゼノは
「ただの若造ですから。今後もいろいろとご教示いただければ幸いです」
とわざと恭しい言葉で返す。
「へ、へえ、でもマクレイン様にはあまり近づかないようにするでございますよ」
やはり王室への敬意よりもリディアを大事に想う気持ちの方が強かった。
昨日想いを告げられなかったゼノは、少しむくれて
「それはリディアが決めることだ」
と言いつつ、ちらりとリディアに視線を向ける。そして、続けてエルバーン伯爵に
「我々はとりあえず国境を取り返そうと思う。伯爵はどうする?」
と問いかける。
「私はここの守備もありますし、近隣領主を説得してみようと思います」
グリモー侯爵に従ってヴァルハルゼンに寝返った領主の中には、グラウベルトと国境に籠っている者もいれば、領地に戻っている者もいる。
どちらにせよヴァルハルゼン側の領地として残しておくわけにはいかない。
寝返った領主たちも、これだけの大敗を喫したのではこのままではいられないだろう。
人質をヴァルハルゼンに出しているだろうからその問題を解決しないといけないが、そう言った説得をエルバーン伯爵がやってくれると言う。
「それはありがたい。伯爵に任せておけば、後顧の憂いなくヴァルハルゼンに侵攻できる」
そうして、国境を取り返すための出陣が明日と決まった。




