庶子
出陣する前に私のことを心配してくれるゼノ。
帰ってきた時に満面の笑みで迎えてくれるゼノ。
強い風が吹いて服が捲れてしまって太ももが露になった時「誰か見てなかったかしら」と赤面しながら周囲を見渡した時、なぜか必ず目が合うゼノ。
ゼノが出陣する時も、多分私は同じ顔をしている。
ゼノが帰ってきた時、多分私も同じ満面の笑みを浮かべている。
ゼノの服が捲れた時……それには何の興味もないけれど、私はゼノが好きなのだと思う。
出来るだけ意識しないようにしている。
でも、あの人の好意を感じる度に嬉しい気持ちが体に満ちる。
だからこそ、……私は愛される資格なんかない、と思う。
私が、たくさんの兵を殺す。
私がたくさんの兵を殺した。
でも、ゼノを殺させたくない。
そのためには、勝たないといけない。
敵は、こちらが一番いやな戦術を採っている。
兵力に勝る敵が消耗戦を挑んできている。
いくら戦術に優れるゼノでも、これを最後までしのぎ切ることはできない。
一番の疑念は、到着していなければいけない援軍が来ないこと。
エルバーン伯爵が援軍要請をしてから2週間、とうに到着していなければおかしい。
「私はゼノが好き」
リディアは、この日々の中で確信する。
だが、自分に愛される資格があるのか、とも考える。
リディアは、それでもゼノを守りたかった。
「夜襲をしましょう」
作戦会議において、リディアは発言した。
こちらを眠らせないために、敵は鉦や銅鑼を叩いて睡眠を妨げようとしている。
その間、敵の主力はぐっすり休んで次の日の戦に備えているのだろう。
そこを攻めるのだ。
敵が忌み嫌っている西側の森の抜け道を伝って。
本来なら援軍が来てから使うはずだった道。
自分が攻めている側だと信じ込んでいるグラウベルトを攻める、それは有効だろう。
相手の心理を読んだ作戦。
いかにもリディアらしい作戦。
必死で守りに徹していたエルバーン伯爵やゼノも、それに賛同した。
ただ、兵力が少ない以上火に頼りたいところもある。
ルナに風を起こしてもらうことで、火勢も利用できることになった。
援軍が到着しない中で、リディアの作戦は実行される。
砦を空っぽにして、全軍で夜襲を行う。
その結果は、予想以上のものだった。
自分が攻めている側だと信じ切っているグラウベルトの油断を、リディアは完璧についていた。
1万を超える敵が、3千のラグリファル軍に追い散らされていく。
いや。3千もの軍で襲い掛かったからこそ相手は逃げ惑うのだ。
まやかしではなく本気で自分たちを滅ぼしにかかってくる3千の悪魔。
まともに眠ることもできず弱っているはずの敵。
それがこちらを襲ってくる。
あと2,3日あれば相手の疲労は限界に達していただろう。
「なぜだ、なぜ儂が逃げなくてはいけないのだ!」
グラウベルトの悲嘆な叫びに答える者はいない。
圧倒的な戦力差、数々の謀略。多少の計算違いはあっても、負けることは考えていなかった。
自分たちは攻める側、という油断は兵士の間にも広がっていた。
だから、自分たちが危機にさらされると脆かった。
死にたくないという意識で皆が逃げ惑う。
敵を疲れさせるための鉦や銅鑼がむなしく響く。
1万を超える敵を3千で蹴散らし、砦の男たちは誇らしげに朝を迎えた。
「ヴァルハルゼンの野望を打ち破った!」
その日の祝勝会は、とても盛り上がった。
国の危機を救ったのだ。
グリモー侯爵領も国境も、援軍が来れば近いうちに取り戻せるだろう。
この喜びの中で、ゼノはリディアが生きていてくれたことを心から嬉しく思った。
そして、いつ消えるかもしれない命の中にある想いを、恥ずかしいなどという感情で隠しておくべきではないと思った。
祝勝会の途中で、ゼノはリディアを呼び出す。
真っすぐにリディアの目を見て、ゼノはつばを飲み込む。
その口が開かれる前に、リディアが言った。
「追撃するべきです」
リディアはグラウベルトという人間と実際に会ったことはない。
それでも、今までのやり口から大体の人間像は見える。
ここで引き上げても、また力を蓄えて攻め込もうとしてくるだろう。
それに、自分に良くしてくれたミルファーレ村の人たちの安否も気遣われる。
グラウベルトが生きている以上、安息は訪れないと確信できる。
だが、他国への侵攻はそんなに簡単なことではない。
リディアは追放されただけの罪人。そしてゼノもただの守備隊長。
勝手に他国に侵攻する権限などない。
それでも、リディアは泣き腫らした目でゼノに訴えた。
自分が殺した兵の命の重みを感じながら。
そんなリディアの言葉を、ゼノは受け入れた。
ゼノは、リディアが心配で仕方がない。
すぐに揉め事に口を挟み、困った人を放っておけず、自分が傷つくことを厭わない。
そんなリディアを、ゼノは「幸せになって欲しい」と思っていた。
そして、「幸せにしたい」と思っている。
ゼノは、リディアを愛している。
数日後、1万5千の援軍が到着した。
エリザベートの父ハロルドの愚かな行為がなければ、5日前に到着していた軍だ。
リディアの建策がなければ、その5日間の間にこの砦も奪われていただろう。
そして、5日前に到着していればリディアが人を殺す策を建言する必要もなかった。
敵を葬る策を立てながら泣いていたリディアを想いながら、ゼノは全軍に向かって号令を下す。
「我が名はゼノ・アルヴェイン・ラグリファル!王の子として命じる!ヴァルハルゼンを討つ!」
ラグリファル王国の名を持つ男は、敢然と言い放った。
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