援軍出発
時は少しさかのぼり、ゼノが国境を捨てエルバーン伯爵に庇護を求めた頃、伯爵は即座に王都に対して援軍の依頼を行った。
それは一刻を争うものであり、優先度一等の早馬で訴えたのだ。
ラグリファル王国の通信網は優秀で、この知らせは二日後には王都に届いた。
この手紙の内容に驚かなかったのは、王子に疎まれているユリウスと娘が追放されてしまったギルベルト・フォン・マクレイン伯爵くらいであっただろう。
他の者はみな、想定外の事態に慌てふためくばかりだった。
特にエリザベートの狼狽は酷く、何も考えられないような状態に陥った。
「そんな馬鹿な、ヴァルハルゼンは国境の兵を減らしたはず……それに友好の使者も何度も送ってきていた。私にだって……」
エリザベートは、ヴァルハルゼンの勧めもあって王太子の婚約者の座を手に入れたのだ。
そのあおりで、リディアが追放されている。
それからも何かと助言をくれるヴァルハルゼンを、エリザベートは信じ切っていた。
——それなのに。
いや、それどころではない。
国境の兵士を減らしたのは、エリザベートの判断だったのだ。
すぐにでも国境を取り返さないと、エリザベートの責任問題にまで発展しかねない。
その他にも、予想もしていなかったことがいくつもその知らせには並んでいた。
国境に兵糧が届いていないこと、そしてグリモー・ハルデン侯爵とその周辺領主の寝返り。
特に後者の衝撃は大きかった。
国境周辺の領主のほとんどが寝返ってしまった今、国土の1割近くが敵のものになってしまったことになる。
この状態を放置しておくことはできない。
一人の反対もなく、即座に援軍の派遣が決まった。
とは言っても、早馬と軍隊では進むスピードが違い過ぎる。
どれだけ急いでも、エルバーン伯爵領まで10日はかかる。
「それまで耐えてくれ」
エリザベートを始めとした群臣は、それを祈るしかなかった。
***
王太子レオンから疎まれているとはいえ、まだユリウスは諜報官の任を解かれたわけではない。
だから、この場にも列席していた。
以前からレオンにヴァルハルゼンの謀略について進言していたのだが、まったく聞き入れてはもらえなかった。
リディア追放時の苦言によって疎まれていたユリウスは、飼い殺しのような状態だったのだ。
だから、今慌てふためいている王子や群臣を見ても、ユリウスの中には冷ややかな感情しか出てこなかった。
ここでレオン王太子から一言でもあれば、また気持ちも違ったであろう。
だが、王太子は自分の諫言など覚えてもいないように振る舞っている。
ユリウスは、レオンに対する忠誠心が薄れていくのを感じた。
しかし、そこでリディアの父ギルベルト・フォン・マクレイン伯爵と目が合う。
リディアの罪を晴らすこと、ヴァルハルゼンの謀略を暴くこと、この人とはそれを誓い合っている。
年齢は伯爵の方が随分上だが対等に接してくれるこの人のために尽くしたい、ユリウスはそう思った。
そして、いつかリディアを中心とした国が作られればいい、ユリウスはそれが自分の目指すべき道だろうと考えた。
今はお互い日陰者とも言える境遇にあるが、この事態を見抜いていたのは自分たちだけなのだ。
自分にできることを精一杯やって、伯爵と共にリディア様を迎えようとユリウスは心に誓った。
その次の日、エルバーン伯爵領に向かって1万5千の援軍が出発した。
***
バルノア・ディエル子爵という者がいる。
ラグリファル王国を裏切ったグリモー侯爵の近くに領地を持っており、一緒にヴァルハルゼン軍に加わっていた。
侯爵が討ち死にした戦の折、西の森の抜け道に進んだ別動隊を率いていた男だ。
この男は侯爵には気に入られていたが、その侯爵が討ち死にすると目立たない存在になってしまう。
グラウベルト王の作戦会議に呼ばれることもない。
だが、子爵は出世欲の強い男だった。
何とかしてグラウベルト王に認められ、爵位を進めたい。
そのために子爵は、西の森の抜け道のことを進言することにした。
グリモー侯爵は自分で手柄を立てるためにその存在を隠していたが、バルノア子爵は今のままでは兵を率いさせてもらうことはないだろう。
だから、抜け道の存在を知らせることで手柄にしようとしたのだ。
バルノア子爵はグラウベルト王に目通りを願い出、抜け道のことを告げた。
「グリモーめは失敗しおったが、この儂が相応の兵力で攻めればたやすく落とせそうじゃの」
グラウベルトは、勝利を確信してにやりと笑った。




