匹夫の勇
ヴァルハルゼン王グラウベルトは、喉に小骨が刺さったような不快感を抱いていた。
ラグリファル王国への侵攻は、一応現実のものとなっている。
グリモー侯爵やその周辺領主の寝返りにより、国境よりも随分先に進むことができた。
しかし、計算違いがいくつかある。
騎士団を無傷で逃がしたこと。
グリモー侯爵の館や物資を利用できなかったこと。
そして、グリモー侯爵の戦死だ。
さらに、聖獣がラグリファル王国の味方をしているという噂まである。
「愚かな……」
とため息をつきながらも、そういう存在が兵に与える影響も決して軽視はできない。
侯爵の死すら聖獣によるものではないか、と言う者さえいるようだ。
もちろん、侯爵の亡骸は回収して調べてある。
何の変哲もない矢が首に刺さったことが死因で間違いはない。
だが、その直前までは圧倒的に優勢だったという。
そして、グリモー侯爵は砦からの矢が届くような場所にはいなかった。
侯爵は、そんな迂闊な人間ではない。
だからこそ、「なぜこんなところで……」と兵士が不安がるのだ。
「となると裏切りか、何者かが紛れ込んでいたか……」
それを追及している時間はなかった。
ただ自分が同じ轍を踏まないようにだけは、気を付ける必要があった。
裏切りだとしたら、侯爵を中心とする領主軍の誰かだ。
今日の戦では、それらの軍は後方に回すので問題ない。
昨日戦ったのだから、今日は後方で休ませるというのは定石通りだ。
それに、昨日の兵士たちは聖獣の姿を見ると怯えるかもしれないから使いにくい。
何者かが紛れ込む可能性についても、グラウベルト王の周辺は親衛隊で固めている。
怪しい者がいたら、すぐに見つけることができるだろう。
それでも、王の胸の奥のざらつきは消えなかった。
「侯爵の死の真相は戦が落ち着いてからだな」
不安を打ち消すようにグラウベルト王はゆっくりと立ち上がり、周りの者に告げた。
「出陣!」
***
「敵がこちらに攻め寄せてきます!」
見張りの声が砦内に響く。
「総攻撃か……」
「恐らく。王都からの救援が来る前にこの砦までは落としておきたいはず」
ここでもグリモー侯爵の館を焼いた影響が出ている。
そこは防衛の拠点としてかなり役に立つ作りと場所だったので、この砦が落とせなくても後退してそこに籠れば十分防衛ができた。
しかしそれがない今、グラウベルトは防衛拠点としてこの砦を欲しがっている。
「今日の戦は昨日よりもっと厳しいものになるな……」
エルバーン伯爵が、緊張の面持ちで言う。
「我が騎士団は士気が高まっております。簡単には負けません」
ゼノが自信満々に言う。実際、騎士団は国境戦からこれまで激しい戦いにあまり参加していない。ここで戦功を上げたい、と皆が思っているのだ。
「血気に逸り過ぎるなよ、若造」
ヴォルドがゼノを挑発する。
「我々の戦ぶりをよーく見ておくが良い、山賊!」
「ああ、親衛隊としてマクレイン様と一緒に見ておいてやる」
「なっ!親衛隊など認めぬと言っているだろう!前に出て戦え!」
「俺たちはお前の指揮下に入ったわけじゃねえと言ってるだろう」
戦の前に何をやってんだ、と言いたげにガロが口を挟もうとした時、見張りが再び叫んだ。
「ヴァルハルゼン軍、バルツ将軍の旗です。その数およそ4千!」
ゼノとエルバーン伯爵、ガロとヴォルドも敵の様子を窺う。
「何かあまり緊張感がねえな」
「攻め続ければ簡単に落とせると思っているな」
「こちらが疲れるまで攻めたら後陣と交代のつもりだろう」
「無理に自分たちが落とす必要はない、という感じだな」
そんな4人から少し離れたところで、リディアは皆の無事を祈っていた。
ゼノもガロもヴォルドも伯爵も……そしてルナも。
それからしばらくすると、鬨の声が沸き起こった。
敵が攻めてくる。
こちらも矢を放って応戦する。
敵味方の声が響き渡る。
ただ、敵軍には遮二無二攻めようという気迫はない。
無理に命を捨てるな、と言われているようだ。
それでも砦側は、落とされないように懸命にならざるを得ない。
そうやって疲れさせることが目的なのだろう。
——と、その時、砦の門が開いた。
「突撃!」
ゼノの声が響き渡り、砦から騎士団が飛び出していく。
不意を打たれた敵は、なす術もなく崩れていく。
敵将バルツも、その可能性を考えていなかったわけではない。
だが、敵を疲れさせるのが役目と聞いて「大した手柄は立てられない」と少しやる気を失っていた。
その気の緩みが、兵にも伝わっていたのだろう。
ゼノの騎士団2千が、バルツ将軍の4千をバタバタと倒していく。
しかし、バルツ将軍も豪傑と言われる男。その大きな体をうならせて踏みとどまる。
攻めかかってくる騎士団員を切り伏せ、
「落ち着け!こちらの方が数が多いのだ!」
と叫ぶ。バルツ将軍の個人的武勇に勇気を得て、敵の兵士が立ち直りかける。
そこに、ゼノが斬りかかる。
「戦が匹夫の勇だけでどうにかなるものではないことを教えてやる!」
「黙れ!貴様を倒せば大功は俺のものだ!」
2人は激しく切り結ぶ。
ここで副官の差が出た。ゼノの騎士団は、ゼノが一騎打ちに臨んでも統率のとれた動きで敵を討ち続けた。
だが、バルツ将軍の兵はバラバラに戦うばかりでどんどん兵を減らしていく。
しかし、バルツ将軍の配下の中にも目端の利くものがいた。
50人ほどの集団を作り、ゼノの副官に横から攻めかかろうとじわじわと動き始める。
かなりの戦上手のようで、副官は全くその接近に気づいていない。
それを砦から見ていたヴォルドが、
「ちょっと行ってくらあ」
と軽い口調で言って20人の山賊と出撃する。
ヴォルドはゼノの副官の首を狙っていた50人の集団に向かって一直線に進み、その中心となっていた者を討ち取った。
その周りにいた兵士たちも蹴散らすと、ヴォルドは平然と砦に帰ってきた。
それとほぼ同時にゼノの剣がバルツ将軍の大槍を弾き、隙を突いて喉を貫いた。
そして素早く兵と合流して砦に引き上げる。
戻ってきたゼノに、ヴォルドが
「よお、なかなかやるじゃねえか」
と声をかけた。
それに対して、ゼノは深々と頭を下げる。
ゼノは、副官を鍛えたかった。
だから、騎士団の指揮を任せて一騎打ちに臨んだ。
バルツとゼノの実力差は歴然としていた。
ゼノは、バルツをあしらいながら副官の様子も見ていたのだ。
その時、副官の首を狙う一団が見えた。
「いかん!」
そう思ったが間に合わない。
それでも馬首を巡らそうとした時、ヴォルドがその一団を蹴散らした。
自分は、危うく将来有望な者を死なせてしまうところだったのだ。
ヴォルドは、それを救ってくれた。
ヴォルドは、頭を下げるゼノに背を向けながら右手を上げた。
戦は難しい……。キリのいいところまで書こうとすると文字数が多くなってしまう。
…って最初のグラウベルトのとこもっと削れば良かったかな?
でもこの日の戦闘はまだ終わってないんですよ……。




