伯爵と山賊
兵士も普通の人間であるから、死にたくはない。
戦になど出たくないのである。
国に対する忠誠心の強い者は、国のために戦おうとするかもしれない。
だが、ほとんどの兵士はそこまでの気持ちは持っていない。
だから、戦で一番前に出たくなどないのだ。
しかし、全員が後ろに固まっていたのでは戦にならない。
それでも一般兵士に戦わせるため、領主や国王は恩賞を保証するのだ。
一番前で戦うと死の危険性はあるが、恩賞をもらえる可能性も高まる。
その恩賞を保証している者が死ぬと、軍は壊滅する。
例えそれまで圧倒的に優勢であったとしても、恩賞がもらえなければ戦う意味はない。
グリモー・ハルデン侯爵は死んだ。
侯爵の隣には、以前山賊たちを襲撃した指揮官の男がいる。
侯爵の信任厚いその男は、負けを悟った。
戦の指揮なら自分にもできる。
だが、兵に恩賞を与える力はない。
侯爵の死を隠してとりあえず砦だけ落とす、ということも考えたが、既に侯爵の死が兵の間で広まっている——もちろん山賊たちが触れ回っているのだ。
戦の情勢は一変した。
さっきまでの攻勢が嘘のように、みなが我先にと逃げ散っていく。
どこに敵がいるかわからない戦場ではなく、砦から遠ざかれば安全なのだ。
***
「何が、起こったんだ……?」
エルバーン伯爵は、呆気に取られていた。
今にも砦が落ちそうだったのに、突然敵兵が退却を始めたのだ。
いや、退却のような整然としたものではない。逃亡だ。
こちらを誘き出すための罠の可能性は、今までの戦局を考えてもないだろう。
とにかく何が起こったのかを確かめるため、伯爵は様子を探らせるために斥候を出した。
エルバーン伯爵は「もう砦を持ちこたえることはできない」と覚悟し、次の拠点への退却を考えていた。
騎士団にも出来るだけ兵を温存して退却するように、伝令を送る寸前だったのだ。
敵が逃げ散っていく様子を見ながら、エルバーン伯爵は「今は追撃をする余裕はないな」と考えていた。
そしてまだ西の森で戦っているであろうゼノの下への援軍を組織しようとしていると、先程の斥候が戻ってきた。
だが、一人ではない。20人もの男たちを引き連れて戻ってきた。
「その者たちは何者だ!」
とエルバーン伯爵が斥候に問いかける。
「ゼノ様とリディア様のお知り合いだと申しております!」
砦の外から、斥候が大声で答える。
そこでエルバーン伯爵は、リディアを呼んで確認してもらうことにした。
「まあ、ガロ様!」
リディアから事情を聞いた伯爵は、山賊たちを砦の中に入れる。
そこで聞いたのが、グリモー侯爵の死だった。
あまりの出来事に疑う気持ちもあったが、目の前の光景が答え合わせだ。
それを聞いた伯爵は、即座にゼノの援軍を組織して侯爵の死を喧伝するよう命じた。
それを知れば西の森の敵も逃げ散るだろう。
それから伯爵はガロ、そして山賊たちとの会談に及ぶ。
まずガロが自己紹介をした。
「ガロ・エルフォルトだ」
「エルフォルト……あのエルフォルト家の?」
「没落した今はただの猟師だ」
「そうでしたか。それでそちらの方は……」
とエルバーン伯爵はこの集団の長の風格を持った男に話しかける。
「俺はヴォルドってもんだ。山賊をやってる」
「……その山賊がどうして我々を助けてくれたんです?」
国に忠誠を誓っているエルバーン伯爵は、どうしても国に従順ではない山賊に微妙な気持ちを抱いてしまう。
が、そこで軽く身支度を整えてきたリディアが顔を出した。
「おお、嬢ちゃん無事だったかい!
「マクレイン様、会いたかったぜ!」
今までとはまったく違う声の調子で、2人はリディアに話しかけた。
心から嬉しそうな二人と、それを見て笑う山賊たちの様子に、エルバーン伯爵は温かいものを感じた。
「随分慕われているのですな」
エルバーン伯爵がリディアに話しかけると
「伯爵様がルナに対するようなものですわ。ヴォルド様と伯爵様は気が合うのではないかしら。お二人とも気に入った相手に対する懐き方が似てらっしゃいますもの」
そうリディアが返す。
孫娘のような年齢の女性に「懐く」と表現されたヴォルドと、本来獣の方に使うべき「懐く」という言葉で聖獣への想いを表されたエルバーン伯爵は、顔を見合わせて苦笑した。
エルバーン伯爵は、ルナの主であり自身も思慮深く行動力もあるリディアを認めている。
そのリディアの様子や親密さを見て、ヴォルドに友好的な感覚を抱いた。
「確かにヴォルド殿とは気が合うかもしれませんな」
「伯爵もお貴族様にしては気取らねえんだな、気に入ったぜ」
こうして2人は、後でマクレイン様と聖獣様について語り合う約束をしたのだ




