恥をすすぐ
第57話恥をすすぐ
「ゼノ様、エルバーン様、敵の一団が西の森に向かっております!その数およそ4千!」
その報告を聞いた時、エルバーン伯爵は青ざめた。
「わざわざ深くて進みにくい西の森を選ぶのは……まさか気付かれているのか?」
エルバーン伯爵は、呟いた。
「どういうことです?」
とゼノが聞く。
「西の森には、救援が到着した時に敵を横から攻めるべく抜け道を作ってあるのです。もしそれを敵が知っていたら、この砦が腹背から攻められることになる」
エルバーン伯爵は、以前から自分の領地を守るために森に落とし穴や方角がわかりづらくなる道組など様々な細工をしていた。
だから、敵が森を抜けて砦の後ろに回ろうとしても撃退するのは難しくない。
だが、その抜け道を使えば森の中であることが嘘のようにたやすく進軍することができる。
そこを敵が通ってきたら一大事だ。
国境の城と同じように、この砦も後ろから攻められると脆い部分がある。
「もし敵がその抜け道を知っていたら、放っておくことはできん……ゼノ殿、行ってもらえるだろうか」
敵が森を抜けてしまったら、防ぐ場所がない。
一刻も早く森に辿り着き、そこで敵を止めなくては腹背から攻められてしまうのだ。
前の3千だけならたやすくあしらえるが、後ろに4千が来るとかなり苦しい。
「わかりました。必ず蹴散らして参りますので、その間ここを頼みます」
そう言ってゼノはすぐに騎士団を率いて飛び出していった。
「杞憂であればよいのだが……」
エルバーン伯爵は、グリモー侯爵の能力を見誤っていた。
尊大で利を貪る性質のグリモー侯爵をあまり好きではなかったが、それなりに有能だとは思っていた。
だが、格下の自分のことなど眼中に入っていないと思っていたのだ。
だから、そこまで綿密に自分の領地が調べられているとは思わなかった。
しかし、実際にはグリモー侯爵はエルバーン伯爵を非常に高く評価していた。
その認識の違いが、ここで出てしまったのだ。
こうしてゼノが出撃していった後、エルバーン伯爵は自分の兵2千で砦を守ることになった。
グリモー侯爵の指揮する前方の敵3千だけなら何とかしのげるだろうと思っていた。
エルバーン伯爵も、戦巧者ではあるのだ。
だが、本来エルバーン伯爵は内政型なのでどうしてもゼノには劣る。
敵からすれば、鉄壁のゼノから少し隙のある相手に変わってくれたことになる。
その分、グリモー侯爵の兵は勢いを増した。
さらに、グラウベルト王が2千の増援を寄越す。
侯爵が伝令を使って依頼していたのだ。
この増援はとても効果的だった。
有能で戦上手なグリモー侯爵の3千の兵を、エルバーン伯爵は砦の利もあって何とかかわしていた。
だが、5千対2千となると荷が重い。
「くっ、グリモー侯爵がここまで戦上手だとは……」
エルバーン伯爵は必死で指揮をとりながら、ゼノが早く戻ってくることを祈るしかなかった。
***
どんどん犠牲は増えていく。
リディアは傷病兵の手当てをしていたが、戦っているすぐ後ろに行かないと間に合わないほどだった。
今にも砦を落とされそうで、後方に怪我人を運んでいる余裕もないのだ。
手当をしてすぐに持ち場に戻る、そういう兵をリディアも懸命に治療した。
そうして怪我人のところに向かって右往左往していると、目の前で味方の兵が斬り殺されてしまった。
そして、敵兵はリディアにも斬りかかってくる。
「!」
リディアも咄嗟に短剣を抜いて応戦する。
山賊ヴォルドに鍛えられた腕はなまくらではない。
襲いかかってきた兵を斬り伏せる。
しかし、さらに2人の兵が襲いかかってきた。
2対1だとさすがに厳しい。
リディアは形勢不利となり、敵の攻撃をかわすのが精一杯となる。
その時、上空で時折雹を降らしていたルナがリディアの後ろに降り立った。
そして、その目が光る――!
敵の動きが止まり、その目に恐怖の色が浮かぶ。
最初は目の前の2人だけだったが、動かなくなる敵兵が増えていく。
「これは刺客に襲われた時と同じ……まさか5千の兵を止めるつもり!?」
グオオォォォォ!
という咆哮が響きわたる。敵兵の動きがどんどん固まっていく。
――と共に、ルナの肌から血が溢れる。
バチバチという音が鳴り、ルナの全身を微弱な光が包む。
血を吹き出しながら叫び続けるルナ。
「だめえっ!」
そう叫んでリディアがルナに抱きついた。
その瞬間ルナを覆っていた光が消え、ルナの目も元通りになる。
敵兵の動きも戻るが、恐怖と混乱で勢いは落ちている。
止まっている間に突き落とされた兵も少なくない。
「力を使い過ぎないでって言ったでしょう!自分を犠牲しようとしないで!あなたにも幸せになって欲しいの!」
リディアは、ルナにそう叫ぶ。
ルナはリディアの瞳をじっと見つめ、上空に飛び立った。
「でも、ありがとう……ルナ」
リディアが助かったこと、そして敵兵の勢いが落ちたことは確かだった。
***
「何だ今のは!」
グリモー侯爵がわめく。
グリモー侯爵も動けなくなり、恐怖を味わったのだ。
兵の動きも鈍くなっている。
「これが聖獣の力か……だが、そんなものに怯んでいる場合ではない。みなの者、恐れるな!もう体は自在に動くであろう!これが聖獣の力の限界だ!態勢を立て直すのだ!」
グリモー侯爵の檄によって、兵は一気に息を吹き返す。
戦上手なうえに兵の鼓舞にも長けているのだ。
そうして数で優勢なグリモー侯爵は、火の出るような勢いで砦への攻撃を再開した。
皆が前進し、砦を落とそうと躍起になっていた。
「もう少しで落ちる」その高揚が、侯爵の全身に回っていく。
誰もが前を向いている。
「これで恥をすすぐことができる」
そうつぶやいた瞬間、――侯爵の喉を矢が貫いた。
「な、に……?」
侯爵の目が矢の飛んできた方向を見据える。
その視線の先には、弓矢を構えて不敵に笑う侯爵の見知らぬ男――ガロの姿があった。
侯爵————!!




