思惑
グリモー・ハルデン侯爵領の物資を奪い、館を焼き払った国境騎士団を、エルバーン伯爵が兵を率いて迎えに来た。
万一追撃があってはいけないということと、これから国境奪還戦に向けて兵を鍛えておきたいという思惑があった。
国境騎士団は全員伯爵領で安全な夜を過ごし、体を休めた。
ゼノやリディアとエルバーン伯爵は、情報交換や今後の方針を話し合うために兵糧庫にこもった。
「なぜこんなところで……」
ゼノは不思議に思ったが、集まったメンバーを見て納得する。
エルバーン伯爵、ゼノ、ゼノの副官、リディア、そしてルナである。
騎士団と出会った時も、伯爵はゼノとの挨拶もそこそこにリディアに話しかけ、ルナのことを根掘り葉掘り聞いていた。
「伯爵様は随分ルナがお気に入りのようですね」
リディアがそうからかうと、伯爵は
「いや、聖獣様はおそらく人間の言葉を理解していると思うのです。我々の話し合いの中でも何か教えを与えてくれるかもしれません」
と真剣な顔で言った。だが、その手はルナを撫でている。
もう3mくらいの大きさになったルナも、なんだか自分を慕っているらしい人間を気に入っているようだ。
大きな体をすくませて、頭や腹を撫でさせたり「フルルゥ」と鳴きかけたりしている。
「私の館では聖獣様が窮屈にお思いでしょうから、ここが一番良いのでございます」
兵糧庫を話し合いの場に選んだ理由を、伯爵はルナに抱きつきながら語った。
エルバーン伯爵は、ずいぶん可愛らしい人柄のようである。
——確か年齢は40を超えていたと思われるが。
しかし、エルバーン伯爵は決してただの聖獣マニアではない。
「王都に援軍を依頼しておきました」
ルナと戯れながら、伯爵はそう言った。
「ゼノ様からの連絡は、全てグリモー侯爵のところで止められていることでしょう。恐らく兵糧の催促もされたでしょう?それは王都どころか私のところも通過しておりません」
「やはりそうか。だが、グリモー侯爵領よりも王都に近いここからならその連絡を邪魔する者はいない」
「しかし、ヴァルハルゼン軍1万3千、グリモー侯爵とその周辺領主の兵が7千、合わせて2万ですか……」
国境騎士団の兵はエリザベートによって減らされたため今は2千、エルバーン伯爵の兵もせいぜい2千程度。
エルバーン伯爵は、ゼノの兵糧依頼の連絡を受け取ってから急いでグリモー侯爵領との境の防備を強化している。
さらに周辺の親しい領主にも兵力の供出を依頼しているが、その返事はまだ返ってきていない。
国境陥落の報を聞いて、それらの領主は慌てふためいているだろう。
グリモー侯爵とその周辺の領主が一斉に裏切ったことで、いきなり自分の領地がヴァルハルゼンとの前線になった者もいる。
そういった者は、迷いの中にいることだろう。
だからこそ、次の戦は負けられない。
ここで負けてしまったら、ヴァルハルゼン側に寝返る者が続出する恐れがある。
それを避けるためにも王都からの援軍は一刻を争う。
もちろんそれはヴァルハルゼンもわかっているはず。
だから、援軍が到着するまでもたもたしていることは考えられない。
近隣領主への調略を進めながら、兵力が圧倒的に優勢なうちに一戦交えようとしてくるだろう。
「次の戦が肝だな」
「2万対4千……」
リディアが絶望的な声を上げる。しかし、エルバーン伯爵は胸を張って言う。
「数の上ではそうですが、一度に2万人が攻め寄せてこられるわけじゃありません。私の領地での戦、簡単には負けませんよ」
その意味を理解したようにルナは「フルルゥ」と喉を鳴らし、伯爵の顔を舐めた。
とろけそうな笑顔で顔を舐められている伯爵を見て、リディアとゼノは顔を見合わせて笑った。
***
ヴァルハルゼン王グラウベルトは、苦虫を嚙み潰したような顔をしていた。
グリモー・ハルデン侯爵。目端の効く男だと思っていたが、国境騎士団を無傷で逃がしてしまうとは。
そのうえ侯爵領の物資を奪われ、館も焼かれてしまったらしい。
「買い被りだったか……」
侯爵からの報告を聞いている間、グラウベルトは平静を装っていた。
味方になるものを委縮させても仕方がない。
器の大きいところを見せておいた方が、忠誠心も高まるだろう。
「どうせ強い方につくだけだろうが」と思いながらも、人心掌握の姿勢を見せた。
だが、計画が狂ったのは確かだった。
周辺領主を寝返らせるために一気呵成に攻め込みたい、とグラウベルトは思っていたのだ。
グリモー侯爵領で物資を補充し、1日の休息で兵の鋭気を取り戻したらすぐに南のエルバーン伯爵領を攻める、というつもりだった。
物資の輸送というのは簡単な仕事ではない。
2万人分の物資を荷車に乗せて運ぶスピードは、普通の平地でも歩兵の半分以下だ。
そのうえ慣れない他国の領土で、しかも山が多く高低の激しい場所ではさらに遅くなる。
通常は荷駄隊の到着を待たないと、作戦行動を起こすことはできない。
それがグリモー侯爵領の物資を利用することで電光石火の作戦を遂行できる、というのが今回の侵略の成功を確信した理由の一つなのだ。
その目論見が外れたことは腹立たしく思うが、それで諦めるグラウベルトではない。
「数日の猶予を与えることになったが、こちらが優勢なことに変わりはない。次の戦で国境騎士団を蹴散らし、一気に勢力図を塗り替えてくれる」
グラウベルトの不敵な笑みが、月明かりに浮かんでいた。
久しぶりにエリザベートの名前が出てきました。リディアを追放した公爵令嬢で、政治に興味のないレオン王太子の分まで頑張っています。ただ経費削減に熱心になり過ぎてグラウベルトの甘言に乗り、あちらも兵を減らしたのだからと国境の兵士を減らしてしまいました。
自分が記憶力に自信がないので、覚えてもらえているか不安です。




