逃亡
7千の兵を率いて国境に到着したグリモー・ハルデン侯爵は、城壁にラグリファル王国とゼノの旗がはためいているのを見た。
その7千の中には、隠し砦に詰めていたヴァルハルゼン兵も混ざっている。
それは兵力増強の意味もあるが、主にグリモー侯爵の見張りの役目があった。
グラウベルトは、寝返ったからと言って盲目的に信じたりはしない。
グリモー侯爵も、それは承知の上だ。
「思ったよりも粘っておるようだの」
そう言いながら、グリモー侯爵は手柄を立てるチャンスだとも思っていた。
ここで大きな働きをすれば忠誠を示すことができるし、恩賞も大きくなるだろう。
だから、むしろまだ国境が落ちずにいてくれたことを嬉しく思った。
グリモー侯爵は到着したことを知らせる狼煙を上げると、高らかに叫んだ。
「グラウベルト様に我らの力をお見せするのだ!国境を落とせ!」
***
撤退を決めると、ゼノの行動は早かった。
まずはエルバーン伯爵に撤退するから庇護して欲しいと手紙を書き、ルナにそれを運ばせる。
そして食糧の準備や通っていく道筋の決定。
グリモー侯爵も国境を目指しているだろうから、鉢合わせしないように道を選ばないといけない。
恐らく街道を通ってくるだろうが、念のため斥候を放ちながら進む。
その斥候の人選も決めておかなくてはいけない。
戦わずに逃げる——ゼノは自らの責任においてこの決定を下した。
騎士道に反しようが何だろうが、国を滅ぼすわけにはいかない。
必ず戻ってくる、そう心に誓ってゼノは国境の城を後にした。
夜陰に紛れ、見つからないよう静かに脇道を進んでいく。
この屈辱に涙を流す騎士もいた。
昨日の戦いでは敵を圧倒していただけに、悔しくて仕方がないのだ。
だが、ゼノの決定に従うことに不服はなかった。
この団長が決めたことだから、それだけで部下たちは迷わない。
グリモー侯爵の裏切りも伝えられている。
お調子者のエディンが
「兵糧が届かない時点でグリモー侯爵が怪しいと思ってたんだよなあ」
とうそぶく。
一言もそんなこと言ってなかっただろうが、と隣にいた者がツッコむと、周りのものは笑いそうになった。
「静かに!」
とエディンが注意する。
お前のせいだろ!とみんなが大声でツッコみたいところを必死でこらえた。
悔し泣きをしていた騎士も笑顔になった。
それを見ながら、ゼノはエディンのような存在を貴重に思う。
自分では重い空気を変えることはできない・
その横を行くリディアは
「何も言わずに出てきてしまったけれど、村の人が心配するんじゃないかしら」
などと考えていた。とりあえずの戦闘が避けられたことで、少し余裕が出てきたのだ。
そんなリディアにゼノが話しかける。
「随分体力がつきましたね。我々の行軍に難なくついてくるとは」
「そう言われれば確かに。でも私、山賊の砦で戦も経験したんですのよ」
そこまで言ってからリディアは「しまった」と思った。
ガロが山賊と繋がっていることは内緒だった。
それに戦いに参加したなどと言ったらゼノが心配するに決まっている。
「落ち着いたらその件について詳しくお聞かせ願えますか?」
ゼノのその言葉に、リディアはしゅんとしながら小さい声で
「はい……」
と答えた。
***
「もぬけの殻だと!」
グリモー侯爵の狼煙を見てグラウベルトも攻撃命令を出したのだが、様子がおかしい。
全く反撃してこない敵を前に少し警戒心も芽生えたが、兵が乗り込んでみると誰もいないと言う。
「戦力を温存したか……」
と思いつつも、グラウベルトは
「戦わずに逃げるとは騎士の風上にも置けぬ!このような腰抜けばかりならラグリファルを手中に収めるのもたやすいことぞ!」
と叫んで士気を高めた。
***
その頃、逃避行を続けているゼノの下にルナが戻ってきた。
エルバーン伯爵の手紙には、「庇護はもちろん構いませんが、それよりもグリモー侯爵領の守備が薄いのではありませんか?」と書いてあった。
グリモー侯爵は挟み撃ちで国境騎士団をせん滅するつもりだったのだ。
だからそれほど守備兵は置いていないに違いない。
「ひとまず意趣返しをしておくか」
ゼノは不敵に笑った。
お読みいただきありがとうございます。
エディンは40話に出てきた騎士団内のお調子者キャラです。そんなに重要なキャラではありません、多分。
気付いたら52話でした。予定より長引きそうかな。
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