無骨な騎士団長との出会い
辺境の村・ミルファーレに来てから、リディアは平穏な日常を送っていた。村人たちとの交流も順調に深まり、朝には村の子どもたちと一緒に畑を手伝い(貴族育ちなのでまだ農業において十分な戦力とは言い難い)、昼には聖獣の子どものルナと遊んだりしていた。
ルナはリディアと一緒にいることが多いが、リディアが畑仕事をしている時は森に行くこともある。
リディアはここで人と暮らしていくためのしつけをルナにすることはあるが、自主性を妨げることはない。リディアの中には、聖獣であるルナに対する敬意があるのだ。だから、そんな時は畑仕事が終わるとリディアがルナを森に迎えに行く。
その日もルナの様子を見に森の奥へ足を運び、一緒に家まで帰ろうとしていたた。その道中、普段とは違う道を通って帰っていると(まだミルファーレに来たばかりなので周りを知るために色々な道を散策している)、地面を踏みしめる重々しい音が聞こえてきた。
「……あれは、訓練?」
木々の合間から覗いたその先にあったのは広い訓練場と、そこで剣を振るう十数人の兵士たち。
その中心に立っていたのが、灰色の外套をまとい、鋭い眼差しで訓練の様子を見つめる男――辺境騎士団長、ゼノだった。
「なるほど、あの人が……」
村人の話では、辺境を守る騎士団は王都とは別の独自の方針で動いており、隊長であるゼノは寡黙で冷徹、そして少し気難しい人物として知られているという。
その話の通り、彼の指導は厳格で訓練中の兵士が剣を取り落とすと、ゼノはすかさず無言で前に立ち、鋭い目で立ち直らせる。
笑顔など一つも見せないその姿に、リディアは思わず息を呑んだ。
「近寄らない方が良さそうね……」
そう思ってそっと立ち去ろうとした瞬間、ゼノが小さく手を挙げ、訓練を中断させた。
そして兵士たちに何か短く指示を出すと、ふっと周囲を見回した。
その視線が、木の影に佇んでいたリディアの方へまっすぐ向けられる。
「貴殿は確か……」
ゼノの言葉に、リディアは軽く頭を下げた。
「リディア・グレイス・マクレインです。すみません、お邪魔をしてしまって……」
ゼノは訓練場の隅にあるベンチに目線を移すと、顎を軽くしゃくった。
「貴族様なら、国境を守る騎士団の訓練も見ておくといい。いざという時の判断の役に立つだろう」
リディアはゼノの言葉にやや躊躇いながらも従い、静かに訓練を見守ることにした。
再び始まった訓練は、見事なものだった。剣の動き、連携、合図――すべてが無駄なく流れるようであり、ゼノの統率力がいかに高いかが一目で分かった。
そして休憩の合図が出された後、兵士たちが一斉に水を飲みに向かう中、ゼノは彼らの間を歩いて短くも労いの言葉をかけて回っていた。
口数は少ないながら、その背には揺るぎない信頼があるように感じられた。
「冷たいだけの人、じゃないみたいね……」
リディアがそう呟いた時だった。背後で鳴いたルナの声に気づいたゼノが、ふとリディアの傍へ歩み寄る。
「お前に懐いているのか」
最初は貴殿だったのに、もうお前になっている。
「この子とは、森で出会ったんです。怪我をしていて、手当てをしたらずっとそばにいるようになって」
ゼノは黙ったまま、じっとルナを見つめていた。鋭い目をしているのに、その視線にはどこか優しさが宿っていた。ルナも警戒することなく、ゼノの足元に鼻先をこすりつける。
「珍しいな。聖獣は人に警戒心が強いのだが」
その言葉に、リディアは不思議そうに微笑んだ。
「……あなたには怖がらないんですね。もしかして、動物にも優しい方なんですか?」
ゼノは答えなかった。ただ少しだけ、ほんのわずかに口元が緩んだようにも見えた。
「ここは、王都とは違う。命を守ることに誠実でなければ、生きてはいけない」
それだけ言って、彼はまた騎士たちの元へ戻っていった。凛とした背中に、リディアは目を奪われる。
彼は無愛想で、不器用で、けれど誠実な人だ――リディアはそう確信した。聖獣の子どもを大切に思う心と、兵士たちを労う姿。そのすべてが、彼の本質を物語っていた。
「……また、会えるかしら」
誰にともなく呟いたその言葉に、ルナが小さく鳴いて応えた。
こうしてリディアとゼノの最初の出会いは、静かに、しかし確かに互いの印象を刻んだのだった。