聖獣の記録
王都の朝は、どこか緩んだ空気に包まれていた。
城下の通りには祭りの準備をする露店が並び、子供たちの笑い声が響く。
リディアはその賑わいを見ながら、胸の奥に小さな不安を覚えた。
──まるで嵐の前の静けさだわ。
ガロと二人、中央広場にそびえる巨大な塔を見上げる。
円形の石造りの建造物は、空を突くようにそびえていた。
王国最大の知識の宝庫──中央図書塔。
かつて父と共に訪れた記憶が蘇る。
「行くぞ」
ガロの声にうなずき、リディアは一歩を踏み出す。
塔の入口では、鎧を着た門番が鋭い目を向けてきた。
リディアは緊張しながらも、懐から父マクレイン伯の紋章を示す。
門番は目を見開き、すぐに深く礼をした。
「どうぞ」
道が開かれ、リディアは息をつく。
内部に足を踏み入れると、思わず息をのんだ。
円環状の書架が何層にも積み上がり、天井は闇のように高い。
無数の本と巻物が整然と並び、かすかに古紙の香りが漂っていた。
「久しぶりに来ると、壮観ね」
リディアの声は震えていた。
「そうだな」
ガロは落ち着いた声でうなずいた。
その口調からすると、ガロもこの図書塔に来たことがあるようだ
二人は目録をたどり、古代伝承の棚にたどり着く。だが──。
「……ない?」
聖獣に関連するはずの目録番号をいくつも確認するが、棚は空白のままだ。
リディアは思わず呟いた。
「誰かが……意図的に消したの?」
ガロが眉をひそめる。
「そうかもしれん。だが全部は消しきれてねえはずだ。隅まで探すぞ」
その言葉に励まされ、リディアは書架の隅々まで目を走らせた。
やがて、埃をかぶった細い巻物が、棚の奥に押し込まれているのを見つけた。
「……あった!」
リディアはそっと取り出し、机に広げる。
羊皮紙は黄ばんでいたが、文字はまだ読めた。
そこにはこう記されていた。
かつて王国に降り立った光の聖獣。
その加護を得た者は国を守る盾となり、幾度もの戦乱から人々を救った。
聖獣は人と心を交わす存在であり、契約は血筋や地位を問わず、ただ“選ばれし者”にのみ許される。
リディアは食い入るように文字を追った。
──やっぱり……ルナは聖獣。そして私を選んだ。
だが続く記述に、彼女は息を呑む。
「聖獣の契約者は常に狙われ、その命は幾度も絶たれた。
その力は大いなる守護をもたらすと同時に、契約者に試練を強いる」と。
震える指を止め、リディアは顔を上げた。
「……試練とはいったい……」
ガロがじっと彼女を見ていた。
「怖いか?」
リディアは唇を噛み、そして首を振った。
「試練ならルナと会う前、追放された時からだわ。それに、私は選ばれたの。なら、進むしかない。ルナのためにも」
その声には、何の迷いもなかった。
ガロは口元に笑みを浮かべる。
「嬢ちゃんらしい答えだな。……他には何が書いてある?」
他にも聖獣についていろいろなことが書いてある。
中でもリディアを安心させたのは、聖獣は人間のように食事をしなくても大丈夫らしいということ。
兵糧攻めに遭った時、聖獣は人間の食物を一切食べずに戦っていたそうだ。
食事を楽しんだりそこから栄養を取ったりもしているようだが、光や空気を栄養源とすることもできるらしい。
ずっと眠っているルナが衰弱するのではないかと心配していたが、その点は大丈夫そうだ。
また、聖獣の力は個体によって異なるらしい。
火を噴く聖獣もいれば、氷を吐く聖獣もいたそうだ。ルナの場合は……。
だが、最後まで読んでもルナを目覚めさせる方法は書かれていない。
この状態はイレギュラーなんだろうか。
その他には、聖獣は成長すると4~5mの大きさになるらしい。
というか、大体そこまで成長してからのことしか書いていない。
それが成体で、本来の力を発揮するのは大きくなってからなのだろうか。
ルナは、まだ成長し切っていないのに力を使ってしまったのかもしれない。
だから、力を使い切って……だが、それも推測に過ぎない。
聖獣が子供の頃のことは、ほとんど記載がないのだ。
そこまで調べて二人は巻物を返却し、塔を後にした。
外に出ると、王都の広場は人々の笑顔で溢れていた。
色鮮やかな旗が風にはためき、屋台の香ばしい匂いが漂ってくる。
祭りを控えた王都は活気に満ち、平和が無条件で続いていくことを疑っていないようだ。
だが、すれ違った旅人が漏らす噂がリディアの耳に残った。
「北方の国境が妙にざわついてるらしいな」
「はは、くだらん。王都には関係ないさ」
人々の無防備な笑い声に、リディアは胸騒ぎを覚える。
ルナのことをもっと調べるべきか、村に帰るべきか。
──嵐はすぐそこに迫っている。




