山の修道院
険しい山道を越え、ようやく霧の向こうに石造りの修道院が姿を現した。
あまりに静謐なその佇まいに、リディアは思わず息を呑む。
「……あれが、修道院……」
「この先は、俺が昔世話になった場所だ」
ガロの言葉に、彼女の顔が少しだけ和らぐ。
ここまでの道中を同行してくれた盗賊たちは、門の手前で立ち止まった。
「俺たちはここでお別れだ」
ひとりがそう言って帽子をとり、
「嬢ちゃん、あのちっこいの、大事にしてやれよ」
「もちろん。みなさんも、どうかご無事で」
リディアは深く頭を下げる。その素直な仕草に、男たちは一瞬驚き、そして笑った。
「やっぱり、貴族様らしくねえなあ」
「こんな貴族様の下なら真面目に働いてもいいかな」
そう言いながら彼らは山道を戻っていった。
それを見送った後、重厚な門の前でガロは静かに扉を叩いた。
しばらくの沈黙ののち、内側から鎖の引かれる音が響く。
重たい扉がきしみながら開かれると、白衣の老僧が姿を現した。
「……その顔、久しいな。ガロ殿か」
「久しいな、エルド師」
二人の目が合い、わずかに笑みが交わされる。
門の内側には、整然とした中庭と石畳の道があり、風にたなびく祈りの旗が静かに揺れていた。
リディアは自然と背筋を伸ばし、この場がただならぬ場所であることを感じ取っていた。
「この獣のことを調べたい」
文書庫へ通された一行の目的は明確だった。
最初は渋い顔をしていた修道士長も、ガロの背からそっと顔を出したルナの額がかすかに光るのを見て、態度を一変させた。
古い羊皮紙が並ぶ文書庫は、静寂に満ちていた。
埃の匂いと蝋燭の煙が混じる中、リディアは棚を丹念に見て回る。
やがて彼女の手が、一冊の古代語の記録に触れた。
『聖獣は“選定”により、加護を授ける。その者の命を媒介として力を発す』――そう記された一節に、彼女は思わず声を漏らす。
「ルナが……私を選んだの?」
その手が、無意識に自身の腕に触れる。
そこには淡く浮かび上がる紋章。
記録に描かれた図と酷似していた。
「その獣……似ているな」
傍らにいた老修道士が、ぽつりとつぶやく。
「かつて東の聖堂に封じられた災厄の記録にあるものと」
ルナがただの聖なる存在ではない可能性。
その言葉は重く、リディアの胸にずしりと沈んだ。
「ルナが…災厄?」
「いや、ただの言い伝えですよ。それに、似ているというだけです。ただ、多少不吉ではあります」
だが、彼女は静かに口を開く。
「私はルナを信じています。ルナがどんな存在であっても、私の大切な友達ですから」
その目はまっすぐで、揺るぎがなかった。ガロがそっと頷く。
「いい覚悟だ」
帰り際、修道士長が一冊の書を閉じながら言った。
「さらなる記録があるとすれば、それは王都の中央図書塔かもしれません」
リディアの胸に、かすかに波が立つ。王都――忌まわしい過去。
そもそも、自分が王都に戻ったら捕まってしまうのではないか。
だが、それでも前に進まねばならない。
「行きましょう、ガロ様。ルナのためにも」
そう言って、彼女は静かに歩を進めた。




