邸宅の静謐
春の陽光が差し込むラグリファル王国の首都。その一角に佇むマクレイン伯爵家の邸宅は、白亜の壁と手入れの行き届いた庭園が印象的だった。
その門前に、黒の礼装に身を包んだ青年が立っていた。
ユリウス・グレイ。諜報部に籍を置く彼は、今、ある決意を胸にこの屋敷を訪れていた。
「ユリウス・グレイ様ですね。どうぞお入りください」
執事の案内で邸内に通されると、重厚な扉の向こうから、柔らかな香りと共に、落ち着いた空気が流れてきた。
応接室の扉が開かれると、そこにはギルベルト・フォン・マクレイン伯爵が静かに座っていた。
「初めまして、ユリウス・グレイと申します。突然の訪問をお許しください」
ユリウスが一礼すると、ギルベルト伯爵は穏やかな笑みを浮かべた。
「こちらこそ、わざわざお越しいただきありがとうございます。どうぞ、おかけください」
席に着いたユリウスは、深呼吸を一つしてから口を開いた。
「本日は、リディア嬢の件でお話ししたいことがあり、参りました」
ギルベルト伯爵の表情がわずかに引き締まる。
「あの者は……罪を犯して追放されたと聞いておりますが?」
ユリウスは頷き、慎重に言葉を選んだ。
「実は、リディア様の追放には、隣国ヴァルハルゼンの陰謀が関与している可能性がございます」
ギルベルト伯爵が驚きの表情を浮かべる。
ユリウスは静かに続けた。
「エリザベート様の背後に、ヴァルハルゼンの影が見え隠れしております。リディア様の追放は、王太子レオン殿下を操るための布石であると考えられます」
ギルベルト伯爵は深く頷いた。
「それは……エリザベート・ド・セルヴァ様が、ひいてはセルヴァ家がヴァルハルゼンに通じているということか?」
「セルヴァ家がハッキリと謀反を企んでいるわけではないようです。ただ、セルヴァ家の当主はヴァルハルゼンに情報を流すことで小銭を得ていたようで……」
「ヴァルハルゼンはそこから一歩踏み込んできたのか」
「そこに嫉妬も加わって、セルヴァ家はヴァルハルゼンの計画に乗ったようです」
「ふむ、公爵家の令嬢からすれば、伯爵家に過ぎない我が家から王太子妃が出るのは面白くないのだろう」
「ヴァルハルゼンは、エリザベート様が王太子妃になれば、リディア様を遠ざけることもできるので一石二鳥だと考えているようです。王太子殿下を支えるリディア様のお力も目障りだったようで」
「ふむ、王太子殿下についてはあまり良くない噂も聞くが……そうか、リディアはお役に立てていたのか」
「リディア様がいなくなってからの王太子殿下への評価の下落ぶりを見ればお分かりかと」
ユリウスはさらに言葉を重ねた。
「私は、リディア様の潔白を証明し、王国の安寧を守るために、伯爵様のお力をお借りしたいと考えております」
ギルベルト伯爵は、深く考えてから口を開いた
「私は王家に忠誠を誓っております。ですが、王太子殿下がたぶらかされているとなると一筋縄ではいきません。それでも、王国の未来のために貴方に協力しましょう」
こうして、ユリウスとギルベルト・フォン・マクレイン伯爵は、王国の平和を守るため、そしてリディアの名誉を取り戻すために手を結ぶこととなった。
応接室を辞したギルベルトは、何も言わずに廊下を渡り、奥まった書庫の扉を自ら開いた。そこは彼以外、家族ですら滅多に入ることのない静謐な空間だった。
重々しい扉を閉め、鍵をかける。窓から差し込む午後の陽射しが、埃を纏った空気を金色に染めていた。
ギルベルトは無言で棚を辿り、奥の一角――マクレイン家が関わった過去の政務記録や王宮裁判関連の文書が収められた区画に手を伸ばす。
「リディア……」
彼の口元から、ほとんど聞き取れぬほどの声が漏れた。
王命により速やかに処理された、あの「婚約破棄」。当時も、釈然としない点があった。ギルベルトは娘のためだけではなく、王国の法と記録が歪められた可能性に心を曇らせながら、ひとつずつ丁寧に記録を繰り始めた。
一方、ミルファーレ村では、春を告げる花々が静かに咲き始めていた。
リディアは今日も、ゼノと共に村の子どもたちに読み書きを教えていた。
村民から騎士団に入る者もいるため、以前からゼノは時々こういったことをやっていたが、リディアの細やかな計算や物資の扱いなども覚えて欲しいからとゼノがリディアにも教師役をお願いしたのだ。
それは本心からのものであって、下心だけではない。
「リディアせんせい、これ、読めるようになったよ!」
そう言って本を抱えて駆け寄ってくる少女を見て、リディアは笑顔で頷いた。
「すごいわね、リリィ。ちゃんと練習したのね」
ゼノが遠くからその様子を見て、微笑ましそうな顔をした。その珍しい表情は誰にも気づかれることなく、照れ臭そうな表情へと変化していった。
その夜、リディアは久々に母親の夢を見た。
穏やかな微笑みを浮かべながら、彼女の髪をそっと梳いてくれる母――クラリス。
「リディア、あなたは間違っていないわ」
夢の中の声は、確かに彼女の胸に届いた。しかし次の瞬間、母の背後に黒い影が滲んでいく。まるで絵に墨を垂らしたように、あたたかい光が呑まれていく――
「お母様……!」
はっと目を覚ましたとき、額には汗が滲んでいた。小鳥のさえずりが朝の訪れを告げていたが、リディアの胸には夢にしては妙に生々しい残響が残っていた。
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