静かなる歩み
春の風が吹き渡るミルファーレの丘には、静けさと共に命の気配が満ちていた。
鳥の囀りと草を揺らす音、そして村の子どもたちの笑い声。
それは、王都とはまるで異なる時間の流れだった。
リディアは、村の小さな医療小屋の前で、種の仕分けをしていた。
薬草畑を広げる準備が進んでおり、ゼノの提案で、今年は村人にも薬草の知識を共有することになっていた。
「こっちはエルフェリア、乾燥させて解熱に使うのよ」
リディアは目の前にしゃがんだ少女に優しく語る。
「あの花、青くて可愛い」
少女が笑うと、リディアもつられて笑った。
「ええ、でも使うのは葉と茎よ。花は観賞用ね」
その後方で、重い足音が近づく。振り向けば、ゼノが木箱を一つ担いで歩いてきた。
「リディア……殿の言った通り、土は東側の方が柔らかかった。種はこっちに植える方がいい」
額に汗を浮かべながら、少し不器用に言葉を紡ぐその姿は相変わらずだが、どこか以前より近しく感じられた。
「ありがとう、ゼノ。あなたって意外と几帳面なのね」
リディアが笑って言うと、ゼノはほんのわずかに頬を赤らめ、木箱を地面に降ろした。
子供たちと一緒に大雨の中避難小屋に閉じ込められていたのを助けられて以来、リディアはゼノを名前で(しかも呼び捨てで)呼ぶようになっていた。
ゼノは、それがどうしても気恥ずかしいのだ。だが、ゼノも本当はリディアとの距離を近づけたい。それでも、「リディア殿」と呼ぶのが精一杯なのである。
午後、村の広場で小さな市が開かれた。
リディアは村の子どもたちと薬草茶を売りながら、ふと視線を遠くに投げる。
市場の外れに咲くデルフィニウムの青が、風に揺れていた。
それを見つめた瞬間、また胸の奥が痛んだ。
家族と離れたままの時間、かつての生活、そして失われた未来。
だが、リディアの顔が少し憂いを帯びたのを感じたのか、傍らにいたゼノがそっと声をかけた。
「……あの花、前にも見ていたな。リディア……殿はあれが好きなのか?」
不器用な問いだった。でも、その声には優しさがにじんでいた。
「はい、幼い頃から好きでした。王都では……母が、よく温室に植えてくれていたの」
リディアはそう言って、少し笑った。
「懐かしい記憶ね。思い出すと、今でも胸が詰まるけれど」
ゼノはしばらく何も言わなかった。最近の明るいリディアを見ていると忘れてしまいそうになるが、リディアは王都から犯罪人として追放されてきたのだ。
当然、辛い思いをしてきたのだろう。
しかし聖獣のため、村のため、子供のため、偏屈な猟師や騎士団長のために尽くしている様子を見ると、リディアが罪を犯すとは思えない。
そして、ゼノは思い切ったように呟いた。
「……リディア……殿がここに来てから、村は変わった。皆が前より笑うようになった。俺も……少しは変われたかもしれん。そんなリディア……を、俺は信じている」
ゼノは、少し言葉を震わせながらその言葉を口にした。消え入りそうな声で名前を呼ぶゼノの言葉は、リディアの心に深く届いた。
「ありがとう、ゼノ。そう言ってくれて、嬉しい」
リディアの目が、少し潤んでいた。
諜報員のユリウス・グレイは、ずっと考え続けている。
王太子レオンに疎まれてしまった自分は、余程のことがないと日の目を見ることはないだろう。
レオンのエリザベートへの信頼は、簡単に揺らぎそうにない。だから、自分が掴んだ陰謀を知らせても信じてもらえないだろう。むしろ、こちらが罰せられかねない。
それでは隣国ヴァルハルゼンに寝返ったらどうなるか。
これだけの陰謀を仕掛けてきているのだ。かなり準備は進んでいるのだろう。
そこでただの子爵に過ぎない自分が味方を申し出ても、大した役に立てないのではないか。
そもそも信用できるかどうかわからない者を利用するより、口封じのために消してしまった方が安心だ。実際、ユリウスの中にはまだ王国、そして王太子への忠誠心が残っている。
だから、「このまま知らない顔をして危なくなったら逃げる」という決断ができないのだ。
ガラハルト王は体調を崩していて目通りが叶わない。王太子は自分を信じてくれない。父の代から子爵になったばかりの自分には、頼れる貴族もほとんどいない。
そうなると、現在この件で最も被害を受けている者と協力するのが良いのではないか。陰謀によって理不尽な待遇を受けているとなれば、現状を変えるために動いてくれるだろう。
そう考えたユリウスは、リディアの父、ギルベルト・フォン・マクレイン伯爵の屋敷に向かった。
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