蜜の檻
舞踏会の夜、燦然と輝いたエリザベートの存在は王宮中の視線を釘付けにした。
それは単なる美の顕示ではなく、明確な意志の表明だった。
レオン王太子が彼女の手を取って踊った瞬間、宮廷内の空気は決定的に変わった。
王子をリードする王太子妃、というエリザベートの立場は誰の目にも明白となり、異議を唱える者はいなくなった。
レオンはそれからというもの、国政の場においてもエリザベートの意見を優先しはじめた。
軍政会議では彼女の助言をそのまま読み上げ、老将軍たちの意見を遮る場面すらあった。
若き王太子の判断が揺らぎ、愛妃の言葉が絶対と化すにつれ、長年政を支えてきた者たちは表立っては反論できずとも、内心では不穏な怒りを募らせていった。
その空気を敏感に察知したエリザベートは、反発する将軍や保守的な貴族たちを一人また一人と遠ざける策を講じた。
名目は「若返り」や「体調不良による退任」とされていたが、その裏には彼女の私的な諜報網が動いていた。
旧知の宦官や貴族の間者を使って各家の弱みを握り、脅し、あるいは名誉を守るという名目で自ら手を引かせる。
新たに登用された人材は、ことごとく彼女に忠誠を誓う者たちばかりだった。
やがて、王宮に出入りする上級貴族たちの中には、エリザベートが送り込んだ「私兵」たちの姿が混ざるようになった。
彼らは決して剣を抜くことはなかったが、礼儀を弁えつつも異様なほど整然と動き、視線一つで相手を制する気配を放っていた。
彼らの存在は、王宮そのものに見えない檻を築いていった。
軍の人事にも彼女の手が伸びた。
王太子の裁可を仰ぐ形をとりつつも、実質的な推薦者はエリザベートであることは明白だった。
地方の駐屯軍にいた優秀だが無名な将校が突然昇進する一方、中央の古参将校は理由もなく更迭された。
軍務局長も、すでに彼女の息のかかった者に差し替えられていた。
そんな中、彼女が再び王宮に呼び寄せた一人の女性がいた。
かつてリディアに無実の罪を着せ、彼女を宮廷から追いやる証言をした女官長である。
もちろんそれがうその証言であることを知る者はいないのだが。
エリザベートはその女官長を側近として重用し、礼儀作法や衣装の監督を任せた。
レオンは何も問わなかった。むしろ、エリザベートが自分に代わって政務を司ってくれることに安堵しているかのようだった。
彼の微笑みの隣でエリザベートは静かに目を伏せ、誰にも見せぬ表情で手を組んだ。
一方、諜報部のユリウスは、エリザベートの周囲で進行する異変を冷静に見つめていた。
彼女が取り立てた者たちの過去を洗い直し、王宮の記録を調査していた彼は、ある日不自然な欠落に気づく。
古い議事録や人事資料、王室の内規を記した文書群の一部が、極端に断片化していたのだ。
「消された、というより……処分されたように見えるな」
ユリウスは呟いた。表向きには保管期限を過ぎた資料の廃棄。
だが、その選定基準があまりに偏っていた。
すべてが、エリザベートに関わる期間や人物に集中していたのだ。
王宮は今、柔らかな蜂蜜に包まれたような甘美な静寂に包まれている。
だがその甘さの中にあるのは、逃れようのない粘性と、絡め取られた者が決して外に出られない密やかな罠だった。
ユリウスは机の上に手を置き、深く息を吐いた。
この檻の正体を暴く鍵は、間違いなく“失われた文書”の中にある。
だがそれに手を伸ばすには、あまりに多くの目が光りすぎていた。
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