仮面の舞踏、仮面の顔
王都ヴェルフォートに、冬の気配を孕んだ風が吹き抜ける夜。
王宮の中央広間では、今宵限りの華やかな舞踏会が催されていた。
仮面舞踏――貴族たちが仮面を纏い、身分を隠して踊るこの夜だけは、誰もが自由に振る舞うことが許される。
高らかなファンファーレと共に大理石の階段からゆっくりと姿を現したのは、王太子レオンとその婚約者、エリザベート・ド・セルヴァである。
深紅と黒のレースが交差するドレスに金の仮面を添えた彼女の姿は、まさに夜の女王。
口元に浮かべた優雅な微笑は、見る者すべてを虜にしていった。
「お美しい…あれがセルヴァ家の令嬢か」
「まるで絵画から抜け出したようだ」
貴族たちのざわめきは止むことなく、仮面越しの視線が彼女へと集まる。
だがその注目を真正面から受け止めながら、エリザベートは怯むどころか、むしろそれを愉しむようにレオンの腕にそっと身を寄せた。
一方、王宮の東塔地下――通常の貴族の目には触れない文書室では、一人の黒衣の人物が蝋燭の灯を頼りに動いていた。
手際よく棚から一冊の地図帳を取り出すと、特定のページを開き、そこに記された砦と補給路の図面を写し取っていく。
カリ、カリ……紙に筆が走る音のみが響き、やがてその人物は証拠を一切残すことなく図面を隠し持ち、闇に紛れて姿を消した。
誰も気づかない。いや、気づくようにできていない。それほどに完璧な手際だった。
舞踏会の喧騒は、何も知らぬまま続いていた。シャンデリアの光の下、エリザベートは次々と貴族たちに声をかけられ、優雅に会話を交わしていた。
「わが領地の小麦は、例年よりよく実りましたわ。北の風が、肥えた土を運んでくれたのでしょう」
その一言に、聞き手の男爵は目を見開いた。『北の風』――それは、セルヴァ家内でしか通じぬ合図。
次なる行動の時機を意味する、暗号文だ。
エリザベートは一切の表情を変えず、社交辞令に見せかけてその言葉を発する。
続けて話しかけた別の伯爵には、こうささやく。
「今夜の光は月ではなく、雲の隙間から降る予兆の星ですわね」
それを聞いた伯爵も、沈黙のまま軽く頭を下げて去っていった。
エリザベートの周囲には、華やかな衣装と香水の香りが漂っているが、その奥では確実に、何かが動いていた。
そしてその様子を、陰から見つめる者がいた。
王国諜報部に所属する若き調査官、ユリウス・グレイである。
仮面舞踏の特性を利用して身分を隠し、彼は使用人として舞踏会の裏に潜んでいた。
「やはり奇妙だな。あの令嬢、誰と話してもまるで会話が成立していない。
いや、言葉そのものよりも……表現の仕方が一定の規則に沿っている」
彼の鋭い眼は、すでにエリザベートの周囲に潜む不審な動きに気づいていた。
貴族の中に混ざる、名簿に記載のない仮面の客。
舞踏の合間に何度も目配せを交わす者たち。明らかに意図された“会話”。
ユリウスは冷静に状況を見極め、頭の中で網を張り巡らせていく。
その頃、王都の外縁にある小さな伝令塔では、もう一つの動きが進んでいた。
仮面を被った密使が、暗闇に紛れて塔へと駆け込み、魔導印通信の小箱を起動する。
「至急、標的地へ送信。文言はこう――“北の砦、守備縮小。対応急務”」
淡い光が走り、魔導装置が一瞬だけ震えた。北方国境付近にある、とある宛先へと、その情報は確かに放たれた。
これにより、王国北部に不穏な空気が立ち込めるのは時間の問題となるだろう。
玉座の下で繰り広げられる舞踏と笑顔の裏で、王国の基盤を揺るがすような大きな陰謀が、静かに進行していた。
その中心にいるのは、華やかに笑う令嬢エリザベート。
仮面の舞踏は、真実を覆い隠す仮面の顔を、誰にも見せようとはしなかった。
面白かった、続きを読みたい、
と思っていただけたら
下にある☆☆☆☆☆から、作品への応援お願いいたします。
面白かったら星5つ、つまらなかったら星1つ、正直に感じた気持ちをお聞かせください!
ブックマークもしていただけると本当にうれしいです。
よろしくお願いいたします。