聖獣
「これは聖獣に違いない!ということはこいつがブラッディ・リディアか!」
「こいつらを倒せばまだ俺たちにも十分勝機はある!」
そう口々に言いながら、五十人ほどの兵が森の中から現れた。
ルナは、リディアを守るように立ちふさがっている。
リディアは、呆然とそれを見ていた。
しかし、すぐに我に返ったリディアは叫んだ。
「ルナ、逃げて!」
敵はもう弓を構えている。
自分がルナの背中に乗ろうとしても、その矢で狙われてしまうだろう。
だが、ルナだけならすぐにでも逃げられるはずなのだ。
「グルゥゥゥ!」
ルナはリディアの言葉に従う気などまったくないように敵を威嚇している。
「ルナ!お願いだから私の言うことを聞いて!」
そう言って、リディアはルナの前に出ようとする。
しかし、ルナはそれを許さない。
「ルナ……もういいの。私、もう、疲れちゃった……」
たくさんの死、たくさんの悲劇、それを作り出してきたブラッディ・リディア……。
その仮面をかぶり続けることは……。
リディアは、もう我慢できなかった。
その両目からは、涙が滂沱と流れる。
「最期くらい、我慢しなくて、いいよね……」
そう呟いて、リディアは横に跳んだ。
前に出ようとしてもルナに遮られるので、一気に横に跳んで自分の身を晒したのだ。
「この子は私に付き従ってるだけ。だから私だけを狙いなさい!この子は傷つけないで!」
そう言って手を横に広げ、的になった。
敵は一瞬躊躇したが、一人の兵が矢を放つ。
その矢は狙いを外れ、リディアの頬を掠めて飛んで行った。
リディアの頬から血が流れる。
だが、リディアは微動だにせず立ち続けた。
「やっと、終わるんだ」
そう思いながら、リディアは昔のような優しい笑顔でルナを見つめた。
ルナを拾った時のこと、ルナと一緒に子供たちと遊んだこと、いろいろな思い出がリディアの脳裏に浮かんでくる。
涙を流しながら、微笑みながら、リディアは幸せだった時の自分に戻っていた。
——その時、ルナの目が光った。
グオオォォォォ!
という咆哮が響きわたる。敵兵の動きがどんどん固まっていく。
……と共に、ルナの肌から血が溢れる。
バチバチという音が鳴り、ルナの全身を微弱な光が包む。
血を吹き出しながら叫び続けるルナ。
それは、エルバーン伯爵の砦でリディアが危機に陥った時とまったく同じだった。
「だめぇっ!」
その時と同じように、リディアが叫ぶ。
だが、足が動かない。ルナは、リディアの動きにも制限をかけているのだろうか。
敵兵の顔が、恐怖に染まっていく。
表情以外何も動かせないまま、敵はただうめき声を上げる。
リディアは、必死に叫んだ。
「ルナ、幸せになってって言ったでしょう!私のために傷つく必要なんてないの!もうやめて!」
その瞬間、リディアの頭に声が流れ込んでくる。
***
「リディア、僕を助けてくれて、拾ってくれてありがとう」
「ルナ!?ルナなの!?」
「うん、そうだよ。リディア、僕は君に感謝しているんだ」
「……」
「僕は、聖獣は長い時間を生き続けている。気に入った人と契約を交わし、その人のために力を使い、そしてまたどこかで別の人と契約を交わす」
「契約って、村の外れの祠での紋様のこと?」
「形はいろいろだけどね。リディアの時はそうだった」
リディアは、王都の図書館で読んだ巻物の言葉を思い出す。
かつて王国に降り立った光の聖獣。
その加護を得た者は国を守る盾となり、幾度もの戦乱から人々を救った。
聖獣は人と心を交わす存在であり、契約は血筋や地位を問わず、ただ“選ばれし者”にのみ許される。
「その力は大いなる守護をもたらすと同時に、契約者に試練を強いる」。
そして、意図的に目を逸らしていた続きの部分……『聖獣は、大いなる守護をもたらし姿を消す』
知りたくない認めたくない受け入れたくない、だからリディアは、ガロの前でその部分を口にしなかった。
「そうやって、色々な人のところを渡り歩いてきたのね」
「うん、伝承の話も聞いたよ。確かに国を守ったこともあったけど、ただの貧しい青年の夢を叶えてあげたこともあったし、病気のお母さんを治して欲しいって言う幼子の願いを叶えたこともあった。でも、そういうのはあまり伝わらないんだね。僕は力を使ったらそれを蓄え直すためにしばらく眠るけど、結構人と一緒にいる時期も多いんだよ」
「力なら……今までもたくさん使ってくれたじゃない」
「雹を降らせたり地形を変えたりは、まあ普通に持ってる能力だから。それとは別に、人の動きや運命に干渉したりする、今みたいな特別な力のことだよ」
「刺客に襲われた時も、救ってくれたわ」
「まだ力を蓄え切ってなかったからね。しばらく動きを止めることしかできなかった。そのうえ、昏睡までしちゃった。あの時は迷惑をかけたね。なのに、君は僕のためにいろいろしようとしてくれた」
「そんなこと……」
「僕はね、小さい姿の時は人と過ごさないようにしてたんだ。役に立たないからね。力を蓄えて今みたいに大きくなってから、気に入った人に力を使うの。でもリディアと会った時は、まだ力がないのに罠にかかっちゃって、本当につらかったんだ。それを助けてくれた君には、心から感謝してる」
その言葉を聞きながら、リディアの頭の中には聞きたくない言葉が回り続ける。
『聖獣は、大いなる守護をもたらし姿を消す』
「リディア、君と出会ってから本当に楽しかったよ。まだ力のない僕にも優しくしてくれて、益々人間が好きになった。君のことはずっと忘れないよ」
——『大いなる守護をもたらし姿を消す』
「力なんかなくたって、ルナはルナだよ……」
——『姿を消す』
嫌だ、嫌だ、嫌だ!
リディアは、感情が抑え切れなくなった。
「私を一人にしないでええぇぇぇっ!」
リディアは、喉も千切れんばかりに叫ぶ。
「ルナがいないと無理だよ……!一人じゃ、もう立てないよ。ルナ……ずっと傍にいてよ……お願いだから……」
そんなリディアの頬を、ルナが優しく舐める。
「……これが、最後の力だよ」
***
——そして、リディアの意識が戻る。
周りには、敵兵の死体が散乱している。
「わああああぁぁぁぁっ!」
静かになった森に、リディアの泣き声が響き続けた。




