火攻
「本当に騎馬隊だけで追ってくるでしょうか?」
ダリオ男爵がリディアに問いかける。綱を引っ掛けて騎馬隊を転ばせるという策が、腑に落ちなかったのだ。
リディアは、言葉を選んで返事をする。
「ユリウスの送ってくれた情報が正しければ恐らく、というところですね」
さらに言葉を続ける。
「この策に関しては、うまくいかなくてもいい。こちらとして、騎馬隊だけで追われては困るからそれに対する対策をしていると思ってください」
ダリオ男爵は、少し意味が掴めずに戸惑った。
「私は敵を一網打尽にしたい。そのためには、分かれて追って来られては困るのです。全ての敵兵を谷に追い込みたい。その妨げとなりそうな動きには対策をしておきます」
さらにリディアが続ける。
「一万二千の我が軍が逃げるのですから、敵も多くの兵で追うはず。それでも、例えば歩兵三千だけで追ってきた場合は途中で反撃をします。敵がもう五千送れば勝てると思うような態勢で。そこでまた崩れて、最終的に敵の全軍を谷に追い込むのです」
ダリオ男爵は、リディアの顔に冷酷さを感じた。
「騎馬兵だけが突出してきた場合は、綱で対処するというだけです。もし騎馬兵だけの追撃がなかったとしても、三人の兵がその場を離れればいいだけ」
ダリオ男爵も、用兵には自信がある。
それでも、リディアとは戦いたくはないと思った。
***
ハーゲン将軍の下に、騎兵隊長からの伝令が届いた。
罠が張ってあり、騎兵隊の半数が戦闘不能に至ったと。
城には何の仕掛けもなく、数十分で城門は開いた。
その後、急いで追撃の準備を整えているところだった。
とにかく騎兵隊と合流するべきだ、とハーゲン将軍は思った。
そのまま放置しておいて騎兵隊が全滅すると、今後の作戦にも影響が出る。
そうして急行して聞いてみると、馬の脚を引っ掛ける綱を張っただけらしい。
「面白いからくりだが、そんな仕掛けをいくつ用意できるかな?」
ハーゲン将軍は、むしろそんな小手先の策に頼るリディアに蔑みの気持ちを抱いた。
戦とは兵の士気や戦術を超えた戦略、そして勝機の流れによるものだとハーゲン将軍は考えている。
「崩れた敵に対して堂々と進めば、小手先の策など役に立たぬ」
そう言ってハーゲン将軍は全軍での追撃を命じた。
***
リディアは、ルナに乗って戦況を見ている。
敵の騎兵の追撃が止まったのを見て、リディアは「思ったよりうまくいった」と思った。
騎兵に先に谷に入られたら、こちらの策を見破られる恐れがあった。
ダリオ男爵は、うまい具合に敵に捕捉される速度で潰走を装ってくれている。
その中から、足の速い者は隊列を作って谷に入り込んで所定の位置に着く。
谷の上には、元から戦に参加していない二千の兵が弓を構えている。
***
ハーゲン将軍は、ここで敵将リディアの首を取れると意気込んで歩兵を急行させた。
聖獣はリディアに従っているらしいので、リディアを討ちとれば怖いものはなくなると思っていた。
老練なハーゲン将軍は、自国内の地形に通じていた。
この先のノルデン城に入られると少し面倒だと思った。
野戦で一気に敵を蹴散らしたい、それは武将として誰もが持ってしまう思いだ。
そうして、ハーゲン将軍率いるヴァルハルゼン軍は谷に突っ込んだ。
そこを抜けた後のノルデン城までの道も平野だからこそ、ハーゲン将軍は急いだ。
しかし、そこは行き止まりだった。
知り尽くしているはずのヴァルハルゼン領内、グレイヴェル城からノルデン城までの平坦な道、ここを抜ければ大軍が思う存分展開できる平野。
その場所に、2mほどの切り立った岩の壁ができている。
それは、ルナの力によって隆起した岩の壁だった。
谷の先はかつて平野へと続いていたが、今は岩の壁で塞がれている。
左右は切り立った崖で、逃げ場はない。
落とし穴を掘るのとは比べ物にならない労力が必要なようで、この壁を作った後は疲労が激しく、リディアに甘えていた。
その甲斐あって、この壁はハーゲン将軍に大きな衝撃を与えた。
「何だこれは!?敵はどこだ!?」
自分たちの前を逃げていた敵はどこに消えたのか。
それを探す前に、ハーゲン将軍の肌を不吉な感覚が襲った。
「退け!」
咄嗟に出た言葉は、勢いに乗って前進している兵には届かない。
見覚えのない行き止まりの前で立ち止まる兵士の頭に、火矢が射かけられる。
地面に敷き詰められた油に浸された布が、火矢によって激しく燃え盛る。
行き止まりの壁の横には丁寧に階段が作られていて、負けを装っていたラグリファル兵はそこを昇って谷を見下ろす位置にまで上っていた。
そして、そこから火矢を射たのだ。元から待機していた二千の兵と共に。
谷に誘い込まれたヴァルハルゼン軍は、阿鼻叫喚の嵐だった。
後から後から兵がやってくるため、戻ることもできない。
激しくなる火勢の中で焼け死ぬしかなかった。
そこへ、さらなる悪夢が襲い掛かる。
ゼノとガロの率いる兵が、退路を断った。
開戦時にリディアが上げた狼煙は、ゼノとガロへの合図だった。
分かれて侵攻中のゼノとガロに、主立った兵を率いてこちらに応援に来てほしいとリディアが伝えていた。
ある程度近くに控えていたゼノとガロは、あの狼煙によってこの戦場に急行したのだ。
騎馬兵一千での陽動は、それを悟らせないための動きだった。
ハーゲン将軍の率いる兵は、火攻めに遭いつつ退路も断たれてしまった。




