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5・強面騎士団長、愛妻のもとへと駆ける──!




《少し時間は遡り、フェリシアから離婚話を切り出された翌朝──》



 俺はフェリシアの出発予定時刻の一時間前に玄関ホールに立った。そうして息を詰め、彼女が部屋から下りてくるのを今か今かと待った。


 このひと晩。俺たち夫婦のこれまでと、そしてこれからについて考えに考えた。

 俺はこれまで、政略で好いてもいない男のもとに嫁がされた彼女の気持ちを考慮して関係を急がなかった。ゆっくり彼女の気持ちが俺に向いてくれればいいと、そんな傲慢な思いで日和見を決め込んでいたのだ。

 それがどんなに思い上がった独りよがりの考えであったのかを、くしくも「離婚」の二文字が俺に突きつけた。俺の『フェリシアのためを思って』は所詮、体のいい言い訳にすぎなかった。愚かな俺は夫として彼女の心に寄り添い、歩み寄る努力を怠っていたのだ。


 今さらながら、彼女を大切に思う気持ちを言葉や態度で伝えてこなかったと気づかされた。心で思ったところで、声にしなければ伝わるはずがないというのに。


 彼女を失う未来に震えた。なにを失っても、フェリシアだけは絶対になくすことなどできない。


 宝物のように大切で、掛け替えのない俺の唯一。絶対に手放せない大事な人なのに、どうして全力でぶつかってこなかったのか。苦い後悔に胸が焼かれるようだった。同時に、このままではいられないと発起した。


 彼女の心は既に俺から離れかけてしまっている。しかし、なんとしても繋ぎ止めてみせる!

 今度こそ俺の想いをあまさずに言葉にし、伝えるための努力を惜しまない。無様でも、格好悪くとも、彼女の愛を得んがためどこまでだって足掻いてみせる。そして今度こそ、夫として彼女の隣に並ぶのだ──!


 そしてついに旅装に身を包んだフェリシアが階段を降りてきた。


 彼女は玄関ホールに立つ俺を見ると、驚いたように目を瞠った。今までも彼女の出立時に俺が在宅なら見送りをしてきたが、離婚を切り出した昨日の今日で俺が顔を見せたことを意外に思っているのかもしれない。


 彼女にとって俺は、それだけ不義理な夫ということなのか。内心の緊張をひた隠して笑顔で挨拶する。


「おはようフェリシア」

「お、おはようございます」

「ついに出発だな。アレッポスまでの移動は七日間の長丁場だ。体調は悪くないか?」

「は、はい。問題ありません」


 道中の無事を願い言葉をかける俺に、彼女は丁寧に答えてくれたが、少しだけギクシャクして見えた。


 信頼回復の機会がほしくて気ばかりが急くが、純粋にアレッポスまでの長旅を心配する気持ちも大きかった。ただでさえ暑い中、一日中馬車に揺られるのはきついものだ。加えて彼女がこれから向かう南は王国にあって比較的貧しく、道路等の環境整備も遅れている。

 悪路の移動をフェリシアが細い体で七日間も耐え忍ばなければならないと思うと、胸がキリキリした。


 水を持ったのか問えば、既に馬車に運び込んだと返ってきてホッとする。そして日よけの類を持っていない彼女に、あらかじめ用意してあった母のボンネットを手渡した。亡き母は着道楽で、ドレスの他にも付属品や小物類を多く遺していた。これはその中のひとつで、南に向かう彼女の日よけに最適だと思った。

 遠慮するフェリシアに半ば強引に押し付けてしまったが、彼女は宝物のようにボンネットを胸に抱きしめた。


 ……こんなことなら母のおさがりなどではなく、彼女に似合う新品をいくらだって誂えたのに。

 ボンネットを大事そうに抱える姿にホッとした半面、少し悔やまれた。


「それでフェリシア、昨日の件だが──」


 逸る気持ちを抑え、ついに核心に切り込もうと口を開いた。


 ──ヒヒィイン。


 ところが、俺が皆まで言う前に馬の嘶きが響き、「挽回のチャンスをくれ」と続けるはずだった言葉は無情にもかき消されてしまう。


 出鼻を挫かれて一瞬呆気にとられるが、すぐに気を取り直してもう一度伝えようとした。しかし、それよりも一拍先にレックスがフェリシアに声をかけた。


「ありがとう! 今行くわ。……ラインフェルド様、すみませんがもう行かなくちゃ」


 レックスに答えを返して俺を仰ぎ見たフェリシアの表情は、既に聖女のそれになっていた。聖女の顔をした彼女をこれ以上引き止めるのは憚られ、やむなく内心の焦燥を押し殺して告げる。


「……そうか。道中、体をいとうようにな。気をつけていってこい」

「はい、いってきます」


 フェリシアは俺の目に眩い笑みの残像を刻み、ひらりと馬車に乗り込んだ。

 俺は寂寞の情を抱きつつ、小さくなっていく馬車を見送った。




 それから三時間後。

 俺はもんもんとした思いを燻らせながら、騎士団の廊下を闊歩していた。


 ……離婚回避のための糸口すら見つけられずに、フェリシアが行ってしまった。


 まさか彼女が帰って来るまでの半月、この鬱屈と晴れぬ思いを抱えていなければならんのか!? 馬鹿な! そんなの耐えられるはずがないっ!!


 考えれば考えるほど、居ても立っても居られない思いになる。気がおかしくなりそうだった。


 ──ガチャン、ギィイイイ。


 俺が団長執務室の扉を開けると、副官のグレンが待ち構えていたような素早さで歩み寄り、報告してきた。


「おはようございます、ラインフェルド騎士団長。お待ちしておりました。さっそくですが未明に緊急派遣要請が入りました」


 グレンの一分の隙もない完璧な佇まいと一から十まで察するような鋭い眼差しは、普段なら頼もしく感じるところ。しかし、得るか失うかの瀬戸際にある今は煩わしく思えてしまう。


「聞こう」


 副官に表面上を取り繕って返事をし、話半分に耳を傾ける。


「どうやら例の山賊が活動を活発にしているようで、今月に入り既に三組の商隊が襲われ荷駄を強奪された模様です」

「そうか」

「これらの被害状況から地元の自衛団だけでは対処困難と判断し、我がトレーディア王国騎士団に緊急派遣要請が……あの。聞いておりますか?」

「ああ、〔半分だが〕聞いている。それで、派遣する部隊と騎士らの選定はどうなっている?」


 今ひとつ話に身が入らないのも、やむを得ぬこと。緊急派遣要請に対応する騎士はごまんといるが、フェリシアの夫は俺ただひとりなのだから……まぁ、離婚されかかっているのだがそれはそれだ。


「第二部隊で検討中です。第二部隊隊長を指揮官とし、同隊より二十名を選抜してテグレン市へ──」

「待て! 今、テグレン市と言ったか?」

「はい。山賊の拠点はテグレン市北部の山間地帯ですので」


 テグレン市は、フェリシアが向かったアレッポスの隣接市──!


「俺が行く」

「は?」

「テグレン市への緊急出動は俺が指揮を執る」

「ハァア!? まさか騎士団長が、たかだか山賊討伐に出るとおっしゃいましたか!?」


 グレンが素っ頓狂に叫び、阿呆面で俺を見る。いつも取り澄ましたこの男のこんな顔を見たのは初めてのことだった。


「聞こえんかったのか? 俺が指揮を執ると言った。二度言わせるな」

「……は、はぁ。では、指揮官はラインフェルド騎士団長。随行する騎士は、当初の予定通り第二部隊から精鋭を二十名選抜。移動中の携帯食と物資は既に補給部隊に手配を指示済みで、すべての出発準備完了は午後二時頃の見込みです」


 胡乱な視線を向けつつも淡々と今後の予定について語るあたり、やはり食えない男だ。そして本人には絶対に言ってやらんが、実に有能な男でもある。


「では、二時出発で随行する隊員らに通達を。補給部隊には二時までの準備を厳命しろ」

「承知しました」

「俺が不在中の騎士団長権限は、一時的にお前に移譲する。俺も出発の準備に取り掛かる、後のことは頼んだ」

「ハッ。……時にラインフェルド騎士団長」


 グレンは騎士団式の敬礼で答えた後、しばし間を置いて俺に呼びかけた。


 俺は愛馬の準備に向かおうとしていた足を止め、グレンを振り返る。


「なんだ?」

「帰路についてですが、万が一部隊を離れフェリシア様と帰還なされる場合は、逐一伝書鳩を飛ばして報せてくださいますようお願いいたします。くれぐれも勝手に隊を離脱し、所在や帰還予定日も不明の状態でご夫婦で雲隠れなどなさいませんように」


 なっ!?


「私からは以上です。では、ご武運を──」


 ──キィイイ。パタン。──カツ、カツ、カツ。


 グレンは唖然と立ち尽くす俺の横を颯爽と通り過ぎ、長靴の音を響かせて廊下の向こうに消えていった。


 ……なんということだ。

 まさか、そこまで見透かされているとは末恐ろしい……いや、ここは優秀な副官を持って幸いということにしておこう。


 俺は改めて愛馬の準備に向かった。






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