4・聖女のお仕事
空が茜色に染まり始めた夕刻。石造りの簡素な建物が建ち並ぶのどかな田舎町にあって、ひと際目を引く豪邸の広い庭で馬車は停まる。
真っ白な漆喰壁が目に眩しいこの館は、この地で浄化にあたるのに拠点として利用させてもらう町長の館だった。
馬車から降りると、やたらゴテゴテとした装飾で着飾った五十がらみの夫妻と陰気な目をした二十歳すぎの青年が待ち構えていた。
夫婦は私を見るや、お付きのレックスさんから紹介されるのも待たず、満面の笑みを浮かべて直接話しかけてくる。
「おーおー、これはこれは美しい聖女様だ。よくきてくださった。私はアレッポス町長のゴンザレスと申します。今宵は屋敷にて親戚一同を招き、聖女様歓迎の宴を準備しておりますので、楽しみにしていてくだされ」
耳にして眉間に皺が寄る。
聖女派遣の公平性を保つため、聖女の訪問時の接待や礼物等は固く禁じられている。これは広く知られている常識だ。当然、町長もそれを知らぬはずはないのだが。
「まぁまぁ! なんてお可愛らしいお嬢さんでしょう。私は妻のイザベラ。こちらは息子のアンディノールですわ。ただいま、当家の庭では夏咲きのグラジオラスが見頃ですの。よろしかったら、この後さっそくアンディノールが庭の案内を──」
「せっかくですが荷物だけ置かせていただいたらすぐに貯水湖に向かいます。案内をお願いいたします」
領主夫人の話を遮ってピシャリと言い切る。
本心では、この緊急時になにを考えているのかと怒鳴りたかったが、グッと堪えた。しかも聖女であり、デアランブール公爵夫人である私に町長夫人の『お嬢さん』呼びは、さすがにない。公式な場なら不敬罪で処罰の対象だ。もちろん、あえて追及はしないけれど。
「おやおや! 聖女様は実に熱心でらっしゃる。ですが、もうじき日も暮れますし、足もとも悪い。浄化は明日にしてはいかがかな?」
「いえ、私は浄化のためにここに来ています。視界はまだ十分にききますし、道の悪さについても護衛の方々が付いていますので問題ありません」
「まぁまぁ、本当に真面目でらっしゃるのねぇ」
私の半歩後ろに立つレックスさんが熱り立っているのが気配で分かり、チラリと振り返って目配せで制す。
今はなにより、浄化が最優先だ。不要に揉め事をしている時間がもったいない。
するとここでアンディノールが薄ら笑いを浮かべながら初めて口を開いた。
「ねぇ聖女様。よかったら馬車の中の荷物、僕が運び入れておきますよ」
「助かりますアンディノールさん、よろしくお願いします」
「任せてよ」
馴れ馴れしいしゃべり口とニタニタした彼の表情が不気味だが、申し出それ自体はありがたいので素直にお願いする。
おかげで屋敷に上がらずに、そのまま貯水湖に向かうことができる。
「お前たち! 聖女様をご案内して差し上げろ」
町長に呼ばれて二人の男性がやって来た。ひとりはピカピカの官服をキッチリ着込み、もうひとりはところどころに白っぽい汚れが付着した草臥れたチュニック姿で、なぜか腰帯には鎌を差していた。
「私はアレッポス町役場環境整備課、課長のニーグと申します。町長ゴンザレスの甥にあたります。この度は聖女様の案内役を仰せつかりまして、恐悦至極に存じます」
最初に名乗ったのは官服の男性。顔つきがどことなく町長に似ていると思ったら、どうやら血縁であったらしい。
やたらと腰が低く、貼り付けたような笑みでペコペコと頭を下げる動作を繰り返しているが、一度も私と目が合わない。単純に頼りないし、正直、まともに目も合わさないような人は信用できない。
もうひとりの男性は対照的で、真っ直ぐに私の目を見て丁寧に話しだした。
「あっしは町の自衛団の団長のジェイコブと言いやす。貯水湖まではこっから歩いて十五分ほどになりやす。生憎と馬車を乗り入れるにゃ道が悪くて、歩いていただかにゃなら──」
「おい、お前! 聖女様に対してその野暮ったい口調はなんとかならんのか!? それに、その薄汚れた格好はなんだ? ……ハァ。まったく使えん男だ」
ジェイコブが説明してくれていたら、町長が横やりを入れてきた。
「すいや……いや、すいません」
「ジェイコブさん、大丈夫です。十五分くらいの移動など苦にもなりません。それとジェイコブさんのお話は丁寧でとても聞きやすいから、まったく問題ありませんよ。今後もそのままお話してください。さぁ、案内してくださいな」
慌てて謝罪するジェイコブに、私は笑顔で首を横に振る。
事実、ジェイコブは多少なまりはあるが、意識して一語一語発音してくれているようで聞き取りやすかった。
「へい!」
町長たちに背中を向け、ジェイコブの先導で歩きだす。ニーグがすぐ後ろに続き、さらにその後ろを私が行く。私の横にはピタリとレックスさんが寄り添い、他に精鋭の護衛騎士十名が私の前後左右の守りを固めながら進んだ。
そうしてきっかり十五分後。
「こちらです!」
ジェイコブが指し示す先に、残光を受けて光る湖面が浮かび上がる。ただし水面は透き通った色ではなく、どす黒く変色している。水質もドロリと淀んで見えた。
「なるほど。これでは飲むことはおろか、生活用水としても使うことはできませんね。水の確保にさぞ苦労なさったことでしょう」
「へい。ここいらは良くも悪くもこの貯水湖に頼り切りでしたんで、他に水源などもなく。なんとか溜めた雨水で凌いでおりやしたが、飲み水を確保するのがやっとでして」
ジェイコブの受け答えは明瞭で分かりやすく、とても好感が持てた。
「そうでしたか」
ふいに、遠巻きにこちらを見つめる幾つもの視線に気づく。
なにかしら?
「あー、すいやせん。ありゃあ、うちの近所のやつらですわ。あっしが案内役で呼びつけられたのを見て、聖女様の来訪を嗅ぎつけちまったようで。浄化の邪魔になるようでしたら、追い返してきやすが?」
ジェイコブが申し訳なさそうに告げる。
「いいえ、このまま見てもらっていて大丈夫です」
ジェイコブの申し出に首を横に振る。
実際、彼らの視線は好奇心こそ剥き出しだが、ジェイコブのご近所さんというだけあってか至って好意的だ。見られていてもまったく問題はない。
私は町の人たちの視線を受けながら、レックスさんの手を借りてほとりへと下りていく。水際ギリギリにしゃがみ込むと目を瞑り、意識を集中させる。
ひと呼吸吐きだした後、スッと水面に手を伸ばす。
──ピチャン。
指先が水面に触れた瞬間、全身がふわりと熱を帯びる。清廉な熱は、私の指先からスーッと水面へと流れていく。周囲を静謐な空気が包んでいた。
そうして体感にして一、二分後。
……そろそろいいかな。
水面から指を引き、ゆっくりと目を開ける。目の前の貯水湖は、水底が透けて見えるくらい透明になっていた。
「終わりました」
ホゥッと安堵の息をつき、ゆっくりと立ち上がる。直後、周囲で見守っていた人々からワァッ!!と歓声と拍手があがる。
「す、すげぇえ!」
ジェイコブの率直な声に思わず笑みがこぼれる。
「お見事でした。フェリシア様」
「ありがとう」
レックスさんから差し出された手を取って、湖を背にもとの道へと歩きだす。浄化の後は少し怠さが残るからありがたかった。
「ありがとうな、聖女様! あっしは学がねえから、なんつって礼を言ったらいいか分かんねぇけど、奇跡でも見てるようだった。ほんと感謝しかねえよ」
「私も町の方々のお役に立ててよかったです。ジェイコブさん、つかぬことを伺いますが腰に剣ではなく鎌を差しているのはどうしてですか?」
浄化の責任が無事に果たせたことで気持ちに余裕が出た私は、ジェイコブに気になっていたことを尋ねた。
「いやぁ。お恥ずかしい話ですが、まともに切れる刃物がこれしかねえんでさぁ。大昔の剣も倉庫にあるっちゃあるんですが、今じゃ錆びて使い物になりゃしねえ」
「新調はされないのですか?」
「あー、予算が割かれねえんですわ」
予想外の言葉に私は目を丸くした。
……剣が錆びてるのに、予算を出せない? いやいや、そんなへんな話はない。
乾燥し痩せた土地が多い南の地域にあって、アレッポスの町は幸運にも水量豊富な河川がある。しかも、河川を堰き止めて造った貯水湖まで有し、その潤沢な水資源に下支えされて農業だけでなく染物、織物といった繊維産業から工業まで製造活動が盛ん。
要は税収源に事欠かない。本来、アレッポスはかなり財源豊かであるはずなのだ。
「ま、まぁ実際自衛団たぁ名ばかりで、団員は町人の寄せ集めですんで。かく言うあっしも恥ずかしいことに本業は農夫で、団長たぁ名ばかりでして。金かけて装備整えたところで使うモンがこれじゃ、剣が泣くってなもんでさあ。鎌で十分なんですわ」
私が黙り込んでいると、ジェイコブが慌てた様子で付け加えた。視界の端に、ジェイコブを睨みつけるニーグの姿が見えた。
ジェイコブのどこが恥ずかしいというのか? それは違う。
自衛団を名ばかりの組織にし、隊員にまともな訓練もさせず武器の支給すらしないでいるのは町長の怠慢だ。そのくせ、町の有事には自衛団を矢面に立たせるのだろう。
ダメだ、すごくムカムカしてきた。
「ところで町長館の壁はここ数日で壁の塗り替えを行ったようですが、水の確保もままならない中、よく引き受けてくれる業者がありましたね。町の外の業者が引き受けたのでしょうか?」
「あー、あっしらが昨日まで駆り出されてたんですわ」
ジェイコブが頭をポリポリ掻きながら答えた。
「生活用水の確保に町中が苦慮する中でですか!?」
「お言葉ですが、聖女様を薄汚れてみすぼらしい館にお迎えするわけにはまいりません」
ギョッとして聞き返した私に、ここまで空気のように付き従っていたニーグが横から答えた。相変わらずキョロキョロとさ迷う目線が私と合うことはないけれど、声にはどこか傲慢さが滲んでいた。
……薄汚れて、ね。それは先ほど町長がジェイコブに向けて放った単語と同じだった。
今なら分かる。ジェイコブのチュニックの汚れは漆喰の塗り替え作業で付いたもの。そして彼は、衣服の洗濯にすら事欠く状況にあるのだ。
「そうですか、私の為にしてくださったのですね」
私は内心の憤りを隠して微笑んだ。
どうやら汚染されているのは、水源だけではないらしい。この町で〝浄化〟が必要なのものは別にある──。
「もちろんです。すべては聖女様に喜んでいただきたいがため」
「なるほど。あなたのお考えはよく分かりました」
私は鷹揚に頷き、微笑んで続ける。
「ではニーグさん、私がもっと喜ぶようにひとつ頼まれてくれませんか」
「は、はい。なんでしょう」
「先に館に戻り、『晩餐用の料理はすべてパンに挟み、手で持って食べられるようにして、バスケットに詰めておくように』と町長に伝えてくださいませ」
「は?」
ニーグは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「あら、いやだわ。肩肘張った晩餐はもう古いわ。手軽なワンハンドスタイルが王都では流行の最先端なのよ」
「な、なるほど。さようでございましたか」
私は「分かればよろしい」というように鷹揚に頷く。
ちなみに王都でそんな流行りはないし、完全なでまかせだ。
「それと私たちは少し散策してから館に戻りますが、その際は町長と奥様にはぜひとも盛装で出迎えいただきたいわ。だって、浄化をなした記念の夜ですもの」
「なるほど。そのお気持ちはよく分かります」
「でもね、私も美しく身を飾りたいのだけれど、なにぶん急いで出立したので宝飾品の持参までは手が回りませんでしたの。奥様に宝石類をお借りすることはできるかしら?」
「それはもちろん。聖女様にでしたら、伯母上は喜んで提供してくださいますよ」
ヘコヘコとニーグは頷く。
「よかった! 自分でドレスに合うものを選びたいから、できるだけ種類を多く出しておいてもらえるようお伝えくださいな」
「かしこまりました」
「では、たしかに伝言を頼みました。くれぐれも私が帰るまでに先ほど言ったこと、すべて万端に整えておいてくださいね!」
「しょ、承知しました」
異論、反論は受け付けないとばかりにニーグとの話を切り上げると、私はジェイコブと護衛の騎士たちを伴って町の中心部へと足を向けた。
相変わらず周囲には興味津々でこちらを窺う町に人たちの姿があったが、気にせずジェイコブに話を振る。
「ねぇジェイコブさん、町の各種予算は町長や役場のお偉方が決めているのよね」
「へい」
「……そう。ところで、自衛団は役場や公民館の見回りもなどもしているのでしょう。鍵を管理していたりもするのかしら?」
「へい、もちろん。それが自衛団の仕事でもありますんで」
私が頼まれたのはアレッポスの浄化……よしっ。こうなったらアレッポスの町、まるまる綺麗に浄化しちゃうんだから──!
そうと決まればまずは町役場に突撃だ。
物言いたげなレックスさんの顔は、あえて見ないふり。決意を新たにした私の足取りは軽かった。