40 経営報告
狂獣薬事件から1ヵ月後。
緊急報告の場で決まった通り、帝国は現状維持を貫いた。いや、見て見ぬふりと言った方が正しいか。
アイザックは心底悔しそうにしていたが、やはり大戦争の引き金は引きたくないらしい。
事件から1週間後、教会から連絡を受けたアリッサはシスター・マリアより『殲滅完了』の報告を聞く。既に帝都内には狂獣薬は無いと判断され、教会はいつも通りの日常を取り戻している。
同時にアリッサも己の中で狂獣薬の件に関しては一旦の終了としたようだ。その証拠に彼女が書いた経過報告書には『薬物の発見及び被害者の追加発見報告無し』と書かれていた。
と、これが昨日までの話。
帝国では本格的な冬が訪れ、帝都の街は雪で白く染まっていた。深夜から朝にかけて雪が吹雪く日も多く、帝国帝都には年間で唯一犯罪件数が激減する時期がやって来た。
さすがに雪が降り積もり、寒さで身を震わせる時期が訪れると、帝都で暮らす悪徳貴族や犯罪者も家に閉じ籠るか暖を取って動かなくなるようで。
一方で最近のアリッサも拠点に用意した執務室内での書類作業が激増。
しかし、今日のアリッサはペンを書類の上に放り投げ、革張りの椅子に背を預けながら天井を見上げていた。
「うーん……」
片手には火のついた紙タバコ。うんうんと声を漏らしながら悩んでいる時間が長いせいか、タバコの灰が今にも高級絨毯の上に落ちそうになっていた。
一体何を考えているのは不明であるが、彼女の顔は真剣そのもの。天井を見つめる目は確実に別の何かを見ていると思えるのは容易であった。
すると、執務室のドアがノックされる。アリッサがノックの音に反応すると指に挟んでいたタバコから灰が遂に落ちた。
「どうぞ」
「失礼します。ベルトマン様がいらっしゃいました」
「殿下。失礼致します」
執務室にやって来たのはローラとベルトマンと呼ばれた老紳士。ベルトマンはアリッサが経営する商会の雇われ会長であり、アリッサの指示の元で商会を運営する経営者であった。
ローラはいつも通りのメイド服。
ベルトマンは三つボタンの紺色スーツと紺のネクタイ。
彼は片手に被っていたハットを持ち、もう片方の手には革の鞄。アリッサの前で姿勢よく立つと胸にハットを当てて礼をした。
「ベルトマン。わざわざ来て頂き、ありがとうございます」
「は。例の件の報告と併せて、別件もお話させて頂ければと参りました」
別件とは何だろう、とアリッサが少し首を傾げるとベルトマンは革の鞄から書類を取り出してアリッサへ提出した。
彼が差し出した書類に目を通すアリッサの顔つきは真剣なものから徐々に笑みへと変わっていく。
よほど良い知らせが含まれていたのか、最後には「ふふ」と小さく笑い声を漏らすほどであった。
「上手くいきましたね」
「はい。殿下の的確なご指示のおかげでございます」
彼が手渡した報告書の中に書かれていたのは、シャターンが経営していた商会が持っていた商材に関してであった。
シャターンは帝国で5本の指に入るほどの大商会を経営しており、扱う商材も幅広かった。
彼が大好きだった宝石から中間層向け市場に卸す食材まで、本当に幅広く扱っていたのだが……。
「提携先の農家は全て押さえました。それと鋼材の輸入先と輸入ルートの確保も完了済みです」
「はい。宝石と金は城の貴族にちゃんとくれてやりましたか?」
「はい。城で手続きを行った際に横槍は入りませんでしたし、商会への嫌がらせも今のところありません」
近年の帝国貴族が商会を経営する上で一番確保したい思う商材は宝石や金などの煌びやかな物であった。
貴族が煌びやかな物に囲まれているというイメージ通りでもあるが、それらは売れれば大きく利益が上がるし、貴族の商売相手は貴族だからという事もある。
貴族が中間層向けの食糧生産地を得てもそうメリットは無い。
貧困層とブラックマーケットの関係にもあるように、帝国経済と労働力確保政策のせいもあって食料品や原材料に暴利を掛けて市場へ卸す事ができないからだ。
貴族も下々が飢え死にして、働き蟻がいなくなるのも困ると自覚しているが故にこの禁忌を犯す者はいない。
よって、アリッサが経営する商会が農地を確保しても貴族達は気にもしない。
鋼材もそうだ。こちらは魔導技術関連で入用となるが、帝国が生産する魔導具の大半が国営工場産。そちらは既に提携先である仕入れ商会が決まっているのでほぼ関係無し。
シャターンが鋼材を扱っていたのは西部と東部への輸出、一部を帝都に卸していたようだがシャターンが死亡した後にすぐ代わりが見つかったと報告が上がってきていた。
以上の事からアリッサの商会が農地と鋼材を確保しても特に何もしてくる様子はないようで。
「馬鹿は光物が大好きですからね」
ふふ、と笑うアリッサにベルトマンはどう反応して良いか分からず苦笑いを浮かべていた。
「さて、当初から狙っていた物は確保できたので……。指定した量を契約した倉庫内で備蓄して下さい。残りは順次、ブラックマーケットと南部に流すように」
「はい。既にズロア商会と南部を仕切る輸入商会との契約は済んでいますが……。難航すると思っていたブラックマーケットは随分とスムーズに参入できたな、といったという印象です」
ベルトマンはアリッサの指示にいつも疑問を持たないが、初取引となるズロア商会との契約が思いの外スムーズで驚いている様子。
「でしょうね。この前の捜査で面識はありますし。ローラを見て気付いたのでしょう。何か言われましたか?」
「いえ。特にはありませんでしたね。価格も適正価格――救済支援価格でしたので」
支援価格とは労働者確保政策で定められた特別な取引価格である。通常の市場価格よりも1割落とした値段で卸取引される事から(弱者)救済支援価格とも呼ばれている。
その値段で買い付け、ズロア商会が暴利という名の特別料金を上乗せ。上乗せ分が政策を指揮する貴族の懐へ……といった寸法だ。
アリッサの商会は明らかに損しているが、彼女はそれで良いと指示を出した。彼女曰く「弱者は数を生む」と言っているが……。
「鋼材は予定通りに東へ輸出して下さい。あと、このリストに書かれた物は倉庫で確保しておくように。次から確保する物は適時リストにして渡します」
「承知しました。以上で新規取引の報告は終了です。次に殿下がお求めになられた物なのですが、1つ見つかりました」
「本当ですか!?」
ベルトマンの報告にアリッサは椅子から立ち上がるくらいの驚きを見せる。
それほど欲しかったのか、とベルトマンも目を点にしてしまった。
「コホン。失礼しました。それで? どれが見つかりましたか?」
「あ、はい。魔石です」
彼女の咳払いでベルトマンも正気に戻り、彼もまた咳払いを1つ。お互いに気を取り直して報告が始まった。
「そう。魔石か……。一番現実味があったやつね。どこで見つかったのかしら? マギフィリア?」
アリッサが椅子に座り直し、背もたれに寄りかかると見つかった場所を問う。
彼女の予想では魔石の埋蔵量が多いマギフィリアかと思われたが――
「帝国西部のアーティレです。領主の治めるアーティレ貿易都市で取引中に情報を入手しました」
「うっそ……」
今日のアリッサはいつもより表情豊かだ。いつもの作り笑顔だけでなく、驚く顔はいくつも浮かぶ。
特に魔石が見つかったという場所、帝国西部アーティレ地方は同盟国であるマギフィリアとの貿易拠点がある。
その貿易拠点の名がアーティレ貿易都市というのだが、ここにはいくつか魔石鉱山が存在する。
本場であるマギフィリアには敵わないが、それでも多少の埋蔵量があって帝国独自に発掘を進めてきた鉱山、その1つから見つかったという。
彼女が驚いたのは思った以上に近くで見つかった事。加えて、その地方は母の出身地でもある。
「現物は領主が持っているとか。私ではさすがに貴族の方へ問い合わせできませんので……」
「ええ。私が行います。しかし、アーティレですか……。あそこの埋蔵量は少ないと聞かされていましたから驚きです」
「なんでも、マギフィリアから発掘に関する技術的なアドバイザーを領主が招いたとか。ご存知でしたか?」
「いいえ……。聞いていませんね」
アーティレを治める領主は皇族派だったな、とアリッサは小さく呟いた。
発掘に関しては城の指示を受けて進めていたはずだが、領主が招いたというマギフィリアのアドバイザーも城の指示なのだろうか。
ともあれ、目的の物が見つかったのだ。早急にアポを取って出向くべきであるとアリッサは自分の手帳に予定を書き込んだ。
「残りは見つかりませんか?」
「残念ながら情報網には引っ掛かりません」
残りはどうか、と聞かれたベルトマンは申し訳なさそうに言うがアリッサは笑顔で首を振った。
「いいえ。所詮は私のコレクション目的ですからね。気に病む必要はありませんよ」
「ありがとうございます。見つかり次第、すぐにお知らせしますので」
アリッサの気遣いに頭を下げるベルトマン。これを最後に彼との報告は終了した。
彼が執務室から退室し、見送りに出たローラが再び執務室に戻って来るとアリッサは彼女に微笑んだ。
「例の件、どうなったかしら?」
「ブラックマーケットにいた者から辿り着きました。メッセージは渡せたので後はあちらからの回答待ちです」
執務机に近付いたローラはスカートのポケットから小さなメモを取り出してアリッサへ渡す。
「これは?」
メモには帝国銀行の口座番号らしき数字が書かれていた。
アリッサがローラにメモの意味を問う。
「この口座に先払いしろと。相手曰く、それでこちらが本気かどうか見るそうです」
彼女は無表情のまま相手側の言い分を話す。
「そう。良いでしょう。要求額を払いなさい。それと受取先の追跡もするように。使う人材は……。そうねえ……」
アリッサは机の引き出しから分厚いファイルを取り出してピンク色の付箋が貼られていたページを開く。
中には軍に所属する者達の家族構成や経歴が書かれた書類がファイリングされていた。その中から指で文字を追いつつ、今回の件で使えそうな人材を見つけた。
見つけた軍人の妻、彼女の実家は内周区商業エリアの高級洋服店を経営している。質の良い布を取り扱って反皇族派一派がよく使う店のようだ。
付属されていたリストの中に以前逮捕しようとしていたオーソー侯爵の名が記載されている事を見つけると、アリッサの口角が僅かに吊り上がる。
「銀行職員にアマガという名の女性がいるはずよ。彼女を使いましょう。万が一があっても体裁は私が整えるから、逮捕をちらつかせて脅すといいわ」
「承知しました」
ローラはアリッサがファイルから取り出した資料を受け取ると頭を下げて礼をする。
「そろそろ城から次の指示が来ると思うのよね。だから明日にでも動いて頂戴ね」
「かしこまりました」




