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白き断罪者 <上>


 この国で最も人気が高く、敬われる職業とは何か。


 それは聖女、もしくは聖人と呼ばれる神の聖徒である。


 神が人を創ったと崇められるこの世界、神から寵愛を受け、時には神の声すらも届けられると言われた存在。


 絶対的な存在である神に選ばれし者。つまりは神様に一番近い存在。


 聖女・聖人はアルテア聖王国から必ず生まれる。


 その理由は、アルテア聖王国建国の歴史に隠されていた。


 アルテア聖王国が建国された地には、神が最初の10人と呼ばれる人類の祖先を創造した場所――聖域と呼ばれる地が存在していると言われていた。


 人類発祥の地であり、神様のスゲエパワーがてんこ盛りになった土地があるというわけである。


 神が聖域の中で最初の10人を創造し終えると、生み出した男女の中で番となった男と女に「君らが聖域を守ってね。ここを邪悪な存在に奪われたらマジパネェから」とお願いした。


 指名された男女はテンション爆上がりである。


 絶対守ってみせるぜ! と息巻く指名された男女はその日から聖域の守護者と名乗るようになった。


 その聖域の守護者がズッコンバッコンと子作りして人類を繁栄させていき、いつの日か出来上がったのがアルテア聖王国という国である。


 守護者の末裔はアルテア聖王国の王族となり、聖域を守り続けた。


 だが、建国から100年が経った頃。神様が言った通り、邪悪な存在が聖域を奪おうとアルテア聖王国を襲撃する。


 アルテア人は邪悪な存在から聖域を守る為に戦うが苦戦に続く苦戦。敵は聖王国城目前まで迫って来た。その時、聖域から神の使いが現れる。


 それが最初の聖女。


 神様の寵愛を受けたハイパーゴッドウーマンである。聖女は邪悪なる存在と戦っていた聖王国騎士団と共に神の聖なる力が宿った武器を駆使してこれを殲滅。


 かくしてアルテア聖王国には再び平和が訪れた。


 しかし、平和を齎した聖女はずっと聖王国に留まる事は出来なかった。


 胸にあったブローチが点滅すると、聖女は「神の元へ帰らなければ」と言った。


 次に邪悪な存在が現れたらどうすれば良いか、と王族は聖女に問う。すると、聖女は自ら使用していた聖なる武器を王族に預けた。


「これで撃退しなさい」


 と、言い残して聖女は神の元へ帰還してしまった。


 しかし、王族が聖女が残した武器を使おうとするも聖女と同じ力は発揮されず。


 すっかり邪悪なる存在にビビリ散らした聖王国の王族は、せめて聖女を模す存在を自分達の手で生み出そうと考えた。


 国と聖域を守ってくれた聖女を神と同様に崇め、神よりも人に近い存在である聖女をより身近な心の拠り所にしようとしたわけだ。


 聖神教会という機関を作り、聖女に相応しい人間を選ぶべく厳粛な試練を作り出した。この試練を乗り越えた者を聖女、もしくは聖人として神の代行者とする。


 こうして始まった聖女・聖人の選定儀式。


 試練を突破した者を聖女、もしくは聖人として。至った者が死ぬと次の者を選ぶ為に試練を行う。こうしたシステムが出来上がった。


 といっても、所詮は人である。聖女・聖人という役職を持った、ただの人間なのだ。


 神様に一番近い存在と言われていようとも、所詮は人に選ばれた偶像だ。神様の声など聞こえるはずもなく、ただ偶像として聖王国で暮らす人々を安心させる為の簡単なお仕事を行うだけ。


 邪悪な存在に怯えていた王族や民衆も代が進むにつれて当時の恐怖を忘れていく。 


 時代に忘れ去られた脅威と共にこのシステムも別の意味を見出され始めた。


『聖女・聖人は金になる』


 聖王国上層部と教会本部はそう考えるようになったのだ。


 同時に聖女・聖人を目指す者も『聖女・聖人になって自己顕示欲を満たしながら優雅な生活を送りたい』と考えるようになった。


 こうした考えは徐々に膨れ上がり、聖王国上層部と教会本部の一部は欲に塗れていく。


 そう、欲だ。飽くなき欲は悪の苗床となる。


 その事実を、彼等はまだ知らない。



-----



 厳かな雰囲気を醸し出す教会の中で祈りを捧げる少女がいた。


 少女の名はクラリス。


 彼女を一言で表すとしたら『可憐』だろうか。


 今年で15になる彼女の顔つきはやや童顔で、年相応の美しさよりも可愛さの方が強い。


 長い金の髪にはゆるくウエーブがかかってフワフワしており、この髪が彼女の可憐さをより引き立てる。


 特に特徴的なのは青く透き通ったような瞳だろう。サファイヤのような美しく濁りを知らぬ瞳は着ている白い修道衣と相まって神聖さがより濃く際立つ。


 そんな可憐な少女は――この国の聖女である。


 彼女は元々は教会の見習い修道女だった。


 半年前に先代の聖女が事故で死亡し、次代を決める聖女・聖人選定の儀式に参加。


 教会が実施した厳しい試験を突破して、最終審査である王自ら直接行う面接試験も突破。


 めでたく全ての試験を合格したクラリスは認定され、聖王国と教会を代表する聖女となった。


 聖女となったのは3ヵ月前。国が外国相手に行った様々な催し物や民衆への発表を終えて、本格的に聖女としての仕事を始めたのは1ヵ月前からである。


 彼女の仕事は実にシンプルだ。


 聖王国で暮らす全ての者達が安全に暮らせるよう、怪我や不幸が訪れぬように神へ祈りを捧げる。


 また、外国から訪れた国賓の為に祈りを捧げて同盟国の繁栄を願う。


「神様。どうぞ声をお聞かせ下さい」


 最後に聖女に課せられた最大の役目は神の声を聞く事である。


 伝説に登場する聖女のように。神に一番近い存在となった少女が神の声を聞き、国に今後訪れる危機や災害を回避する為のアドバイスを貰い受けるのだ。


「ダメ……。聞こえないわ……」  


 しかし、彼女の耳に神の声は届かない。


 聖女に認定された際、聖域と呼ばれる場所で一日過ごすと聖女の力を得られると言われていたが……。


 この1ヵ月間、どれだけ熱心に祈りを捧げても声は聞こえなかった。


「ダメダメ。弱気になっちゃ。私は聖女になったのだから、皆を救うためにも努力しなきゃ」


 神の声が聞こえぬとも、聖女として仕事を全うしようと前向きな気持ちを口にする。こうした考えこそが彼女の強みと言うべきだろうか。


「聖女クラリス」


 そんな彼女の背中に声が掛けられた。 


 クラリスが振り向くと、後ろに立っていたのは聖王国の教会を取りまとめる長『司教長:アイデン』という老人であった。


「アイデン司教長」


「毎日熱心だね。神の声は聞こえたかな?」


 背中で手を組んだアイデンの眼差しはまるで愛しい者を見るような。次代の聖女として選ばれた彼女を大切に思っているのだろうか。


 彼女が常々漏らしていた悩みを知っている彼は、優しい声で今日の成果を問う。


「いえ……。まだ……」


 苦笑いを浮かべて力無く首を振ったクラリス。


 聖女として重要な仕事を行えぬ自分を恥じているのだろう。きつく握られた彼女の両手は少し震えていた。


「そうか。フゥム……」


 成果を聞いたアイデンは自分の顎を撫でながら何か考えている様子を見せた。


 お叱りか、それともアドバイスをくれるのか。彼の仕草を見るクラリスの目には少しの怯えが垣間見える。


「少し荒療治になるが、試してみる覚悟はあるかね?」


「荒療治……ですか?」


「うむ。君は優しく、真っ直ぐ素直だ。君にとって辛く厳しい試練になるかもしれないが、乗り越えたら必ず神の声を聞けるようになるだろう」


 先代の聖女もそうして神の声を聞く事が出来た。実際に見て来た私が保証するよ、とアイデンは笑みを浮かべる。


「ほ、本当ですか!?」


「ああ。勿論。どうするかね?」


「受けます! やらせて下さい!」


 神の声が聞こえるようになって、国と民の為になるのであれば。どんな辛い事でも乗り越えてみせよう。


 そう強く決意したクラリスは、やる気と使命感に満ちた顔で申し出を受け入れる。


「うむ。よろしい。2日後に行うとしよう。それまで待つように」


「はい!」


 この日より、クラリスは2日後に備えて精神統一を繰り返し、どんな試練でも乗り越えられるよう万全の準備を整えた。


 しかし、この試練こそが彼女の人生を大きく変えてしまう出来事となる。



-----



 2日後の午後、クラリスはいつも通りに白い修道衣を着て教会にある自室を出た。


「絶対に乗り越えてみせる……!」


 自室の扉を閉めたあと、彼女は小さく呟きながらも強い意志を滾らせた。


 己を鼓舞するように胸の前で両手を強く握りしめ、人の為にあろうと聖女としての誇りを掲げて。


 彼女は司教長より伝えられた約束の場へ向かう。


 彼女にとって意外だったのはこの約束の場だ。


 教会や聖職者にとって修行の地とされる高い裏山でもなく、それこそ神の残した聖域でもなく。


 指定された場所は聖王国第二の象徴である王城であった。


 王城にある謁見の間。そこに指定された時間に来ること、と伝えられていたのだ。


「試練の前に陛下からお言葉があるのかしら?」


 クラリスは国の象徴たる聖女である。聖女とは王族からも信頼されて、国の行く末を決める王へ神の声を伝えるアドバイザーでもあるのだ。


 もしかしたら、自分を鼓舞させるようなありがたいお言葉を頂戴できるのかも。そう考えると胸の内が熱くなったようだ。  


 強い意思、聖女としての誇り、人々へ尽くそうという尊き想い。


 それを持って彼女は王城へ向かった。


 そう、向かったのだ。


 謁見の間に続く廊下へ到着すると司教長が待っていた。彼と数人の騎士と共に謁見の間へ向かう。


 中に入るとニコニコと笑いながら玉座に座る王。


 彼の足元で片膝をつくのは外国から神の助言を賜りに来たという特使の姿。


 どういう状況なのかも理解しきれぬまま、聖女であるクラリスは玉座にいる王の横へ司教長と共に立たされた。


「我が国の次期王……。第一王子殿下には不幸が続いております。世継ぎを授かっても幼い間に病を患って天に召されてしまうのです。我が王家が強き子を授かるにはどうすればよろしいのでしょうか!?」


 そう言った特使の顔は必死なものだった。


 特使が所属する国は聖王国の隣国である。現王は病に倒れ、次期王となる第一王子がいるものの彼も病弱。残りの兄弟は戦争で戦死。


 まさに崖っぷちな状況である。


 王家存続の為に早く次の世継ぎを授かりたいが、どうにも不幸が続く。正室の子は流産で、側室の子は産まれても2年経たずに病で死亡。


 王子は王家存続を憂う貴族のススメ通りに4人の妃を娶ったが、どれも子作りとなると何かしらの不幸が続く。


 これは何かあると考えた隣国の貴族達は聖王国にいる聖女から神の助言を賜るべくやって来た、というわけだ。


「何卒ッ! 神の声をお聞かせ下さいッ!!」


「―――――ッ!」


 クラリスは特使の願いを聞き、顔が一瞬で青ざめた。


 相手は必死に助けを乞うているのだ。彼女自身も助けてやりたいと思っているだろう。


 試練を乗り越えて、神の声が聞こえるようになってから特使と会うならば問題は無かったが……。今の彼女には助言もクソもないのだ。何たって、神からの助言など聞こえないのだから。


 焦るクラリスは司教長を見た。


 どうすれば良いのか。どうして試練の前にこんな場へ立たされたのか。


 司教長アイデンはニコリと笑うと、混乱する彼女の耳元に口を寄せた。


 そして――


「我が国の第二王女を王子の正妻にするよう言いなさい」


 アイデンが囁いた言葉を聞き、クラリスは一瞬頭が真っ白になった。


「え……?」


 何かの間違いだ。そう思い、彼女は小さな声で聞き返した。  


「我が国の第二王女を正妻するよう伝えよ、と言ったのだ」


 どういう事か。それは貴方の言葉でしょう、とクラリスは言いそうになるが混乱で言葉にならない。


 どういう事だ。クラリスは王の顔を見ると彼もまた笑いながら頷いていた。


「な、なんで……」


 神の声なんかじゃない。これは、政治の声だ。


 神の声を騙って必死に縋って来た隣国を国益の為に利用しようというのか。


「これが神の声だ。クラリス」


 混乱するクラリスの耳元にアイデンの言葉が再び囁かれた。


「先代の聖女もこうしてきた」


 嘘だ、嘘だ、とクラリスは心の中で叫ぶ。強く握られた両手の甲には爪が食い込んで血が流れた。


「神などいない」


「そ、そんな……!」


 聖女と神を信じて疑わなかった彼女にとって、それは決定的な言葉だったろう。


 神などいないのだ。聖女なんて存在しないのだ。


 これは国が仕組んだペテンである。


 偶像を輝かせて、偶像がそれらしい物であると偽って。全ては己の欲の為に行う、政治的宗教利用。


 クラリスの持つ美しい青の瞳から涙が流れた。流れた涙は頬を伝って床に落ちた。


「あ、あ……。わ、わた……私は……」


 ショックが大きすぎてクラリスの体が震え、立っているはずの地面が見えない。謁見の間にいる者達の姿さえ見えなくなった。


 まるで黒い闇の中に浮かんでいるように。彼女の震えは大きくなって、床に崩れ落ちた。


「聖女様!」


 彼女をどん底に叩き落したアイデンがクラリスの肩を抱き、玉座に座っていた王はわざとらしく焦り緊急事態であると声を荒げて。


 近くにいた騎士が駆け寄る中、クラリスは司教長に抱き起されながら謁見の間から外に出された。


「チッ。出来損ないめが」


 廊下に運び出されたあと、クラリスが朦朧とする意識の中で聞こえたのはアイデンの漏らした言葉だった。



-----



 次にクラリスが目を覚ました時、彼女は教会にある自室のベッドの上にいた。


 一体、どれだけ意識を失っていたのだろうかとベッドサイドに置いていた時計を見る。


 現在の時刻は夕方を過ぎたところ。幸いにも意識を失っていた時間は数時間程度で済んだようだ。


 起き上がり、頭痛のする頭を手で押さえながらこうなった原因を振り返る。


 脳裏に浮かび上がるのはアイデンの笑った顔と囁かれた言葉。神を冒涜しているにも拘らず、笑って頷く王の顔。


「うっ!?」


 神はいない。そう言われた瞬間を思い出すと、クラリスは強烈な吐き気を感じて口を両手で抑えた。


 胃の中に何も入ってなかったおかげで自室を汚さずに済んだが……。


「嘘だ……。嘘だ……!」


 彼女の負った傷と悲しみは強烈だった。


 幼き頃から信じてきたもの全てが嘘だったのだ、と今更信じられるだろうか。


 仮に受け入れられたとして、彼女は今後どう生きていけば良いのか。


 ペテン師の仲間入りとして生きるのか。それともこの嘘だらけの国から逃げ出すのか。


「どうすれば……。どうすれば良いのですか……!」


 祈るように問うても、神は答えない。答えてくれやしない。


 すると、苦悩するクラリスの耳に廊下を歩く足音が聞こえた。


 コツコツと鳴る足音は彼女の部屋の前で止まるとノックも無しにドアノブが回る。ギィ、と音を鳴らして開かれたドアから現れたのは司教長アイデンであった。


「やぁ。クラリス。調子はどうかね?」


「あ、あ……!」


 声にならぬ声を上げ、ベッドの上を後退るクラリスにアイデンはニコリと笑った。


「試練は失敗してしまったね。あれほど辛く厳しい試練になると言っただろう? どうして乗り越えられなかったのかな?」


 ニヤニヤと笑うアイデンは一歩ずつクラリスへ近寄って来た。


 その度に後退りするクラリスだったが、壁に背中が当たってもう後が無いと知る。


「ぜ、全部、う、嘘なのですか……?」


「フゥム。どう答えて良いものか。伝説は伝説として実際にあるのだがね。しかし、君は本当に聖女なのかな? 伝説に登場する聖女は神の力を得た存在だった。君は……本当にそんな特別な存在なのかね?」


 自分達でクラリスを選んだくせに、自分達で偶像を作り上げたくせに、なんて言い草だろうか。


「し、神域に……!」


 神域で1日過ごせば特別な力が宿る。そう言ったのも彼と王だ。


「はっはっは! そんな事で特別な力が宿っていたら苦労しないだろう! 君は本当に真っ直ぐで素直な子だ!」


 アイデンはクラリスを嘲笑うように鼻で笑ったが、聞かされた彼女の浮かべていた顔を見るなり、次は声を出して笑い始めた。


「だが、君は失敗してしまったんだ」


 十分に笑った、とばかりに深呼吸して息を整えたアイデンは彼女にそう一言告げる。


「利益を生み出さぬ聖女は不要と王も判断した。君はもう不要なんだよ、クラリス」


 ベッドの上にまで上がってきたアイデンは服の第一ボタンを片手で外し、クラリスの体にいやらしい視線を向けた。


「い、いや……!」


 これからされる行為とその結末は、アイデンの様子と普段は無い腰の革のナイフケースを見れば明白である。


「イヤァァァッ!!」


「うおッ!?」


 クラリスはアイデンの老体を突き飛ばし、自室から飛び出した。


 だが、彼女が取った選択は正解だ。こうでもしなければ彼女の運命は惨たらしい結果になっていただろう。


 アイデンから逃げ出したクラリスは廊下を駆ける。


「クラリスが逃げたッ! 捕まえよッ!」


 背後からアイデンの叫ぶ声が聞こえる。まさか、他の者達まで加担していたのだろうか。


 彼女の疑問に答えるように廊下の先に聖職者が現れ、彼等もクラリスに観念するよう叫ぶ。


「嘘ッ! 嘘ッ! 嘘よッ!」


 共に祈りを捧げてきた仲間が、自分を捕らえようとしている。自分を辱めて、亡き者にしようとしている。


 その耐え難い現実から逃れるべく、クラリスは走りながら逃げ道を探した。


 行く先からは聖職者が向かって来て、外へと続くドアも別の聖職者が封鎖しているのが見えた。


 仕方なく、彼女はすぐ近くにあった階段を降った。


「馬鹿な女だッ! 逃げ場はないぞッ!」


 上から叫ぶ男性聖職者の声を無視して、クラリスは必死に一番下まで降りる。


 一番下の階は真っ暗だった。


「どうしよう! どうしよう!?」


 周りが見えず、上からは追手が迫る足音が聞こえているのも相まって、彼女の恐怖と焦りが増幅される。


 目が闇に慣れてくると壁の傍にあった小さなテーブルの上にランプらしき物が見えた。


 それに近づいて触りながら形を探る。これは魔導ランプだ、と気付いた彼女はランプの底を回す。


 底を回すとキッ、キッと甲高い金属音を立て、ランプの中心にあるガラスの中が淡く光って周囲を照らした。


「どこか……!」


 ランプで周囲を照らした彼女は逃げ道を探す。見つかったのは一枚のドア。迷うことなくドアへ駆け寄った。


 ドアを開け、中に入ると急いで内から鍵を閉める。


 肩で息をする彼女が後ろを振り返りながらランプで照らすと、辿り着いた部屋は古い武器が保管されている物置であった。


 錆ついたハルバードや槍、剣が武器立てに納められて。武器と武器の間には大量の蜘蛛の巣が張られていた。


 壁に飾られた盾は今にも落ちそうなほど斜めになっていて、雑に置かれた丸いテーブルの上は埃が積もって灰色になっていた。


 どこか逃げ出す通路は無いか。もしくは隠れる場所は無いか。


 部屋の中をランプで照らした彼女の視線が、部屋の一番奥にあった棚で止まる。


「あれは……?」


 棚の上にある台座の上に置かれていたのは水晶玉のような球体。そして、台座の前に置かれていたのは一本の剣。


 その2つのアイテムに不思議と惹かれるような感覚が彼女を襲い、気付いた時には早足で歩み寄っていた。

 

 棚の上にランプを置いて水晶玉を照らした。近寄るまで分からなかったが、水晶玉は透明ではなく濁った白だった。


 クラリスは濁った白色の球体を両手で触れる。


「あ――」


 すると、彼女の見ていた世界の色が反転した。


 白は黒へ。黒は白へ。


 信じていたモノが嘘だったように。彼女の見ていた世界が変わっていく。


 世界に神はいるか?


 神は人類を作ったのか?


 聖域は? 守護者は? この国は?


「ああ――」


 ジワリ、ジワリと彼女の中にあった現実が真実に覆されていく。


 この国に伝わる伝説は正しい。しかし、それは全てじゃない。


 神は確かに人類を作った。魔法使いと錬金術師、それと、ただの人間。


 魔力を行使する力を持つ者を最初に創り、持たざる者を後に創った。


 聖域? 選ばれし守護者? そんな事を神に直接言ったとしたら「戯言をぬかすな」と中指立てられるに違いない。


「あああ――」


 何も持たぬ、ただの人間は神の使徒に決してなれない。


 最初に創られた、内に魔力を持つ者達こそが聖なる使徒であるのだ。


 力を持たぬ彼女もまた聖なる使徒にはなれない。聖女などと名乗っている事こそが罪である。


 だが、彼女は触れた。魔法という存在を行使できる力を持った、魔法使いと錬金術師の創りし遺物に。


 彼女は触れた。触れて、選ばれたのだ。聖なる使徒と呼ばれる者達が持つ記憶の残滓と現在では再現できぬ力に。


「ああああああああああッ!!」


 彼女の右目が焼けるように熱くなって、瞳の白は充血して赤く染まっていく。


 その赤が徐々に目の中心へ這っていくと今度は瞳の青を侵食した。熱を感じなくなった頃には、右目にあったサファイヤのような青い瞳はルビーのような赤へと変化した。


「あ、あ、あ……」


 すると、彼女の見る世界は変わった。


 左目で見る光景は現実のもの。右目に映るのは残像のような光景。


 それぞれ見える光景が違った。それは色などの表現の違いだけではなく。


 右目に映る光景だけがほんの少しだけブレるのだ。


「クラリスゥ。ここにいるのだろうォ?」


 閉めたドアの向こうから、卑しきアイデンの声が聞こえると彼女は振り返る。


 左目に映る光景は現実のもの。閉められたドアの鍵を鍵束から探して、ガチャガチャと鍵穴を鳴らしている光景。


 右目に映る光景は()()()()もの。ドアの鍵を見つけ、今まさにアイデンと2人の聖職者が中に入って来た光景であった。


「ああッ!? いや、いやああああああ!!」


 右目が見せるのは、中に入って来たアイデンが自分の肩を掴んで床に押し倒し、もう一方の手で服を引き千切られる光景。


 だが、左目に映っている光景は未だガチャガチャと音を鳴らすだけでドアは開いていない。


「いやあああッ!! いやあああああッ!!」


 錯乱するクラリスは自分の服を掴むアイデンを振り払おうと両手を暴れさせるが、その両手は空振りに終わった。


 当然だ。彼女の服はまだ掴まれていない。


 クラリスは涙を流しながら悟った。右目に映るこれは未来の光景であると。 


 だが、見えているのが自分の未来だとすれば。このままではアイデンに犯され、殺される。


「どうして、どうして……」


 自分が何をしたというのか。どんな罪を犯したというのだ。


「神様――」


 神様の声は聞こえない。代わりに寄越したのは、酷く惨い光景だ。


 声の代わりに未来を見せてきた。声の代わりに自分が死ぬ未来を見せつけてきた。


 体を震わせ、歯をガチガチと鳴らしながら怯えるクラリスは見える未来を振り払うように手を勢いよく振り回した。


「あぐっ!?」


 錯乱しているせいか、足がもつれて背後にあった棚へ向かって倒れてしまった。


 だが、彼女はこの時……。濁った白い水晶と共に置かれていた剣に触れた。


 左目には剣に触れる自分の手。


 右目には剣を握りしめる自分の手。


 彼女は神の見せる未来に従って剣を取った。剣を握って、振り返る。


「ああ……」


 神は彼女に未来を見せた。彼女が選択するべき未来を。


 ドアの向こうからやって来た者達を――


「ああ……」


 右目に映る光景を見て、闇に覆われていたクラリスの心に一筋の光が差した。


 まるで神はこれを見せたかった、お前が選択すべき未来だ、と言わんばかりに。


「かみさま……」


 彼女に神の声は聞こえない。だが、神は声の代わりに未来を見せた。


「クラリスゥゥ!!」


 勢いよくドアを開けて侵入して来たアイデンを待ち受けていたのは、両手でしっかりと握った剣を振り上げる少女。


 いや、少女ではない。


 神曰く。


 ――汝、白き断罪者となって邪悪な存在を滅せよ


Amen(アーメン)



-----



 聖王国王都にある宿の一室では1人の男がソファーに座りながらお茶を飲んでいた。


 歳は30過ぎくらいだろうか。髪は茶色、瞳の色は緑色で、彼の持つ身体的な特徴は聖王国では珍しい色をしていた。


 どちらかと言えば、聖王国から東にあるクロイツア王国と呼ばれる姉妹国に多い色だ。


 着ている服もその国で流行っている組み合わせともなれば、彼が外国人であるのは確定だろう。


 クロイツア王国産の茶葉から香る独特な匂いを楽しみながら、ゆっくりとした時間を過ごしていると部屋のドアがノックされる。


「構わんよ」


 そう中から返すとドアを開けて入って来たのは20代前半の若い男性。彼もまた男と同様に茶色の髪と同じような服装を見に付けていた。


「教会の中に潜入させていた者から連絡が来ましたよ。()は目覚めた、と言っていましたが……」


「へえ。適正者が見つかったか」


 一体何を指しているのは不明であるが、報告を受けた男の顔には笑みが浮かぶ。


「随分と早かったな」


「そうなんですか? 計画が始まってもう300年以上なんでしょう?」


 続けて感想を口にした30代の男へ若者は腕を組みながら問う。


「ああ。俺の代で見つかるとは思わなかったよ。これも、神のお導きってやつかね」


 男はティーカップをソーサーに置くと、内ポケットから懐中時計を取り出した。


「1時間後に動こう」


「1時間後ですか?」


 男の提案を聞いた若者は「そんなに早く?」と言わんばかりの表情を浮かべる。


「ああ。あれの適正者となるとそんなもんだ。何たって我が国にいた魔法使いと錬金術師の最高傑作と呼べる物の1つなのだからな」


 懐中時計を仕舞った男は再びカップを持って若者を見る。


「まぁ、ゆっくりしていきたまえ。だが、食事はオススメしないよ」


 そう言って、男はもう1度笑った。


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