19 影でほくそ笑む
中指を立てて去って行くロイドの背中を見送りながら、アリッサは小さく笑う。
この時浮かべた彼女の笑顔はいつもの作り笑顔とは違っていた。口角を少しだけ吊り上げ、ふふんと鼻を鳴らす。
「素直に言う事を聞くような人ではないと思ってましたが。手紙に書かれていた通りの人ですね」
アリッサは以前からロイドの存在を知っているような口ぶりで呟いた。じゃなければ、いきなりスカウトしたりはしないだろう。
今回の件はロイドがアリッサを試したように、彼女もまたロイドの事を知れる機会となったようだ。
本人が言った通り、手紙に書かれていた通りの人物で少し安心したといった感じか。試されたにも拘らず、彼女はロイドに怒りを抱いているようには見えない。
「さて、私も仕事をしましょう」
アリッサは地下室から上の階に戻って行った。上の階は執務室のような内装であったが、やはりここはオーソー侯爵の執務室で正解だったようだ。
ビッグマンが投げ飛ばした執務机がそのままになっており、入り口は兄であるアイザックの私兵によって守られていた。
アリッサは気にせずオーソー侯爵の執務室を捜索開始。
床に散乱した紙やひっくり返った執務机の引き出しから手帳や紙の束を取り出して中身を調べていく。
「うーん。これといって……」
散乱していた紙や引き出しにあった紙の内容はオーソー侯爵が運送業で使っていた貨物用の魔導鉄道に関するものばかり。
行先はどこか、何を積んで何を持って帝都まで戻って来たか、どこで何を受け取ったか……など。
勿論、それらの中に『人身売買用の商品を受領しました』なんて素直に書いてあるはずもなく。これらの中からどこで積み下ろしをしたか等を詳しく調べていく必要がありそうだ。
「まぁ、関わっていたのは確実なんですけど」
とはいえ、オーソー侯爵がシャターンと共謀していたのは確かだ。貨物駅に運ばれて来た被害者達が何よりの証拠である。
そう口にしながらもアリッサの眉間には皺が寄っていた。
「でも、貨物輸送の件が引っ掛かるんですよねぇ」
シャターンを口封じとして殺害したのは本当にオーソー侯爵の仕業だったのだろうか。
だとしたら、行動が遅すぎる。
もしも、オーソー侯爵がシャターンを殺害しようとしていたら。なぜ、シャターンが逮捕された夕方以降からすぐに証拠隠滅を行わなかったのだろうか。
逮捕されたという情報を察知して昨晩から早朝にかけてシャターンを殺害しようと計画していたのなら、何故オーソー侯爵は昨晩の便に被害者入りのコンテナを積まなかったのか。
アリッサが貨物駅で見た記録によれば、昨晩の便には積載量の空きがあった。
乗せていれば昨晩から早朝のうちに地方へ被害者を移送できていたし、駅で被害者入りのコンテナをアリッサに確保される事も無かった。
捜査の手が迫っている状況で屋敷の地下にいたのも不自然と言えば不自然か。だが、こちらの行動は逮捕されても権力や賄賂でどうにかなると思っていた可能性もある。
だとしても、先にコンテナを地方へ送ってしまっていれば決定的な証拠は掴まれなかったはずだ。
「う~ん……」
もしくは、オーソー侯爵はシャターンを殺害する気は無かったのか。
シャターンを殺したのは別の者で、牢屋で殺害されて騒ぎになった件を早朝になって知ったのか。そこから移送を手配した……という線も考えられる。
「しかし、真相はあの世に持っていかれてしまいました」
本人の口から聞ければよかったが、それはもう無理な話。
オーソー家に仕える文官を尋問して何か得られないかと期待するしかない。
「ロイドさんにも忙しくなってもらわなきゃ。私だけ忙しくなるのは不公平ですよね」
足を使って調べる事が出てくればロイドをこき使ってやろうと思っているのだろう。
きっと彼女は有無を言わせまい。こうなった原因の一端は彼にもあるのだから。
しかし、何度も言うが現状揃った証拠を見る限りではオーソー侯爵が事件に関わっているのは確かだ。
「…………」
だが、どうしても完全に納得できない。主犯はシャターンとオーソの2人! 被疑者死亡で一件落着! と、アリッサはそこまで楽観的な女性じゃない。
推測がポコポコと浮かびあがり、どれが正解なのかは分からないがどれも可能性に満ちている。
難問を前にした学者が浮かべるような表情をして腕を組むアリッサ。
シャターン殺害の件も気になるが、そもそもこの件は2人だけでやっていた事なのだろうか?
シャターンとオーソーが行っていた麻薬販売と人身売買。販売は帝都でも5本の指に入るほどの商会を持つシャターン、密輸は魔導鉄道の自由使用権を得ていたオーソー。
どちらも帝国経済に大きく関わる伯爵と侯爵ともなれば権力と金はたっぷりあろう。使える駒がたくさんあれば確かに2人だけでも成り立ちそうではあるが……。
「売上はどこに? 何に使っていたのかしら?」
人身売買がいつから行われていたのかはこれから調べるところであるが、シャターンの麻薬販売を追っていたロイドの調べによると麻薬の販売は随分前からやっていたようだ。
シャターンが爵位と引き換えにした金を取り戻そうとしていたのは調べがついているが、その売上はオーソー侯爵にも渡っていたはず。
彼の資料を見る限り、シャターンのように私生活が激変した様子もない。
「銀行に貯め込んでいる? 別の口座が用意されているのかしら? 銀行から追えれば……。でも、あのマザコンがグダグダ言いそうね」
この国は皇族がトップに君臨している。故に皇族が貴族達の銀行口座を秘密裏に調べる事は可能である。
なんたって帝国銀行の運営は国が行っているのだから。金の流れを追うのは容易だ。
ただ、表側だけは。裏で皇族も知らぬ手段でやり取りされては分からない。賄賂が横行する現状では架空の人物をでっち上げて隠し口座を作っていても不思議ではない。
「でも、莫大な金額があれば分かるはず。ましてや、貴族の身分でない者が大金を持っていたら隠し口座だと一目瞭然……。分散させている?」
ムムム、と額に指を当てて悩むアリッサ。
「どこかの組織に出資している線もありますよね。これは……闇が深そうです」
この事件は氷山の一角に過ぎないのか。帝都に蠢く闇はまだまだ全貌を見せてはくれなさそうな気がしてならない。
「地道に調べるしかありませんか。……ん?」
捜査する為にと散らばった紙を拾い集めていると、何枚か重なった紙の間から絵の描かれた一枚のカードが見つかった。
「盾と剣と……杖?」
カードは名刺サイズの横長になった白い厚紙で作られている。中央に盾、盾の後ろ側には剣と杖がクロスになっている絵が描かれていた。
カードの中央にはその絵だけが描かれていて文字は無い。
盾に剣と杖が重なる絵は紋章と言うべきなのだろうか。ただ、このような紋章を使う帝国貴族は見た事がなかった。
「盾、剣、杖……。伝説のマジックウェポン?」
この3つから連想される物とすれば、この大陸では有名な英雄譚や御伽噺に登場する3つの伝説的な武器と防具だろうか。
大陸で誕生した最初の国家を守護したと言われる騎士王が持っていた魔法の盾。
国を滅ぼそうとしていた魔物を退治した英雄が使っていた魔法の剣。
無から有を生み出し、空想を現実にすると言われた魔法使いが持っていた魔法の杖。
盾、剣、杖。これら3つから何かを連想しろと言われたらほとんどの人間がアリッサと同じ事を連想するだろう。
このカードには何の意味が込められているのか。それは不明であるが、アリッサはカードを自分の手帳に挟んで資料として持ち帰る事にした。
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「では、今回の事件は2人だけの犯行ではないと?」
「はい。まだ調査は必要ですが、私はそのように考えております」
オーソー侯爵の屋敷で調査を終えたアリッサは自分の屋敷で着替えを済ませて城へ向かった。
執務机越しに対面しているのは第一皇子であるアイザック。
彼の私兵を動員した事もあって、経過報告をすぐに行うのは必須である。むしろ、アリッサに課せられた義務といも言っていいだろう。
「2名が犯行を重ねていたのは事実でしょう。しかし、未だ疑問点が多くあります。明らかにするべく、まだ精査を進めるべきと判断しました」
今回の麻薬密売、人身売買という2つの事件。端的に言えば解決したとは言い難い。
現状証拠で関っていたのは事実。貴族2名が利益の為に罪を重ね、帝都を混乱させたのも事実。
一時はシャターンに注目してしまい、私欲を満たすべく行った犯行と思われていたが……。それは本当の目的を誤魔化す為のように思えてならない。
特にそう思える根拠はオーソー侯爵が受け取っていたであろう売上金の行方だ。シャターンのように私欲を満たしていたようではなく、だとしたら金はどこへ行ったのか。
アリッサは2名の背後に更なる関係者がいる、シャターンを牢屋の中で殺害した者もオーソーの金を追えば見つかるのでは、と推測を素直に兄へ告げた。
「つきましては、帝都銀行の口座調査を――」
「それはこちらでやる。貴様は反皇族派が別の犯罪に手を出していないかを探せ」
オーソー侯爵が得ていた利益がどのように使われていたのか。それを追うべく帝都銀行を調査させてくれ、とアリッサは提案しようとしたが提案半ばで止められてしまった。
帝都銀行では帝国人の所得情報や各商会における情報など全てが集まる場所。内情を覗けば帝国経済がどのようになっているか、各商会が何をしているのかがバッチリ分かる。
勿論、反皇族派だけではなく第一皇子アイザックの味方である皇族派の情報までも集約されており、基本的に全情報を制限無く閲覧できるのは皇帝のみである。
帝国銀行の運営を行っている財務部のトップですら閲覧できる情報は限られており、集約される情報を管理している者は公にされていない。
それが誰なのかを知るのも皇帝のみである。
帝国の経済情報が詰まった場所を捜査の為とはいえ、全てを好き勝手させるわけじゃない。
自分の味方である者達の情報を味方かすらも分からぬ道具に渡すわけにはいかない。
お前はまだ信用していない。
そう言わんばかりにアイザックはアリッサの提案を遮った。
「……かしこまりました」
拒否されてもアリッサの顔にはニコニコ笑顔が浮かぶ。とはいえ、彼女の性格と考えると内心では舌打ちしていそうだ。
「以上だ」
そして、酷く一方的に報告の場は終了となった。
ただ、アリッサとしてはありがたい。腹違いの兄と会話するのは苦痛以外の何物でもなく、仕方なく行っている事なのだから。
一礼して退室したアリッサが屋敷に戻ろうと城の廊下を歩いていると、階段の2階エントランスである人物と出会った。
「第四皇女殿下ではございませんか」
出会った人物の名はグレゴリー・ベイソン侯爵という。役職は帝国軍総司令官。
彼に限っては爵位よりも役職の方が重要視され、かつ有名だろう。
長く続いた戦争を終わらせた人物とされており、反皇族派のトップと言われる男。彼は黒い軍服にいくつもの勲章を付けて、軍人としての優秀さを常に示している。
今年で55歳になると聞いているが、背筋は伸びていて軍服の下に隠れた体も若者と負けないくらい鍛えられているだろう。
年相応に感じさせるのはグレゴリーの顔に刻まれた皺と立派なカイゼル髭。
彼は髭を指で撫でながら、上から降りてきたアリッサに笑顔を浮かべる。
「グレゴリー総司令殿。ごきげんよう」
アリッサは歩調を変えずに階段を降りて、エントランスで彼女を待っていたグレゴリーの前へ歩み出るとドレスのスカートを摘まみながら礼をした。
相手は反皇族派のトップ。さっさと脇をすり抜けて行きたい……むしろ、皇族の一員としては顔を合わせたくない派閥に属する人物ナンバーワンであるが、出会ってしまった以上は挨拶せねばなるまい。
「第一皇子殿下へのご報告ですかな?」
彼の表情は変わらず笑顔。だが、口から飛び出した言葉にアリッサはピクリと反応しそうになった。
「特務隊などという組織を結成したと聞きました。既に何名か捕らえたとか。皇女殿下の愛国心には頭が下がりますな」
「耳がお早いですね」
とは言いつつも、彼は帝国軍のトップである。特務隊の結成を知っていてもおかしくはない事はアリッサも承知の上。
アリッサは「そういった小さな隊の結成にも耳を傾けているのね」といったグレゴリーの有能さを示すようなリップサービスをプレゼントしつつ様子を見た。
いつものニコニコ笑顔で。内心ではクソの先ほどにも思っていなさそうだが。
「勿論ですとも。しかし、皇女殿下がそこまでしなくとも……といった気持ちはありますな」
カイゼル髭を撫でながら、ニコリと笑うグレゴリー。
だが、言葉には小さなトゲを潜ませて。そのトゲからは皇族を不要と語るグレゴリーらしさが垣間見える。
「そうですか? 皇族として国を良くしたいと思うのは当然の事かと思います」
「確かに。心意気は素晴らしく存じておりますよ。ですが、お美しいアリッサ皇女殿下であれば苦労せずとも幸せは掴めましょう。男子の真似事はせずとも、男子の尻を叩いてみせるのも良い女の条件ではありませぬか?」
アリッサの行動を肯定しているようで肯定していない。女性の在り方を語ってはいるものの、それも今の時代にしては古臭い。
むしろ、昔ながらの帝国貴族男子にありがちな男尊女卑の考えが漏れてしまっていると言えよう。
それに先ほどからアリッサのドレスにある開いた胸元に目線がチラチラと向けられていた。彼女の事を美しいと言っておきながら娼婦のような存在にしか思っていないのが丸見えである。
といっても、これらの仕草や言動はわざとなのだろう。
要約すれば「皇族の末っ子が余計な事をするな」といったところか。特務隊が軍部の方針に沿わぬ独立した部隊である事も面倒に思っていそうだ。
「結婚は確かに女性にとって幸せの1つかもしれませんね。ですが、私はまだ別の形で国に貢献したいと思っています」
まだ波風立てるような時期じゃない。アリッサは変わらぬ笑顔を浮かべながら当たり障りのない言葉を吐き出した。
「それは素晴らしい事です。感服致しました。ですが、もしも仕事を終える際は私に一言お申し付け下さい」
「……? どうしてです?」
彼の言動に本気で分からない、とアリッサは首を傾げた。
「その際はアリッサ様に求婚しようと思いましてな」
グレゴリーは笑みを更に深めて自然体でそう告げた。アリッサの豊満な胸の谷間を見ながら言っている言葉の本心は分かりやすい。
彼には30以上も歳の離れた3人の若い妻がいたはずだが、未だ彼の欲望は満たされていないようだ。
一方で言われたアリッサは背筋が一瞬だけ震えた。だが、顔色も表情も変えずに「ふふふ」と笑うだけ。
むしろ、笑う事で体中を這い回るような気持ち悪い視線に耐えているようにも見える。
「貴方ほどの美しい女性が未婚など国の損失ですな! はっはっはっ!」
先ほどの要約に1つ追加するとしたら「お前は俺の娼婦になれ」だろうか。
といっても、第四皇女であり道具扱いされるアリッサへ貴族からの向けられる意見や見方としては大体こんな感じである。
国にとって然程重要ではないアリッサを血統書付きの高級娼婦とでも思っているのだろう。
「おっと。会議に遅れてしまう。また機会がありましたらお話しましょう。次は美味しいワインでも飲みながら」
「ええ。楽しみにしております」
グレゴリーに礼をするアリッサ。頭を下げる瞬間、グレゴリーの目が自分の事を見下しているのを見逃さない。
「……キモ」
グレゴリーの背中を見送って、十分に見えなくなってからアリッサは小声で呟いた。
ぶるりと震えた体は恐怖からではなく、本当に気色悪い物を見たといった具合か。
「これだから、まったく」
中庭でローラと合流して、屋敷に向かう途中でもプリプリと城への不満を小さく吐き出すアリッサ。
前回と同じく屋敷の中に入れば独り言はどんどん大きくなって、口調も西部寄りになっていく。
吐き出される言葉は自分を道具扱いする兄、高級娼婦にしか思っていない帝国貴族達に向けた感想ばかり。
一言にまとめると「どいつもこいつも、テメェの口にクソ詰めてさっさと死ね」だ。
これだから城には行きたくない、と最後の締めを吐き出しながら自室に入ったアリッサ。
ただ、今回の事件を通してアリッサにとって悪い事ばかりではなかった。
「ローラ。例の資料は?」
「机の上にございます」
ドレスから着替える前にアリッサは自室にあった机に向かうと、上に置かれた数枚の紙を手に取った。
手に取った彼女の顔には作ったような笑顔ではなく、本心から浮かべる笑顔があった。
「これを経営に渡して。シャターンの商会が得ていた利益は全て私が頂くとしましょう」
手に取った紙の中身はシャターンの商会が手を付けていた商材の内容や取引先の情報である。
シャターン逮捕時に彼の商会に関する情報をアリッサは得る事が出来た。そして、シャターン死亡により跡取りのいない彼の商会は経営がストップ状態。
どこかの貴族が商会を引き継ぐのか、親族が引き継ぐのかは不明であるが、現在は全ての取引が停止中。
金の生る木を得たい者達はあの手この手で自分の物にするべく動き出し、足の引っ張り合いを始めるだろう。
再び経営が再開するまでしばらく掛かるのは確実だ。
アホウ共がピーピー言っている間に、シャターンの商会が主力としていた商材を全てアリッサが出資・経営している個人商会が横から掠めとるといった考えのようだ。
元々は帝国で5本の指に入るであろう大商会。その取引先や取引内容など全ての情報がアリッサの手の中にある。
これから利益を得ようと群がるハイエナ達よりも1歩2歩……どこか、5歩以上はアリッサがリードしている形だ。
シャターンの商会が経営停止状態になった事で取引先も先が不安だろう。彼等も食うには金がいるのだから。
多少の色を付けて提案すればアリッサの商会に鞍替えしてくれるのは容易に想像できる。
そうなれば、今までシャターンが得ていた利益はそっくりそのままアリッサの物に。
城でマザコンとの会話という苦痛に耐え、気色悪い性欲旺盛なオヤジの視線に耐えて。
道具扱いされようが、娼婦扱いされようが、彼女は裏で確実に利を得る。金という確かな武器を。
「ふふ。一歩ずつ、確実に」
このローベルグ帝国という国で最後に笑うのは一体誰になるのだろうか。




