雨と小説
短めの恋愛(というより青春?)短編小説です。
今日は目覚めてから、ずっと気分が悪かった。折角の日曜日だというのに、昨夜の夜更かしがたたってお目覚めは11時だ。
枕元で光るスマホを開くと、何通か貯まったメッセージを返していく。いつものメンツに、アプリの公式に、文芸部の連絡と、もう一通は……
あっ、先輩からも来てた! いいなー、ほんとは気さくな人なのに、メッセージじゃちょっとぶっきらぼうな感じ。
私のノートに書いてた妄想ファンタジーがまさか先輩との懸け橋になるとは思ってなかったけど、でも良かった、先輩に会えて。大学生になってから本格的に小説を書き始めて、表現法とかいろんなアドバイス貰って。先輩の小説も読ませてもらって。
2週間後に締め切るコンテスト。それに参加すればっておすすめしてくれたのも先輩なんだ。残念ながら、今回のコンテストのテーマは「恋愛」であって「ファンタジー」ではないけれど。
……あれ、おっかしいな、もう12時だ。折角先輩からの通知でちょっと気分上がったのに、スマホに時間無駄にしたせいでイーブンだ。眼鏡をかけて、ゆっくりと布団から出る。
私一人が暮らす城で、テレビをつけて天気予報を確認する。もう八月の中旬だっていうのに、気温は20度しかないらしい。どうりで朝から肌寒いわけだ。いや、もう朝じゃないか。
今日の天気は、曇りのち雨。……最悪だ。
曇りは嫌いだった。じめじめとして、薄暗くて、そしてそのあとには大抵雨が降るから。
雨は大嫌いだった。湿気が凄くて気持ち悪いし、傘を差しても靴やズボンの裾は濡れるし、電波悪いし、窓開けられないし。
タンスの奥から季節外れの上着を引っ張り出して、半そでの寝間着の上に羽織る。どうせ今日は家を出る気もないし、午後はノーパソにかじりついて書くだけだ。外見に無頓着でいられるのも、一人暮らしの利点かな。
あ、その前に昼ごはんか。……でもさっき起きたばっかだし、昼は腹減ってからでいっか。
起きてから、もう3時間が経った。私の小説は遅々として進まないくせに、ココアパウダーだけはみるみるうちに減っていく。流石にそろそろご飯食べないとまずいかな。
私はデータを保存して、近くのホームセンターで買った2000円くらいの椅子から立ち上がる。
……あー、くそ、洗い物してないな昨日の私。フライパンに水が張ったまま放置された台所を見てやる気をなくしたから、引き出しから食パンを取り出すとまた椅子に戻る。まるでヤドカリみたいだな、なんて自嘲が誰もいない部屋に反響した。
いつの間にか、雨粒が窓を叩く音が鳴りだしてる。もう降り出したのか、まったく。大昔前なら恵みの雨として歓迎されたかもしれないけど、現代じゃ雨なんか降らなくても植物は困ったりしない。だったら雨に存在理由なんかないんじゃないかな。ザーザーうるさいし、ほんとに集中できない。
……いやいや、雨なんかに気を取られないで。早くこの小説を完成させなきゃいけないんだから。
……あー、自分にむしゃくしゃする。マジで手が動かない。さっきからタイピングゲームばっかやって、肝心の小説は1ミリも進まず、だ。
やっぱ雨の日はぜんっぜん筆が乗らない。なんでかって聞かれたら十分な理由なんてないかもしれないけど、でもほんとに雨が降ったせいだと思うんだよね。私の意欲的な問題で。
こういう時はテレビでもつけっぱにしとこ。少しだけ騒音がある方が集中できるっていうし。
「――無理してませんか?――」
たまたまかかったバラエティ番組で、アナウンサーがそう呼び掛けてくる。まるで私に話しかけてきてるのかと思ってつい画面を見た。
「――このストレス社会、色々我慢したり無理をすること、沢山あるでしょう。そういう時はリフレッシュが大事です、一度全てを忘れて、温かいお茶でも飲んで休んじゃいましょう。そうすれば――」
電源ボタンを思い切り押して、テレビを消す。黒い画面に、機嫌の悪い私の顔が写った。
「なーにが『リフレッシュが大事です』だ、そんなことはわかってますけど。そうするわけにもいかないから今、こうやって無理してんでしょうが」
思いっきり舌を出してアッカンベーする。主人公の女の子にも同じ仕草させる? ううん、ありふれてるからボツ。
いっその事、書くのをやめられたら、なんて思う。先の展開に行き詰まって、奇抜な発想が底をついて、魅力のある登場人物が生まれない。そんなときに諦めて別の趣味を作れたら、きっと楽だったのかな。
今書いてるのはベッタベタなストーリーで、私が本当に書きたい物語とは全然違う。手も頭も動かないのは、それのせいかもしれないけどね。こんなありきたりなストーリー、私は別に……
……駄目だな、こういうこと考えちゃ。ほんと、雨って嫌い。
「……ん」
上着のポケットが振動する。友達から通話だ。この時間ならゲームやってるかと思ったけど、珍しいこともあるもんだな。
「――起きんの遅くない? あんた、そんなんでコンテスト間に合うの?――」
「うるさいなー、今一生懸命やってますー」
「――今何書いてんの?――」
「んー、今はオリジナルの中編だよ。弱虫な男の子と用心棒の女の子が主人公の、コテコテの恋愛ファンタジー」
「――短中編ならコテコテでもええんでない? 設定詰め込んで拾い切れないよりはマシっしょ――」
「そんなもんかな。で、そういうそっちはどうなの?」
「――あたし? ……まあ、そこそこかな?――」
「何それ。ま、そろそろ集中するわ。今日は雨だし、中々指が動かないんよね」
「――出た、雨嫌い――」
「はいはい。じゃねー」
「――……あんたさ、コンテストで入賞したら先輩に告るって言ってたじゃん?――」
「言ったけど? ……それは私を焚きつけようとしてるの?」
「――いや、その、そういうわけじゃなくて――」
「なに、どったの?」
「――今朝起きたら、メッセで先輩にデート誘われてたんだけど――」
「は?」
「――いや、うん。わかってる。大丈夫、私は別に先輩とそういうんじゃないし、つもりもないし――」
「いや……え? いや、はぁ、えぇ……えぇ? ……先輩が? 口説いてきたってこと?」
「――……ごめん――」
「いや、あんたが謝ることじゃないでしょ。……いやー、はー、マジ……いやマジ、まじか」
「――いやまじごめん……――」
「いやいやいいって。……ごめん、ちょっと」
「――ああ、うん。また明日ね――」
「またね」
……えぇー、だって先輩、今朝は私にもメッセージ送ってきたじゃんか。なにさ、その時にはすでに口説いてたってこと? いやー、あー、マジかー……しんど。
ただでさえスランプ気味だってのに、そんな、そんな追い打ちはきつくない? 私なにかしたかな?
いやさ、あいつが先輩と付き合うことはないと思うよ。私に遠慮してとかじゃなくて、あいつ自身が前にそう言ってたし。
だけどさ、好きな人が友達に告白したとか、なかなかこう、来るものあるんだよね。申し訳ないけど、他の人の事が好きだってわかってる人に、告白なんて出来ないよ。
だって半年前に聞いたらフリーだって、だから好きになれたのに、なのにそんな突然……
……あっ、いけない、パソコンが濡れてる。まさか雨漏り? これだから雨は嫌なんだよ。だめだ、どんどんポタポタ落ちてくる。
……まさかとは思うけど、このまま付き合っちゃったり、しないよね? あいつのことだし、前にありえないって言ってたし、まさかね?
そう思っても、一度沸いた疑念は晴れてはくれない。胸の中の嫌な思いが、どんどん膨れ上がる。
だめ、だめだ。私いま、すごい嫌な事考えてる。自分で逆恨みだってわかってるけど、ちょっとずつ、先輩の事が、あいつの事が、それに自分の事が、嫌いになってしまいそう。
もう、もうっ、ほんとに今日は最悪。折角の休みの日なのに午前中無駄にしたし、雨でジメジメするし、ザーザーうるさいし、パソコンが濡れるし。
雨なんか大っ嫌い。自分のことも嫌い。もう小説なんて書く気力もない。もう嫌だ、テレビなんか見たくない。誰かと話すのもいや。小説書くなんてもってのほか。
椅子の上で膝を抱える私の耳に、絶えることなく雨音が聞こえ続ける。雨、雨、雨。まるでこの部屋全体が一つの大きな箱に閉じ込められてるみたいで、途端に閉塞感が私を襲う。
正直、じっと座ってるのに耐えられなかった。頭の中で練った小説の構想や情景が、どうでもいいときに限って浮かび上がってくる。今はごちゃごちゃした頭をすっきりさせたい。
「……もういいや」
ふと、何かに突き動かされるように立ち上がると、タンスを引っ張って中からバスタオルを取り出した。それを玄関に置くと、上着と靴下を脱いで、サンダルを履く。
こんなこと突然やろうとしだすなんて、やばいな。でもしょうがないよね。家のどこにいても、私の手元に雨漏りするんだもん。どれだけ頬を拭いても濡れちゃうんだもん。
私は玄関のドアを開けると、鍵を閉めることも忘れて、雨の街へ飛び出した。
「ママ、あの人傘忘れちゃったのかなぁ?」
「しぃ、早く帰らないとアニメ始まっちゃうわよ」
黄色い合羽に黄色い傘をさす子供が、私のことを指さす。そりゃそうだ、この雨の中、傘も持たずに公園にいるんだから。
服が雨を吸って重たい。季節外れの気温は容赦なく私の手足を冷やす。雨は嫌い。湿気凄いし、ジメジメするし、次の日の自転車にまたがると必ず濡れるし。
この広い公園の中、たった一人の私はブランコに座ってゆっくりと揺られる。上着はもちろん、下着までとっくにぐっしょりだ。眼鏡にも水滴が無数について、まるで前が見えない。
でも、意外と雨の日の街は悪くないのかもしれない。眼鏡をはずしてみると、車のライトや信号機の光が反射して、世界が煌めいているようにさえ感じる。
家の中じゃうるさいだけだったこの雨音も、諦めて一切を考えないようにしたとき、びっくりするくらい落ち着いた。
あ、でも髪の毛が顔にへばりつくのは嫌だけど。
「……なんか」
なんか、どうでもよくなってきた、かも。前髪を掻き上げて天を見上げる。雨滴が怖くて目は開けられないけど、その代わりに開けっぱなしの口からは、さっきまでの嫌な思いとか、名状しにくい感情が抜けていって、代わりに水滴が入ってくる。
全身から力が抜けていく。悲しみとか、嫌悪感とか、ちょっとの羨みとか、そういう余計なものが消えて、雨が体を打つ感覚だけが全身を包んだ。
……そう、そうだよ。私別に失恋したわけじゃないし。頑張って、先輩に私を見てもらえるようにすればいいんだよ。そんな簡単にいくとは思えないけどさ。
そうだ、主人公の女の子にも、こうやって雨の中走らせよう。そこで男の子が追いかけて、女の子の手を取るんだ。ベタだけど、王道を上手く料理するとこからだ。
「……ん?」
ぶるぶる震えるものをポケットから出す。またあいつから電話がかかってきていた。一瞬出るかどうか悩んだけど、すぐに応答する。
「……なに?」
「――あたしあたし。さっき、先輩にデート誘われたって言ったじゃん?――」
「まさか、治りかけた傷口に塩を」
「――そこまで人でなしじゃないわ! あれ、正確には『今度一緒に買い物行こ』って誘われたのよ――」
「……さいてー」
「――ちょちょ、待った! さっきそれについて詳しく聞いたら、買い物は買い物でも、女の子に渡すプレゼントを一緒に考えてほしがってたってわけ!――」
「……んん?」
「――そのプレゼントが誰用かくらいはわかるよね? あんたよあんた――」
「私?」
「――そ。今度の誕生日に渡したいからって――」
「え、でも私誕生日2か月先だよ?」
「――知ってる。私も先輩も。じゃああんたが仮に誕プレ渡すとして、直前とか一週間前に用意しようと思う?――」
「いや、まあ、一か月前には考えだしてるかな」
「――でしょ? つまり、そゆこと――」
…………もしかして、早とちり?
「――もしもし、聞いてる? ってかあんたなに、雨の音すごいけどまさか外いんの!?――」
「……うん。ちょっと、公園で、一人で……」
「――まっ、まさかと思うけど、失恋のヒロイン気取りで? 公園で? 傘もささずに?――」
「うる、うるさいよ! 元はと言えば、あんたがデートとかいうからじゃん!」
「――はー、大学生にもなって! 公園で一人! 傘もささずに! ……っ! ……っっ!!――」
「その声にならない笑い方やめてよね!」
今更になって、とてつもなく恥ずかしくなってきた。一人で早とちりして、傘も持たないで。
「――まあまあ、とにかく! コンテスト入賞したら、なんて言わずにもう告白しちゃいな。両思いなのはまず間違いないね。いや、こういうのは両片思いって言うんだっけっか――」
「あー……うん、そだね。じゃ、私は家に帰ろっかな」
「――おーおー、風邪ひくなよ。じゃね――」
「じゃね。……ありがと」
「――おん――」
こうして雨の中黄昏る必要もなくなったことだし、家に帰ろっか。帰って、簡単に体拭いて、風呂入って、小説書いて……あ、もう小説書く必要ないのか。
そだ、小説書く必要なんかもうないんだ。あんなベタで、ありきたりで、私が書きたかったのとは違うストーリー。そんなの、書く必要なんて……
……書く、必要?
「違う」
違うよ、書く必要があったから書いてたんじゃない。
「うん、違う」
先輩と話すために書いてたわけでもない。
「私が書いてたのは、書くのが好きだから」
『先の展開に行き詰まって、奇抜な発想が底をついて、魅力のある登場人物が生まれない。そんなときに諦めて別の趣味を作れたら、きっと楽だったのかな』
さっきはそう考えてた。でも、家であーあーうだってた時も、この公園で雨に降られてからも、私の頭から小説を書くことが消えることはなかった。
先輩、ごめんなさい。私の告白はやっぱり、コンテストが終わってからにします。今の私なら、どんな物語でも――とりわけ「恋愛」がテーマの物語なら、いくらでも書ける気がするから。
とりあえず、そうと決まればやることは一つだ。家に帰って、体を拭いて、パソコンに向き合う。今ならきっと、雨漏りも直ってるだろう。これからのことを考えて、私はブランコを立ちこぎしてジャンプする。
雨は大嫌いだった。湿気が凄くて気持ち悪いし、傘を差しても靴やズボンの裾は濡れるし、電波悪いし、窓開けられないし。
でも、こうやって雨の中で遊ぶのも、たまにはいいかもね?
「――で、次の日無事に風邪で講義を休む、と――」
「クシュン! ……うるふぁいよ……」
「――あんな寒い中、雨の中に出るからっしょ――」
……やっぱり、雨なんて。
「雨なんて、大っ嫌い!」