てっぺんの木とさよならの実
逆さ虹の森には、ふしぎな場所がいろいろありますが、てっぺんの木も、そのひとつです。
森をずっと歩いていくと、こんもりと盛り上がった丘があって、そのいちばん高いところに一本の木が生えています。
それが「てっぺんの木」です。
逆さ虹に届かんばかりに、とてもとても高い木は、枝ぶりが少なくて、上へのぼることがむずかしい木です。
ひらけた丘にあるものですから、いつも強い風がふいています。羽のあるコマドリだって、てっぺんの木のいちばん上へいくことは、なかなかできません。
どうにかして、あのてっぺんにあがってみたいものだ。
そんなふうにみんながいうものですから、その木はいつしか「てっぺんの木」と呼ばれるようになりました。
「てっぺんの木には、果実がなっていて、それが『さよならの実』じゃ」
物知りのフクロウがいいました。
「さよならの実って、なあに?」
たずねたのは、好奇心旺盛なアリです。
小さな小さな身体に、誰よりも大きな好奇心をつめこんだアリは、胸をわくわくさせながらフクロウに話をせがみます。
「さあてな。さよならの実はさよならの実。手に入れたという者はいないから、我もそれ以上は知らぬのだ」
「じゃあ、どうしてフクロウはそれを知っているの?」
「フクロウたちの間では、みなが知っていることだからのう」
小首をかしげて、フクロウはいいます。
アリは、なるほどとうなずきました。
フクロウにはフクロウの世界があるように、アリにはアリの世界があるのです。
「さよならの実? きいたことはないなぁ」
「てっぺんの木にそんなものがあるだなんて、きいたこともないわ」
食いしん坊のヘビも、歌上手のコマドリも、さよならの実のことを知りません。
これはますます気になります。
てっぺんの木に、のぼってみるしかありません。
「あんな高いところまで、一体どうやってのぼるんだい?」
「きけんだから、やめておいたほうがいいですよ」
「それでも気になるのです」
のんびり屋のワニがふしぎそうにたずねるかたわら、お人好しのキツネがアリを心配しています。
けれどアリはあきらめる様子はありません。
「根性だ!」と熱血漢のイノシシが雄叫びをあげると、
「実はちょっとしたコツがあるんだよ」とタヌキがささやきます。
けれど、タヌキはいつも嘘をつく、嘘つきのタヌキですから、誰も本気にはしません。
「オイラならちょちょいのちょいで、あっという間にあがってみせるのにさ」
せせら笑うお調子者のサルですが、ならばのぼってみなさいよとはなしをむけても、いつも笑ってごまかすのです。
本当は誰もが気になりつつも、誰ものぼることができない木。
それが、てっぺんの木ですから。
まだ夜も明けきらぬころから、アリは丘をめざします。アリの身では、そこまで行くのもたいへんです。
仲間のアリが行列をつくっているところからはなれて、アリは一匹で歩きはじめました。
湿りけのある土、ときどき大きな水たまりがあるのを避けて、アリは一直線に歩き、空が明るくなって、そうして再び暗くなるころに森をぬけて、ようやく丘が見えました。
こんなふうにたくさん歩いたのは、お引っ越しのとき以来だなぁ
あのときは仲間がいっしょでしたが、きょうは一匹だけです。
珍しいもの、あたらしいものが好きで、いつもはぐれて迷子になることがおおいアリですが、今日のこれは「冒険」です。
よおし、ぼくがてっぺんの木にのぼって、はじめて虹にさわったヤツになるんだ。
アリは意気揚々と近づいて、木に手足をかけました。
てっぺんの木の表面はつるりとしていて、動物たちはほんの少し先にあがることすらできませんが、アリにとっては造作もないことでした。
わずかなデコボコや、ささくれたような木の皮さえも、アリにとっては休憩ができる場所なのですから、ゆっくりゆっくり進んでいくことができるのです。
太陽が昇るまえにのぼりはじめましたが、てっぺんの木の一番上は、まだまだ見えません。途中からは、ごうごうと風が吹きはじめましたが、アリはあきらめませんでした。
風が吹いたときには、アリの身体をすっぽり隠してしまえるぐらいの小さな穴にはいり、おさまるのを待ちます。
傷ついた表面からは甘い樹液がにじんでいましたので、おなかがすくこともありません。
なんだかなぁ。かんたんじゃないか。
アリは思いました。
のぼってみてわかったことですが、木にはところどころに引っかかりがあって、アリでなくとも、のぼろうと思えばかんたんにのぼることができそうなのです。
たしかに風はごうごうと吹いてきますが、木の反対側へいけば、やりすごすことができます。
枝だって、決して少ないわけではありませんでした。
鳥だけではなく、他の動物だって、のぼろうと思えば、むりなことではないように思えたのです。
そんなことをつらつらと考えながら進みつづけます。
夜になって、朝になって。また夜になって朝になる。
ゆっくりゆっくり時間をかけて、アリはついにてっぺんにまで辿り着いたのです。
やあやあ、なんてすごい眺めだろう。
あんなにも強かった風はおだやかで、空がおおきく広がっています。
こんなにも広大な空を、アリはみたことがありませんでした。
いつも過ごしている広場はあそこでしょうか。
遠くで光っているのは、ドングリ池の水面。
こんもりと生いしげっている木々の下が、根っこ広場かもしれません。
てっぺんの木をぐるりと一周しながら、アリは「逆さ虹の森」を見わたしました。
森を半分にわける大きな川がみえます。
そこにかかっているのはオンボロ橋で、橋の向こう側にあるのが「迷いの林」です。
そこに入ると迷ってしまう、その先にいこうと思っても、いつのまにかオンボロ橋のもとへ戻ってきてしまうため、「迷いの林」とよばれています。
そんな林の向こうも、ここからならば見ることができました。
アリがくらしている森の中とはちがい、木の数が少ないようにみえます。そして、見たこともない物がありました。
あれはいったいなんなのだろう?
木のように高くて、だけどゴツゴツしていなくて、どこまでもまっすぐに空に向かって立っています。まるで石でできているように見えました。
ふと、甘いかおりがして見上げると、てっぺんの木の、大きな枝の先っぽに、ひとつ実が成っているではありませんか。
あれがフクロウのいっていた、さよならの実にちがいありません。
するすると近づいていきますと、芳醇なかおりがアリを刺激します。
大きな実にしがみつき、むしゃむしゃと食らいつきます。
今まで味わったこともないような、ふしぎな味がしました。
これはいい。巣に持ちかえって、みんなに分けてあげなくちゃ。
アリは、身体に甘い液体を溜め込みます。
たくさんたくさん吸い込んで、たくさんたくさん溜め込みました。
残念だなぁ。ぼくの身体がもっと大きければ、森のみんなにも分けてあげることができたのに。
そのかわりといってはなんだけど、この景色をみんなに話してあげよう。
ぼくたちがくらす森のうつくしさ、オンボロ橋のむこう側には、ふしぎな物があったこと。
そうして、逆さ虹のこと。
アリは虹をみつめました。
七つの色がつらなった、逆さにかかった虹は、すぐ目の前であざやかに光っています。
ああ、なんてきれいなんだろう。
まるで夢のようだ。
さっき食べた「さよならの実」の味が、口の中にのこっています。
あまい、あまい夢のような味。
アリはなんだか楽しくなってきました。
空に浮き上がるような心地とは、きっとこういうことをいうのでしょう。
歌いたくなる気持ち。
コマドリがいつも楽しそうに歌っているのは、こんな気持ちなのでしょう。
くるりくるりと回りながら、アリはてっぺんの木を、歩きます。
ぐるりぐるりと、てっぺんの木を回ります。
逆さまの虹が、アリの足元から空に伸びていました。
さよならの実が、あまい香りをふりまいていました。
逆さ虹の森の、一番たかい場所で、すべてを見通せる場所で、アリは世界のすべてを見たのです。
オンボロ橋のむこう側。
迷いの林のむこう側。
まるで、てっぺんの木から空に向かっているような、逆さまの虹。
逆さ虹がつくるアーチは、てっぺんの木と、大きな川のむこう側の、つるつるの物にかけられていること。
虹は、光。
あちらとこちらをつなぐ橋。
アリはてっぺんの木のうえで、好奇心を満たしました。
いつのまにか夜がきて、アリは眠りにつきました。
「てっぺんの木はどうだった、アリよ」
「やあフクロウ。てっぺんの木がどうしたの?」
「そうかいそうかい、おまえは知らないのだね」
「知らないって、なにがだい?」
「てっぺんの木には果実がなっていて、それが『さよならの実』じゃ」
「さよならの実って、なあに?」
好奇心を胸いっぱいに詰め込んだアリは、フクロウにたずねます。
「アリよ、おまえの仲間はどこにおる?」
「たくさんたくさん、仲間はいるよ」
小さな身体に、誰よりも大きな好奇心を詰めこんだアリは、てっぺんの木を目指します。
その姿を夜の森で見下ろして、フクロウはホウホウと鳴きました。
さよならの実は、『さよなら』の実。
手に入れたと覚えている者は、誰もいない、ふしぎの実。
最後に出てきたアリは、最初に出てきたアリと、同一個体なのでしょうか。
さてはて。