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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

監禁百合

作者: 理緒

 1日目:空と時計がない。

 窓の外側に板が打ち付けられてるみたいだ。時間を計るには体内時計に頼るしかないか。そもそも時間を計る必要があるかといえば微妙だが。


 2日目:暇だ。

 この部屋にある物はベッド、トイレ、シャワー室、保存食程度。あとは強いて言えば壁、床、天井、空気、私。何もすることがない。テレビくらい置いてくれたっていいじゃないか。スマホすら手元にない。


 3日目:五億年ボタンを押した奴の気持ちがわかった。

 ただし私の場合は百万円という報酬がない。一方的な監禁だ。五億年も続きはしないけど。とはいえこんな状態、五億年どころか数日続くだけでもつらい。一人じゃんけんでもするか?


 4日目:純粋な衣食住。

 することがないない。脳味噌ひからびそう。誰か精神現象学の原著とドイツ語辞典持って来てくれ。


 5日目:無に包まれた今と靄に包まれた未来。残るは過去。

 あれは二年前、高三のときのことだ。同じクラスの九野(くの)という女が軟派され困っているのを見かけて助けたことがある。

 男どもは私より年上っぽかったが難なく制圧できた。所詮腕力があるわけでもないヘタレの群れだ。ああいう連中を見てるとやたらイラついて脳随がキリキリ鳴ってしょうがない。

 九野と私は似てる部分と正反対な部分が極端にはっきりしてる。背が高く精悍な顔の私と、小柄で華奢な九野。二人とも友達とつるまず常に一人でいた。私は人との関わりが嫌いだからだが、九野は寂しがりだったに違いない。

 軟派事案以降彼女は私に執着するようになった。知識としてのストーカーという観念が現実態として現れたことを初めて体験した。

 私をここに監禁したのもあいつだ。たしか九野家はどこかの社長一家だったな。人一人閉じ込めるための部屋くらいいくらでも余ってるんだろう。

 それにしてもなぜ何もない。

 テレビくらい置いてくれたっていいじゃないか。


 11日目:お化けっぽいやつと遭遇した。

 鏡の前で。つまり私……のはずだ。ずいぶんやつれてて一瞬ぎょっとした。しばらく缶詰や乾パンみたいなものしか食べていないからな。

 なんで九野はこの女に惹かれたんだろう。あのとき助けてあげたから? 私が好みだったから? レズなのか?

 残念だが私は多分無性愛者だ。二十歳にもなって一度も恋愛感情を持ったことがない。恋愛感情とかいうのの定義にもよるけど。まあとりあえず人嫌いだし、恋愛はしたことないと言っていいだろう。


 14日目:未だ変化なし。

 九野は何がしたいんだ。もしかしてこの部屋には監視カメラとか盗聴器が仕掛けられてたりするのか? だとしたらずいぶんな変態だな。つーかどんだけサドなん。

 あの小動物みたいな色白の弱々しい九野がねえ……。


 21日目:…………。

 いいかげんにしろ。呼吸による胸の上下がこんなに現象として出しゃばったことは今までない。それぐらい、他になーんにもない。なんでこんなことするんだ?

 九野……九野……。


 27日目:どうしよう。

 もう嫌だ。講義出なきゃ。ゲームやりたい。ラーメン食べたい。


 33日目:声を出すのが何日ぶりかわからない。

 九野がこの部屋を覗き見てると予想して呼びかける。もう意地張ってる場合じゃない。

「くの? 聞こえる? 見てる?」

 しばらくの静寂。そのあとに久しぶりの他人の声が耳に触れた。

『見てるし聞こえるよー。何かな奈緒(なお)ちゃん?』

 脳だか魂だかの片隅でこれはそういう企みだとわかりつつも、私は彼女の声が大いなる救いに思えた。他人との接触に成功したんだ。

「お願いだから……ここから出して」

『……』

 私の声ってこんなに情けなかったっけ? ……ていうかどんな声だったっけ。

『奈緒ちゃんさ……人にものを頼むとき、引き換えとして相手への利点を提示しないってのは賢くないよ?』

 ベッドに横向きに横たわる私の片耳に入る声は程よい高音だった。いい声だ。この子声優になれるんじゃないか。

『私は一生奈緒ちゃんをそこで飼ってもいいと思ってるんだよねー』

「それは……やだ……出して」

『うんだからね、出したら君は私に何してくれるの?』

 付き合ってやるとでも言えばいいのか……? いや、とにかく出られさえすればこっちのものだ……。

「何でもするから。解放してくれたら何でも」

 返事はない。

「九野?」

 よくわからないが、応じてくれないということはこの部屋から逃れられる希望が消えるということだ。もう一度九野に呼びかけようとした。

 そのときついに扉は開いた。

「久しぶり、奈緒ちゃん」

 ゲームキャラのように整った顔にお嬢様っぽいブラウス姿の九野深雪(みゆき)は、まるで救いの女神のようだった。

 作用反作用の法則。

 一瞬後には上記の印象は転回し、彼女は私を監獄へ堕とした悪魔でしかなくなった。

「さーて奈緒ちゃん、さっき何でもするっ──」

 九野の声を遮って矢のように腕を放ち彼女の首を絞める。

「言ったよ。そしてさっそく実行してるよ。どう?」

「っ……いっ…………っッっ」

 どんどん力を込める。色素の薄い九野の顔は血管が透けやすく、みるみる赤くなっていった。監禁生活による衰弱というハンデがあっても、私にとってこんな貧弱なチビは取るに足らない雑魚だ。

 さすがに殺すとまずいので頃合いを見てベッドに放り投げる。涙を浮かべながら咳き込む九野。

「貴様はなんでこんな真似したのかな? 私は数十日の時間を無駄にしたぜ」

「かはっ、……はぁっ……な……奈緒ちゃんを……」

「私を?」

「……私のにし、たかったから……」

「てんけー的なストーカー気質ですねこの野郎」

 今度は腹を蹴る。九野は短く悲鳴をあげた。

「ごめんなさい……ごめ……」

「にしても今何月何日だよ……こんな疑問抱く日が来るとは……あんた、自分のしたことわかってんよね?」

「……」

「おい?」

「だって」

「あ?」


「だって好きなんだもん……」




 ──私の名は七瀬(ななせ)奈緒。二十歳。大学二年生。平凡な環境で生きてきた。いや、平凡過ぎたのかもしれない。

 家族との仲は悪くない。かといってドラマみたいな現実離れした家族愛とやらに満ちてるわけでもなく、ドラマみたいな臭い台詞を吐けば最悪に居心地が悪くなるような、なんというか近過ぎて気持ち悪い関係性だ。家族という人間関係がなぜ世の中であんなに持て囃されてるのかよくわからない。

 友達はいたことがあるがそれは中学までの話。めんどくささと白々しさしか得るものがないからだ。高校は地元から少し離れた所を選び、旧友とは縁を切って、もちろん新たな縁も作らずにいた。

 馬鹿な奴とつまらない奴。気持ち悪いのと鬱陶しいの。それが私の人間観だ。




 そんな人生で今、最も……というか唯一の……一切の濁りがない、瘡蓋剥がしたての皮膚のように純粋な言葉を認識した気がする。

「……私さ」

 続く九野の声になぜか心臓が震える。

「小学生の頃友達と喧嘩したことがあるんだ。それで父さんと母さんに泣き付いたら……二人とも親馬鹿でさ、金と権力にものを言わせて友達一家をずいぶん脅し付けたみたい。それ以来誰も私に寄らなくなった……」

「……」

 人嫌いの私からすれば羨ましい話……かな?

「私も面倒事は嫌だから人と接さないようにしてたんだけどやっぱり寂しくてね。そんな時奈緒ちゃんは私を助けてくれて……それで──」

 軟派男どもを半殺……四半殺しにした時のことか。それで惚れますたと。

「でもどうしたら奈緒ちゃんと仲良くなれるかわからなくて……」

「んで結果思いついたのがストーカー行為に監禁かよ……じゅ……極端な奴だな」

 今私はなんて言いかけた?

「ごめん……でも好──」

「わかった、わかったから」

 おかしい。人への印象っていうのはこんなに簡単に二転三転するものか?

 なんだろう。あえて言うなら……理屈では許せないけど、それを生理的に許容させる、有無を言わさぬ威力が論理を包み込んでるという感じ……?


 目の前に。


 在るのは何だ。


「────────ッ」

 まるで弾丸に撃ち抜かれたように、左胸が一瞬鋭く熱した。青白くやつれた体に血が走るのを感じる。

 私の中で九野深雪という有機体を構成する像たちがその根元の生まれ変わりに連動して、九野深雪という形象そのものが丸ごと更新された。

 ように感じた。

「奈緒……ちゃん?」

 いつの間にか俯いていた私の顔を九野が覗き込んでくる。幾何学的に言ってその状態であれば九野の態度は上目遣いというやつ──しかも近距離──となる。

「クッソが……」

 こんな変態を好きになるなんて屈辱だ。

 でもなってしまったのは仕方ない。

「奈──ひゃっ」

 ドスンとベッドに手を振り下ろし彼女に迫る。壁ドンならぬベッドン……いやベッドスンか。

「あんたは『何でもする』ってのを了承したよね? なら何されても文句言うなよ」

 言うと私は九野の頬を引っ掴んで引き寄せ、唇を奪った。

 ──やっぱりか。心地いい。恋愛的な意味での『好き』で合ってたみたいだ。




 釈放後:私と深雪はやっぱり似てる。

 どっちも長い間ロクな人付き合いをしなかった。それが反動になって何気ないきっかけで好き合ったわけだ。それ以外の部分では断固真逆だがな。




   【了】


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