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第三騎士団の文官さん  作者: 海水
ロレッタの望み
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第七話 無慈悲な現実と無表情な男

 ロレッタはゴトゴトという揺れと音で目を覚ました。静かに目を開くと、ロレッタを心配そうな顔で窺ってくるハンナの顔が見える。


「お、お嬢様! よかった。目を覚まされたんですね!」


 ゴトゴトしてるのは馬車になっているからだ。馬車の座席に横にされていたロレッタは、ゆっくりと体を起こした。当たり前だが窓の外は仄かな街灯の明りがあるだけで、真っ暗だ。大通りを進んでいるのか、閉ざされた店が連なっている。

 ここでようやくロレッタはハッと我に返った。


「どうしてあたしはここに? それにクルツさんは?」


 ロレッタはクルツに寄りかかる気持ちよさにスッと寝てしまったのだ。それがいつの間にか馬車に乗っている。馬車の中を見渡し、クルツはどこに行ったのかと思い至ったのだ。


「ザカライア様が手配された馬車で屋敷に向かっております。目立たぬよう王城の裏から出ましたので他の夜会の出席者にはほぼ気が付かれていないかと」


 ハンナはそこまで言うと少しニヤッとした。

 

「クルツ様はお嬢様をお姫様抱っこで馬車まで運んできた後、ザカライア様に捕まっていたようです。何故かオロオロされていたようにも見えましたが」

「ザカライア兄様が? っていうかオロオロ?」


 ザカライアというのはロレッタの兄であり、リッチモンド家の嫡男だ。ネイサンが引退すれば爵位を継ぐはずで、既婚者だ。今日は体調がすぐれないネイサンに変わってザカライア夫妻がロレッタのエスコートで来ていたのだ。

 ロレッタは兄がクルツを捕まえたという言葉に引っかかったが、オロオロという単語に意識を持って行かれた。常に無表情クルツがオロオロするなど想像できなかったからだ。


「クルツ様は抱えたお嬢様を馬車に運び入れた後にザカライア様に呼び止められ、少し会話をされていたようで。その時の様子が可笑しかったものですから」


 ハンナはニヤッとしながらも続けた。鉄仮面の様なクルツの顔がオロオロするとどうなるのだろうか、と関係ない妄想が頭によぎってしまうがそれを手で振り払ってハンナに問う。お姫様抱っこという単語に今更気が付いたのだ。


「あたしを抱えて?」

「えぇ、クルツ様に、それはもう大事そうに抱えられて、にやけた顔ですやすや寝てましたよ。一体全体、お二人で何をされていたんですか? ザカライア様も言っておられましたよ。会場で姿を見ないと思ったら、ロレッタはどこに行っていたんだって」


 ハンナはちょっと横を向いてイヤらしい流し目で見てくる。そんなの男に使いなさいよ、と心で文句を言った。それよりも問題は、ロレッタが夜会の際中に消えているのがばれた挙句に、それが夜会にはいないクルツと一緒だった事が発覚したことだ。逢引と取られるのは間違いない。ロレッタ個人にとって問題が無いわけではないがリッチモンド家としては大問題だろう。


「ちょっと、相談があったのよ」


 ロレッタは頬が熱くなるのを感じるが、平静を装う。しかし、この話がネイサンにばれれば、当然詰め寄られてしまうだろうということは予想できた。ロレッタはお説教を想像してポスンと背もたれに寄りかかり、大きくため息をついたのだった。





 数日後、王城の裏手で帝国への資材出荷の最終確認をしていたクルツはネイサンに呼び出しを喰らった。重そうな足取りで王城内の廊下を歩き、ネイサンの執務室へと向かう。


「クルツです」

「入ってくれ」


 クルツが扉を開け中を見ると、そこにはネイサンの他にロレッタの兄のザカライアもいたのだ。栗色の髪を油で後ろのなでつけた、彫の深い顔のつくりの美男子だ。ロレッタは可愛い顔つきだが、ザカライアはカッコいいと言える顔つきだった。

 ネイサンは机に、ザカライアは備え付けのソファに座り、クルツを待ち構えているようだった。一瞬躊躇したクルツだが観念したのか項垂れつつ中へと入っていく。


「お呼びでしょうか」


 呼び出された内容の予想はつきつつも、一応確認をする。


「まぁ、ここにザカライアがいる事を考えれば、賢いお前なら分ると思うが」

「……ロレッタ様の事、ですか」


 クルツはあえてゆっくりと言葉を発すると、ネイサンとザカライアの視線がクルツに刺さってくる。


「まだロレッタには話を聞いていないが、先に君に聞いておこうかと思ってね」


 ネイサンが口を開いた。その表情は、固い。


「最近夜会では半ばも過ぎるとロレッタの姿が見えなくなっているそうだが、それは君のところへ行っていた、という事で良いのかな?」


 ザカライアが静かに感情を殺した声色でクルツに確認してくる。クルツは短く「はい」と答えた。ここに来ているということは、隠すだけ無駄だ、ということでもある。


「ロレッタ様は、どこか疲れた様子で私が残務している部屋に来ておりました。部屋に来ては自分がどれだけ頑張っているかなどの話をしておりました。こちらとしては飲み物と菓子をお出ししたくらいです」


 クルツは包み隠さず話をした。嘘もついて良い時と悪い時がある。今は最悪の場面だ。


「先だってその話は聞いた」

「リッチモンド家の家名に傷をつける様な行為は、誓って致しておりません」


 ザカライアの相槌にすかさず言葉を差し込む。クルツの言葉にザカライアとネイサンは視線を交差させた。


「……まぁそうだろうなぁ。大方ロレッタが押しかけたのであろう」


 ため息をつきながら、ネイサンはそんなことを言った。


「失礼を承知で申し上げますが、ロレッタ様は公爵家の令嬢として、そうあろうと務めておられます。が、その努力もご自分の体力をお考えになったほうがよろしいかと」


 クルツは訴えるように話すが「それは君が心配する事ではない」とザカライアに一蹴されてしまう。


「出過ぎた口を利いてしまい、申し訳ありませんでした」


 叱責されたクルツは頭を下げるのだった。





 その晩、ロレッタは帰宅したばかりのネイサンに呼ばれ、とある部屋で向かい合って座っていた。ロレッタも呼ばれた理由は分っていた。先日の夜会でのことだろう。ロレッタは、難しい顔をした父であるネイサンを見つめる。


「先日の夜会を途中で抜け出してクルツの所へ行っていた、とザカライアから報告があった。間違いないな?」


 予想通りの内容にロレッタは姿勢を正した。


「はい。クルツさんの所へお邪魔しました」


 ロレッタの言葉にネイサンの表情は変わらない。予想通りだったのかもしれない、とロレッタは感じた。自分が問われているのならクルツは先に聞かれていると思ったからだ。ザカライアも王城で働いている。情報の共有も伝達も早いのだ。


「話をしに行ったと聞いているが」


 恐らくはクルツからの情報だろうと思ったロレッタはちゃんと答える事にした。立場の弱いクルツが嘘をつくとは思えないからだ。


「愚痴を聞いて貰っていました。でもクルツさんの仕事の邪魔はしていません。ただ話を聞いて欲しかったんです」


 ロレッタの言葉に嘘は無いが真実でもなかった。話をしたかっただけではない。会いたかったのもある。

 帝国に残っている彼は隣にいると楽しかったが、クルツは隣にいると安心するのだ。疲れた精神を安らかにしてくれてもいた。だからこそ、頑張って嫌な相手でも話をしたりダンスを踊ったりしてこれたのだ。

 真っすぐ見つめてくるロレッタにネイサンは唸った。嘘をついている様には見えなかったのだろう。


「公爵家の娘として恥をかかないように努力はしていますが、時には休憩も欲しいのです。クルツさんと話をしていると落ち着いて安心するんです」


 真摯なロレッタの訴えにネイサンは「そうか」と呟いた。


「だがなロレッタ。クルツとは身分が違い過ぎるのだ。気持ちは分かるが、近くにいるのはお互いに良いことではない」


 諭すような口調のネイサンに対し、ロレッタは唇を噛む。


「なによ、身分身分って。二言目には身分とか! それが何だって言うのよ! そんなのがあったって、あたしには何にも良いことなんかないじゃない!」


 ロレッタは、その白い手が赤くなってしまうまで、強く握り締めた。クルツには近づくなという言葉が納得できないのだ。


「お前がちやほやされるのも(かしず)かれるのも、公爵の娘という身分があってのことだ。夜会で他の貴族の令嬢たちからも嫌がらせを受けたことはあるまい。地位の低い家の令嬢は、もっと苦労しているのだぞ?」


 ネイサンはあくまで落ち着いて話を続けている。ロレッタに合わせて激昂しても何の解決にもならないのだ。ロレッタも言われた内容は理解できる。ただ理解できることと納得できることは別だ。


「あたしはクルツさんの傍にいてホッとしたいだけなの! 他の男性では、それがないのよ!」


 ロレッタとしては、自分の努力を分かって欲しかったし、その代償としての安らぎが欲しかった。それすらも叶わないのなら、この先に希望が持てない。

 目に涙を浮かべながらロレッタは訴えた。だが無情にもネイサンの首は横に振られた。





 数日後、クルツはネイサンに呼び出された。ネイサンの執務室で二人は向かい合って座っている。先日のロレッタとネイサンの様に。


「その様子だと、大分やられているようだな」


 ネイサンはずぶ濡れになっているクルツを見てため息をついた。


「そうですね。大分嫌われているようです」


 クルツは無表情ではあるが目の下に隈ができていた。


「噂とは、広まるのがこんなにも早いのだな」

「収まるのは遅いのですが」


 夜会でロレッタがクルツに運ばれたところを、完全に隠せたわけではない。王城の下女などには見られていた。噂好きの下女から王城に務めている貴族たちに伝わるのもすぐだった。あの翌日からクルツに対する嫌がらせは格段に増え、そのやり口も陰惨だった。

 廊下を歩けば下女や使用人の陰口が耳に入った。内容は決まって「釣り合わない」「無理やり関係を結んだ」「ロレッタがショックで臥せっている」だった。貴族たちは正義を振りかざし、多人数でクルツを囲み、何をしているか分らないようにした上での暴行や物陰からの罵声を浴びせた。

 今日は建物沿いに外を歩いていたら上から水が降ってきた。見上げたが当然誰もいない。


「すまんな……」


 ネイサンは頭を垂れた。原因を辿って行けばロレッタに辿り着くのだ。彼女がクルツの所に行かなければこんな事にはならなかった。またロレッタが公爵の娘だと言う事も事態を悪化させる要因だった。


「ロレッタ様は美しく人気がありますから。それにそろそろ潮時だと思っておりましたし」


 相変わらずの無表情なクルツにネイサンは眉を顰めた。


「何を考えておる」


 ネイサンに問われ、クルツは静かに口を開く。


「城を、出ようかと思っております」


 クルツはまっすぐにネイサンを見つめた。青い瞳に少しの濁りもない。


「そもそも閣下が引退されたら城から出るつもりでした。これ以上リッチモンド家にご迷惑をおかけするわけにもいきません。何よりこのままだとロレッタ様に悪い噂が立ったままです。私が消え、ちゃんと真実が知れ渡れば、そんな噂は無くなるでしょう」


 クルツの言葉にネイサンは額に手を当てた。


「城を出てどうする。領地にでも帰るか? 城落ちでは悪評にしかならんぞ?」

「爵位は弟に譲ります。すでに話は付けてあります。閣下のおかげで弟に良い縁談が来ました。跡は弟が継げば、なんの問題もありません。弟夫婦はいまでも良く領地の運営をしておりますので、特に心配はしておりません」


 クルツは淡々と語った。そんなクルツにネイサンは又ため息をつく。


「お前はどうするのだ。領地にも帰らないつもりか?」

「……どこか遠くへ行こうかと。私が領地に戻れば弟夫婦はやり辛いでしょう。地方の官吏に空きがあれば良いのですが、無ければどうにかします」

「あてはあるのか?」

「いえ、ありません」


 そもそもクルツは王城では嫌われている人間だ。協力してくれる者もいない。自分の道は自分で切り開かねば生きていけないのだ。


「ロレッタはお前を慕っているようだ。お前の傍にいると安心すると言っておる」

「……お気持ちは嬉しいのですが、それは最悪の選択です。リッチモンド家の名をけがしてはいけません」

「まぁ、お前ならそう答えると思ったよ」

「申し訳ありません」


 クルツは深々と頭を下げた。ネイサンの救いの手を断ったのだ。


「ロレッタはさぞかし悲しむだろうなぁ」


 ネイサンは大袈裟に嘆くふりをし、クルツを見やる。


「ロレッタ様は努力を重ねられております。きっと立派な淑女になられる事でしょう。その内ちゃんと彼女を見てくれる、お似合いの男性が現れますよ」 


 クルツは口もとを緩め、緩やかな弧を描いた。最後の引き留めにもクルツが首を縦に振る事は無かった。

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