第六話 淡い想いと無表情な男
次の日からロレッタは思う所があり屋敷にいることにした。お付の侍女のハンナが驚いているが、昨晩ネイサンと言い争っている声が屋敷中に響き渡っていたのでそのせいだろうと思われていた。
「お嬢様、今日は屋敷にいらっしゃるんですね」
着替えを手伝っているハンナが嬉しそうに話しかけてくる。巻き込まれることが無いからか、ハンナは上機嫌だ。
「うん、昨晩は大分怒られちゃったしね」
ロレッタは反省したふりをする。ハンナにも内緒にするつもりだった。
「今日もどなたかがいらっしゃるみたいですよ」
ワンピースを着せ終わり、ロレッタの髪を梳かすハンナが今日の予定を告げる。一応彼女の頭には予定が入っているはずなのだが、詳細までは無理のようだ。
「そう。恥ずかしくない様にもてなしてね」
「勿論です。リッチモンド家の名に恥じるようなことはしませんとも!」
笑顔のロレッタの後ろでハンナがグッと拳を握りしめた。
その日からロレッタは屋敷に訪れる貴族全てと会うことにした。あの日、王城の廊下で会った品のない貴族はロレッタに気が付かなかった。夜会でダンスを踊って、先日屋敷にも来たのに気が付かなかったのだ。彼はロレッタの何を見ていたのか。
彼らの目に自分がどう映って、どう思われているか、彼らを観察することでそれを得ようとしたのだ。
それと同時に、目の前にいる人物が、本当はどのような性格で、何を隠しているのか。その本性も知りたかったからだ。ロレッタはいずれ嫁ぐことになる。せめてその相手には、自分を見てくれている人間であって欲しかった。
「いつもは何をなさっているのですか?」
「王城で役人をしております。これでも期待されているんですよ!」
「まぁ、有能ですのね」
ロレッタの質問には大抵このような答えが返ってくる。自分を良く見せたいと言うのは男も女も同じである。だがロレッタはその後にネイサンにその男の王城での評判を確認するのだ。嘘をついていれば、すぐにわかる。
「なにか好きな事って、あります? 私は観劇が好きで」
「そうですか、いや私もよく見に行くんですよ」
「まぁ、私、マージェリー役のニコラのファンなんです。もう立ち振る舞いが素敵で!」
「なるほど、そうなんですね。彼女は素晴らしいですからねぇ」
誤魔化すような言い方をする男は、絶対に観劇などしていない。ロレッタは適当な名前をでっち上げて言っているだけなのだ。知っている男はちゃんと訂正をしてくる。知らなければ知らないと正直に答える男もいる。数人だがそのような男もいた。だが大抵は良い印象をもたれたいから嘘をついていた。
ちょっと胸元の開いたドレスを着て、わざと前かがみになる事もした。当然胸の谷間がのぞく。見えてしまうのは仕方がない。チラチラと気にするのか、敢えて視線を逃がすのか。どこを見ていたかは、後ろに控えているハンナに聞くのだ。そんな事も試していた。
そして夜会にも積極的に出ている。勿論、品定めだ。その為にダンスの練習も真面目にやった。ネイサンから見れば心を入れ替えて令嬢らしくなるべく努力をしていると映っていた。おかげでネイサンの機嫌も良いのだ。
「ふぅ、今日も疲れた~」
夜会に出席はするが、半分を過ぎるとロレッタは途中で抜け出し、クルツが残務で残っている部屋に籠りきりになっていた。ダンスに誘われ、終えれば次が待っている。ロレッタが若いとはいえ体力には限界がある。ダンスは体力を使うのだ。
「ロレッタ様が積極的に夜会にお出になるので、最近はネイサン閣下の機嫌も良いです」
「そうよー、あたし頑張ってるのよー」
ロレッタは力なく返事をする。相変わらず無表情のクルツだが、ロレッタが来ると飲み物を用意してくれる。ロレッタも夜会の会場で水分の補給はするがアルコールは飲まないようにしていた。折角クルツの所に避難しても疲れて寝てしまうからだ。
ロレッタがここに来る目的は二つ。一つは愚痴を言いにくること。クルツはロレッタの話を聞いてくれる。馴れ馴れしく体を触ってくる男に当たり、嫌な思いをしたときなどは半ば八つ当たりに近い物になるが、クルツは手を止めロレッタの愚痴をきちんと聞いてくれた。
「その様な男には近づかない方が良いです」
クルツが静かにロレッタの望む返事をくれる。
「そうよね! サイテーよ!」
ロレッタは腕を組んでご立腹だ。
「ロレッタ様にふさわしい男は必ずいますから」
「うーん、そうかなぁー」
首を傾げるロレッタにクルツは続ける。
「いますとも。いつか見つかるはずです。急いで探さなくても大丈夫ですよ」
無表情ではあるが、なんとなく声色も柔らかく、慰めるようにクルツは話しかけてくる。ネイサンやハンナは発破をかけてくるばかりで、ロレッタの話をゆっくり聞いてはくれなかった。ここに来るとロレッタは余計な力も抜けて癒されるのだ。
もう一つの目的は、クルツの観察だ。無表情で無愛想に見えるクルツだが、意外と表情があり、ロレッタも最近分かるようになってきた。
今の様にロレッタが疲れている時の彼の眉尻は、ほんの少しだけど下がる。声色は低く抑えつつも芯が柔らかくなり、ロレッタはその声を聴くと少しホッとする。体の力が抜け、リラックスできるのだ。
ロレッタが嬉しそうに話をするときは、なんとなく彼の目尻が下がっている様にも見えた。気のせいかもしれないが、眼鏡の奥の彼の青い瞳が優しく見えるのだ。
それともう一つ。ロレッタが嬉しくて自然な笑みをクルツに向けると、彼は必ず眼鏡のブリッジを指で押し上げた。ちょうどその時は彼の顔が手で隠されてしまい、見えないのだ。多分癖なんだろうとロレッタは予測しているが、どんな時にあの仕草が出るのかを色々と試してもいた。ともかくクルツを知りたかったのだ。
ロレッタはここぞとばかりに、寝たふりをしてみることにした。
最初にこの部屋に来た時は、壁に背中を預けていたかったためにクルツとは距離を取っていたが、慣れた今はすぐ後ろに座っている。椅子の背もたれに寄りかかり少し俯き加減の姿勢で静かにしているとクルツの「あれ、寝てしまいましたか」という声が聞こえてくる。
ガタッと椅子のずれる音がして靴の音が近づいてきた。ロレッタはバレないよう静かな寝息のマネをすると、肩から何かがかけられる。少し手に触れた感触から、それがふかふかの毛布だと分かる。転寝している時は風邪もひきやすい。前は上着だったが、今回は毛布だ。念のため用意しておいてくれたのかもしれない。
「ロレッタ様は頑張り過ぎです」
クルツの優しい声を引き連れて、硬い手で頭をぽんぽんとされる。騙しているのが申し訳なくなってきたので心の中で「ごめんなさい」と謝っておいた。靴の音が離れてぎぃっと椅子に腰かける音がする。直ぐに紙の上をペンが滑る音に変わり、クルツが仕事を再開したことを教えてくれた。
ロレッタは何故クルツが優しくしてくれるかを考えた。
父であるネイサンに恩義があるのは間違いなく、それを返す為に優しいのかもしれない。自分に好意があるのかな、とも思ったが、己惚れるのは良くない。そもそもクルツは縁談を断っているのだ。残念だがその線はないだろう。
無防備に寝ているのに何もしてこないことに、少し残念な気持ちも湧く。自分に魅力が足りないのかとも思ったが、他の男が胸などをチラチラと見てくることを考えれば、一応女としての魅力はあるのだろうと結論付けられた。では何だろう?
静かにそんな事を考えている内に、ロレッタは本当に寝てしまった。
「……起きてください」
肩を優しく揺すられ、ロレッタは薄っすらと目を開けた。目の前にはちょっと眉尻をさげ、困った風に見えるクルツの顔がある。寝ぼけていたロレッタは「あークルツさんだー」と寝言のように呟き、クルツの頬をむにっと摘み「もっと笑ってー」と言った。と、夜会の会場に送られる際に無表情のクルツに言われた。
ロレッタとクルツは二人並んで夜会の会場へと歩いていた。
「迷惑ですよね」
ロレッタはしょんぼりを演技した。迷惑とは思っているが止めるつもりは無いのだ。
「いえ、ロレッタ様もお疲れでしょう。もう少しスケジュールに余裕を持たせてゆったりと過ごされても良いのですよ?」
無表情だが、声色の角は丸くなっている。クルツの気遣いがこもっている気がした。
「知りたい事があって」
ロレッタは苦笑いを浮かべるが、これは演技ではない。
「何かお手伝いできることがあれば、遠慮なく申してください」
クルツはあくまで優しかった。だが「知りたいのはあなたの事で」などと聞けるわけもなく、ロレッタはクルツの左腕にそっと手をやりエスコートの形をとった。クルツは正装ではなく深緑色の官僚服なので会場には入れないが。
「腕を貸してほしいの」
クルツは歩く速度を緩めてくれた。言葉には出さない細かい気遣いがロレッタには嬉しい。自然と頬が緩んでいくが、ぐっと我慢する。
「大分お疲れですね」
横から優しげな声がかけられた。クルツの腕に添えた手には筋肉質の固い感触が伝わってくる。背中も固くて鼻をぶつけた時には痛かったが、腕も固いようだ。
結構筋肉質で、脱いだら凄いのかも。逞しい体に抱かれるなんてステキよね……って何考えてんのよ!
ロレッタはのぼせ上がった頭を左右に振って妄想を思考から追い出す。そんなイヤらしい事なんか考えてないんだから、などと誰も聞いてはいない胸の内なのに懸命に言い訳を考えているのだ。
「どうされましたか?」
ちょっと高い位置からクルツがロレッタを見てくる。眼鏡越しの青い瞳と目が合うと、クルツが「顔が赤いですよ? 風邪でもひかれましたか?」と言い、右手でロレッタの額に手を当ててくる。ちょっとごつごつした感触が額に触れるとロレッタの体温はぐんと上がっていく。顔はもっと熱くなっている。
「あ、あのあの……」
「ふむ、熱はないようですが」
クルツが屈んで目線を合わせてくる。クルツの顔がぐんと近づくと、ロレッタの心臓が駆け足を始めて全速力で走っていってしまう。恥ずかしいのと嬉しいのと胸が痛いのでロレッタは涙目になっていた。こんな事は初恋の彼ではなかったことだ。彼抱き付いたことはあってもここまでドキドキすることは無かった。
「……大事を取って休まれた方が良いですね。閣下には私からお話をしましょう」
口をパクパクとするだけで何も言えないロレッタはいわれるがままにコクンと頷いた。だがこのままだと何も聞けないで終わってしまう。クルツにはいつでも会えるわけではなく、夜会が王城である時にしか会えない。チャンスは少ないのだ。
えーい、やっちゃえ!
覚悟を決めたロレッタはよろめいたふりでクルツにの胸に枝垂れかかる。
「ロレッタ様!?」
慌てたクルツはりロレッタの肩を抱き、倒れない様にしてきた。埋めてる胸からはクルツの匂いがして、がしっと抱かれた体からは服を通しても暖かい感触が伝わってくる。ロレッタは言い知れぬ安心感に包まれていた。
あー、このままでいたいなぁ。いたいなぁ……
安心感に包まれていると、演技でも眠たくなってくる。疲れも溜まっているのだ。ロレッタの息はどんどん静かになり、やがて寝息に変わってしまった。




