第四十三話 二人の時間
ひたすら砂糖です。
この二人は、二人でいるからこそ、書いていて楽しいのです
ローイックとキャスリーンは仲良く並んで座り、ヴァルデマルと共に馬車で宮殿へ向かっていた。すでに陽は落ち、暗くなった帝都の通りを馬車はゆっくりと走っている。辺りは兵士の姿が目立っている。大捕り物をしている関係で戒厳令でも敷かれているのかもしれない。
「予想以上の騒ぎになってしまいましたね」
窓の外を見ているローイックは呟く。その顔には緊張の色が見える。
「やらねばならん事だったのだよ。腐敗はいずれ国力の低下を生む。遅きに失するような事態は避けねばならんのだ」
二人の正面に座っているヴァルデマルの表情も硬い。これからは帝国内も混乱するだろう。その事がその表情にさせるのだ。
「私が恨まれるのは一向にかまわないのですが……」
ローイックは視線を左に座るキャスリーンに移した。彼女がこの大捕り物に加担しているとわかれば、恨みを買い、危害が及ぶかもしれない。ローイックは、それだけは避けたかった。だが彼女の助けなしには事を成し遂げられなかったのは確かだ。異国での事で仕方がないことなのだが、自らの力のなさにローイックは肩を落とした。
「仕方ないじゃない。国内を平穏に保つためにはやらなきゃいけない事なんでしょ? それにあたしは嫁いで外国に行くんだから、問題ないわよ。第一、旦那様が守ってくれるんでしょ?」
キャスリーンがローイックの肩に頭をコテンと乗せてきた。正面で二人を見ているヴァルデマルは苦笑する。
「まだ正式には婚約者となってはおりませんが……まぁ、上手く外堀を埋められてしまいましたな」
「お互い様です」
「はは、言うのぅ」
ローイックとヴァルデマルは笑いあった。
その晩遅く、ローイックは部屋の近くのテラスで一人夜空を眺めていた。帝都は夜でも明るい。街の繁華街では大捕り物があったにも関わらず、酒場などは賑わっているのだろう。今回は貴族や商会が中心で、一般の住民には殆ど関係ないのだ。
「今日は疲れたな……」
ローイックは人々の営みの灯りと夜空に浮かぶ星の瞬きを、頭を空っぽにして眺めていた。今日は色々あり、疲れたのだ。
「部屋にいないと思ったら、ここにいたの?」
聞きなれたその声にローイックが振り向けば、テラスの入り口立っている、赤いドレス姿のキャスリーンが目に入った。ちょっぴりだけ開けたけ胸元に大きなリボンをつけ、二の腕くらいまでの丈の袖に白いオペラグローブを合わせている。
キャスリーンには珍しくマーメイドドレスを着ていた。いつもは動きやすさ優先でエンパイアドレスだが、気分でも変わったのだろうか。
体のラインが出るマーメイドドレスはローイックにとっては目の保養だ。肩から下がり、腰のくびれを経て尻から腿へ至る女性らしい曲線美がローイックの目を惹きつけてはなさない。いつもの騎士服にはない、スレンダーながらも女性を主張するその様にローイックは魅入る。女性をまじまじと見ては失礼に当たるが、見てしまうのは男の性だ。それがキャスリーンであれば、尚更だ。
「えぇ、なんとなく涼みたかったので。というか、姫様一人ですか?」
すでに夜も更け、日付を跨ぐまであまり余裕はなさそうな時間だ。キャスリーンがこの時間に部屋の外にいるのは珍しい。キャスリーンは朝が早いので寝るのも早いのだ。しかも今は侍女も連れていない。夜更けに皇女が単独で歩いているなど、今日の件も考えればありえないことだ。
「気を利かせて廊下に隠れてるのよ。今日はローイックも疲れてるかなと思って肩でも揉んであげようかと思ってたら、こんな時間になっちゃっただけ」
キャスリーンが近くにある椅子をローイックのすぐ左隣に置き、スカートを気にしながら静かに座った。肩が触れ合う距離で2人が並んで座っている。
「姫様のその姿を見たら、疲れがどこかに飛んでいきました。綺麗です」
ローイックはキャスリーンのドレス姿を目に焼き付けていた。たまにしか見る事が出来ないからだ。似合っている、と思えばローイックの頬は勝手に緩んでいく。
「騎士服よりも、こっちの方が良い?」
キャスリーンが、眉を下げちょっと困った顔になった。立場上ドレスを着るが彼女は動きやすい騎士服が好きなのだ。当然ローイックもそんな事は知っている。
「ドレス姿の美しい姫様も、騎士服姿の凛々しい姫様も、どっちの姫様も好きですよ」
ローイックは微笑みながら正直に伝えた。その答えに満足したのか、キャスリーンが嬉しそうに頬をほころばせた。
「明日、ハーヴィーさんがミーティアのご両親に会いに行くって」
キャスリーンが首を倒し、ローイックの左肩にコテンと頭を乗せる。
「さっき聞きました。「どうやって挨拶すれば」とか「嫌われたらどうしよう」とかブツブツ言ってましたよ」
笑いながらローイックも合わせるように首を曲げ、キャスリーンの頭に自分の頭をそっと触れさせた。キャスリーンからは「にへへ~」と照れ笑いの声が漏れてくる。
「あの二人がねぇ」
「夜な夜な部屋で逢引してたらしいわよ」
「え……気が付きませんでした」
ローイックは呑気に寝ていたのだ。流石というか、らしいというか。
「明日は休むって、二人揃って言いにきた時のミーティアは可愛かったわよ。耳まで真っ赤にしちゃって、恥ずかしがってるけど嬉しそうな顔でね。お幸せにって言っちゃった。でも、ちょっと羨ましいな」
キャスリーンが頭をぐりぐりと擦り付けてくる。
「姫様は、私では不満ですか?」
「ぜーんぜん。今日のローイックはカッコよかったね。でも、あたしはいつもの優しいローイックが、好きだなぁ」
キャスリーンが更にゴリゴリと頭を振って否定してくれた。子供っぽい仕草だが、これが、ローイックが愛してやまないキャスリーンだ。
「あはは、今日の私は作った私ですから。私はいつも通り、ちょっと抜けてるのほほんとした男です」
「あたしの大好きな、いつものローイックだね」
何気なく発せられたキャスリーンの言葉にローイックの心臓が跳ね上がる。
「あしたね、ローイックを連れて来なさいってお父様に言われたの」
更に続いた言葉に、跳ねた心臓が口から飛び出しそうになった。レギュラスのあの射抜くような緋色の瞳を思い出すと冷や汗が背中を伝う。だがローイックにはやるべきことがあるのだ。気を取り直して返事をする。
「分りました。姫様、ちょっといいですか?」
ローイックは服の内ポケットに手を突っ込み、小さな箱を取り出し、目の前のテーブルにコトリと置いた。キャスリーン頭がピクリと動き、「そ、それって」と小さな声をあげる。ローイックは箱を開けようとしたが右手だけでは上手くいかず、蓋があけられない。
「あたしが押えてるから」
見かねたキャスリーンが小さな箱の脇を手で固定した。
「ありがとうございます」
ローイックは苦笑しながらも蓋を開けた。箱の中には白銀のシンプルな指輪が収まっている。ローイックはその指輪をそっと持ち上げ、体をキャスリーンに向けた。
キャスリーンが既に左腕のオペラグローブを取って白い素肌を晒していた。月の光を浴びて、その白い肌は薄らと発光しているようだ。キャスリーンは、はにかみつつもちょっと緊張しているように見える。これから何があるのかは分っているのだ。
ローイックもさすがに余裕がないのか、顔の表情は硬い。それでもキャスリーンの緋色の瞳をじっと見据えた。今までの出来事が脳裏をよぎり、胸には、伝えたかった想いが沸き上がってくる。
「ようやく、想いを告げられます。私は、姫様を、愛しております」
訥々と想いを告げた直後、ローイックは彼女に、むにっと頬を摘ままれた。ローイックは訳が分からず目を瞬かせる。
「これからは姫様じゃなくて、キャスリーンって呼んで」
照れ笑いを浮かべたキャスリーンに、そう言われてしまう。理由を理解したローイックの顔も緩んでいく。
「はいひめさ……じゃなくてキャスリーン」
もはや無意識に口が動くレベルになっているのか、ローイックは言い間違える所だった。すんでの所で言い直し、お互いを見て微笑みあう。
差し出された左手の薬指に、ゆっくりと白銀の指輪をはめていく。キャスリーンの指の付け根辺りには剣ダコができている。真面目に剣を振っている証拠だろう。皇女らしからぬこの手も、ローイックは好きなのだ。
ローイックによって根元まではめられた指輪は彼女の指にぴったりのサイズだった。
「すごい、ぴったりね」
キャスリーンは照れを隠すように左手を顔の前にかざし、はめられた指輪をまじまじと見ている。
「あの、安いものしか買えなかったので、まじまじと見られてしまうと、情けないので、その……」
ここは母国ではなく、所持する金もない。ハーヴィーが持っていた金を少し借りて、商会巡りをした時にこっそりと買ったのだ。キャスリーンの指の太さは良く分っている。安物ではあるが、形だけでも贈っておきたかったのだ。
「ローイックから初めてもらったの……これで良いの。これが良いの」
指輪を眺める彼女のその緋色の瞳が、だんだんぼやけていく。その様子を見ているローイックの口もとふ緩んでいた。
「喜んでいただけて、何よりです」
ローイックはキャスリーンの頬に手を当て、零れそうな涙を親指で拭う。
「うん、ローイック大好き」
キャスリーンは泣きそうな顔で微笑む。
「私もです、ひめ……」
言いかけてローイックは苦笑した。キャスリーンがにこりと微笑む。
「もぅ、早くなおしてね」
「できるだけ早く」
二人は顔を近づけ、そっと唇を重ねた。
次回最終話「手に手を取って」です。




