第二十九話 必死の抵抗
「南関門で我が娘と一晩共にしたという話は、真か?」
レギュラス皇帝の睨みつける様な緋色の瞳には、はっきりと殺気が見えた。武芸に疎いローイックですら、はっきりと分るほどには。
ローイックは、これから起こるであろうことを予測してしまい、見てわかるほどに足が震えだした。
何で知っているんだ。いや、私は何もしていない。どうして、誰が!
ローイックの思考は高回転を始めた。あの夜のことを知っているのは自分とキャスリーンだけだ。自分は誰にも話してはいない。噂にもなっていないことを考えれば、キャスリーンが誰かに漏らしたとは考えずらい。
だが一つだけ、可能性を見つけてしまった。あの朝、ローイックが起きる前にミーティアがいたのだ。唯一の可能性は彼女だけだが、あの時には何も怒られることもなく、単に追い出されただけだ。
もし、ミーティアが原因だとしても、今まで何もお咎めがなかったことが腑に落ちない。嫁入り前の皇女を穢したとあれば、死罪を申し渡されてもおかしくはないのだ。
いったい誰が。
思考の海に潜るローイックを、レギュラス皇帝の声が強引に引き上げる。
「ローイック君。どうなんだ」
レギュラス皇帝の視線は厳しさを増していた。答えないローイックに苛立ちを隠せないのだろう。押し寄せる焦りの中、ローイックは一つの回答を差し出す。
「はい、本当です」
胸を張り顎を引き、レギュラス皇帝を見つめる。この場で嘘は不味い。例えこの場は凌げても、いずれバレる。その場合、もっと酷い事になるだろう。最悪外交問題化する。ローイック個人ではどうしようもない事態にまで発展しかねないのだ。だからこそ堂々と肯定した。
レギュラス皇帝の指の力がさらに増した。ローイックの左肩に食い込むほどだ。だが、ローイックは眉一つ動かさず耐えた。
「そうか……」
レギュラス皇帝はそう呟くと、ローイックの肩から手を離した。掴まれていた肩は、離れた今でも掴まれているように感じてしまう。肌に青あざくらいは残っているだろう。
レギュラス皇帝はローイックに背を向け歩き出した。
「君は事の重大性を認識しているのか」
背を向けたレギュラスから地の底から漏れ出すような重い非難の声が飛んできた。その言葉がローイックの胸を深く抉る。
分かってはいる。不可抗力だった事も、分かっている。
「殿下とは、一晩共に致しましたが、誓って何もしておりま――」
「その様な事は問題ではない」
ローイックの反論も厳しい口調で遮断されてしまう。
「未婚の皇女たる我が娘が、何もしていないかもしれないが、男性と一晩を共にする。君ならこの意味が分かるだろう?」
振り返ったレギュラス皇帝の緋色の瞳がローイックを射抜く。ローイックはその視線を真っ向受け止めた。
レギュラス皇帝の言葉は正しい。一晩を共にしたという事実が問題なのは、ローイックも理解している。その話が広まるという事は、キャスリーンの醜聞が広まる事と同義だ。実際に何があったかが問題ではない。そんなことがあったという話自体が問題なのだ。キャスリーンの、ひいては皇族のイメージを失墜させる。
「分かって、おります」
「ふん。で、どうするつもりだ?」
鼻で笑うレギュラス皇帝の緋色の瞳は挑戦的だ。どうせ答えなどお見通しだと、言わんばかりだ。悔しいことに、ローイックが口に出す言葉は、その一つしかない。
「私を、キャスリーン皇女殿下の婿候補に入れてください」
口元を緩ませながら、レギュラス皇帝は目を細めた。
「我がマーベリク家は、由緒ある家系とはいえ、所詮は侯爵です。殿下の相手として、身分としてはギリギリでしょう。ですが、このことによりアーガス国内での影響力を持てるはずです。戦争があったために途切れた国交が復帰する今、両国の懸け橋となることはできます」
ローイックは論理立てて訴えるが、正直厳しいのは分かっている。帝国にとって、ローイックは利点が少ない。ローイックは、ただキャスリーンの横にいたいだけだ。
だが現実は非情だ。特に政治に絡めば、まずは国益の損得勘定が優先される。益の無い婚姻などありえないのだ。その事もローイックは分かっている。分かった上で、訴えているのだ。
「……それだけか? それでは帝国は動かんぞ?」
冷たい視線を向けてくるレギュラスに、ローイックは唇を噛む。次の言葉が出せず、ローイックは俯いた。
「まぁまぁ陛下。一度機会を与えてはいかがですかな?」
予想外のヴァルデマルから援護にローイックは顔を上げた。視界には彼の不敵な笑みが飛び込んでくる。その笑みに裏があろうことは予想できるが、それが何なのかローイックには分かりかねた。
「この情勢でアーガスと結びつきを強く出来る事は、それなりの利はあります。南方から脅威が一つ減る事にもなりましょう」
「ふん、まぁな」
レギュラス皇帝が腕を組み、ローイックを睨み付けてくる。その緋色の視線に耐え、ローイックも見返す。弱みは見せられない状況だ。赤い光に恐怖を感じるが、本能を組伏してでも視線はそらさない。ローイックの我慢が分かったのか、レギュラス皇帝の右の口角が上がった。
「ネイサン殿が困ったことを条件に出してきている。君にその怪我をさせた狼藉者を罰せよと、言ってきた。さもないと、今回の話は無しだ、とな」
レギュラス皇帝の発言に、ローイックは目を丸くした。この怪我について襲われた事がバレているのはネイサンからは聞いたが、断罪までを要求したことは聞いていなかった。
「第一騎士団に捜索させておりますが、まぁ、捕まらんでしょうなぁ」
ヴァルデマルは相変わらず不敵な笑みのままだ。
『私は知っている』
そう見透かされているような、ネトつく視線がローイックに向けられていた。ローイックは手練れ二人に挟まれ、胃を掴まれる感触を味わっている。背中を伝う汗が止まらない。
「大体、傷害は現行犯でないと証拠をとれず、捕まえられません。それを分かっていて要求してきました。まったく、ネイサン殿も食えぬ男です」
ヴァルデマルはフッと笑った。その醒めた笑いは、好敵手に会えて喜んでいる様にも見える。
「そこでだ」
レギュラス皇帝がローイックに近づき、また肩に手を乗せてきた。しかも今回は両手だ。正面に緋色の鋭い目が据えられ、ローイックの体に緊張が走る。ゴクリと何度目かの唾を飲み込んだ。
「犯人を知っているのは君しかいない。人気のない第三騎士団において、夜半での犯行。被害者は君一人だ。どうだ、その者を捕まえることができたら、君の望みを叶えてやらん事も無い。キャスリーンとの事も、考えよう」
有無を言わせないレギュラス皇帝の笑みが、ローイックの青い瞳に映りこんでいた。
ローイックは、意識を辛うじて保ち、廊下を歩いている。その足取りは覚束ないのもだ。結局、犯人を捕まえる事を押し付けられてしまっていた。あの状況では、断る事も出来なかったが。
だが、キャスリーンと一緒にいるためには、この難題を解決しなければならない。勝ち目がなかった勝負が痛み分けになっただけ、ましな結果ではあった。ある意味勝利ともいえる。
「でも、どうやってあの男の罪を立証するかだ……」
ローイックの頭にかかっていた霧が、段々と晴れてきた。希望の光が降り注ぎ、ローイックの頭が回転し始める。
肩から吊されている左腕を見た。彼女の為に負った怪我だ。奇妙なことに、巡り巡って、自分に残された希望になった。
「やるしかないんだ」
ぐっと拳を握り、ローイックは呟いた。




