第二十八話 思わぬ事態
そろそろ終盤です。
ローイックが決意をしてから数日経ったが、未だそれは表に出していなかった。ネイサンとロレッタが帰ってこないうちに何とかしたいとは思っているのだが、うまいタイミングがなく、ずるずると後ろに伸びてしまっているのだ。
今日も午前中はヴァルデマルが外出しており、空振りに終わっている。
「早くしないと……」
ローイックは日も当たらず薄暗い第一書庫で発光石ランプの明かりを頼りに帝国の歴史書を読んでいるが、気もそぞろである。なぜなら、キャスリーンに対するホークのちょっかいが続いているのだ。
先日窓から見たような場面に遭遇するときもあれば、ハーヴィーから教えて貰う事もあった。なぜハーヴィーが知っているのかは教えてくれないのだが。
その度にキャスリーンの悲しそうな顔を見るのだ。胸に剣が刺さったかのような痛みが襲ってくる。ローイックはただ見ている事しか出来ないのだ。正直、耐えるのも限界だった。
「時間ばかりが過ぎていく……ん?」
書庫で床に座り込み、『帝国歴史書第十五巻』を手に取った時に本棚の裏に何かがあるのを見つけた。暗くて良く分らないが、冊子の様に見える。
「なんだ、これ?」
ローイックは右手を伸ばし、それを掴んだ。手触りからすると、古いものではないのが分かった。
「おいローイック。ヴァルデマル宰相閣下が戻ったみたいだぞ」
書庫の入り口の壁に寄りかかって待っているハーヴィーが教えてくれる。ローイックは手に持ったそれをパラ見して眉をひそめた。どうしようかと迷ったが、冊子をあった所に戻すことにして、そっと置く。
「分った、今行く」
ローイックは立ち上がり、ハーヴィーと合流した。
ローイックとハーヴィーはヴァルデマルの執務室に向かって廊下を歩いている。ローイックはヴァルデマル付きなのであり、宮殿内では彼に付いている必要があった。もっとも許可を取ればある程度自由にはなれる。現に今も許可を取って第一書庫にいたのだ。
今日こそは、伝えなくては。
ローイックは心の中で思う。遅れれば遅れる程、キャスリーンは悲しむのだ。
「ローイック、行きすぎだ!」
ハーヴィーにぐっと肩を掴まれ、ローイックはハッと我に返る。思考の海に沈み込んでいたようだ。ヴァルデマルの執務室の扉は目の前にあった。
「すまん」
「……あんまり考えすぎんなよ」
ハーヴィーはローイックの心を見透かした様な言葉をかけ、心配そうな顔で見てきた。
「分ってる」
ハーヴィーに返事をすると、ヴァルデマルの執務室の扉の前でローイックは目を閉じ、頭を空にする。
「ハーヴィー。悪いんだけど、ここで待っててくれないか」
「……あぁ、待ってるから、行ってこい」
その声に後押しされるように、ローイックは扉をノックした。
「お、君一人か?」
執務室の中ではヴァルデマルが書類の束を抱えていた。恐らく決裁の書類なのだろう。アレにサインするだけでも半日は潰れそうな程の厚みがあった。
ローイックはそれを脇目にしつつ、ヴァルデマルに歩み寄る。緊張で鼓動が早くなっていた。
「えぇ。ハーヴィーには表で待って貰ってます」
「ふむ、なにか込み入った用事かね?」
ヴァルデマルは自分の机に書類の束をドスッと乗せるとローイックに振り返ってきた。ローイックは大きく息を吐き、緊張を緩和させる。
「実は、相談があるのです」
真面目な顔のローイックを見て、ヴァルデマルの片眉があがる。
「……キャスリーン殿下についての事かな?」
図星をつかれたローイックは短く息を吸った。ニヤリとするヴァルデマルの視線がローイックに刺さる。余りの事に言葉を出せないでいた。
「それを話すのは、ここではないな。よかろう、ついてきなさい」
ヴァルデマルが手で「ついてこい」と合図をすると、そのまま扉を開け、廊下に出て行った。ローイックは我に返り、慌てて後を追い掛ける。
廊下に出ればハーヴィーがどうして良いか分らず立ちすくんでいた。
「すまん、ちょっと待っててくれ!」
ハーヴィーに声をかけると、ローイックは早足で歩いていくヴァルデマルを追いかけていった。
「あの」
「いいから黙ってついてきなさい」
宮殿の廊下を早足で歩いていく。今歩いているところは、ローイックが来た事のない場所だ。景色に見覚えが無い。視線だけで周りを確認していると、とある扉の前でヴァルデマルは止まった。
芸術品なみの掘り込みがされた木の扉に鉄のがっしりとした枠が付いた、美しさと頑丈さを誇っているような扉だ。この部屋の使用する人物の地位の高さが分ろうという物だ。
ヴァルデマルが厳かに扉をノックした。
「ヴァルデマルです」
やや遅れて「お入りください」と男性の声が聞こえてきた。ヴァルデマルが重そうなノブをまわし、扉を開ける。キチンと手入れされているのだろう、重そうな扉は音もなく開いた。
「ローイック君、行くぞ」
「は、はい」
ローイックは促されるままに中に入った。
その部屋はかなり大きく、ローイックが宛がわれている部屋の四倍ほどはあるかと思われた。天井、壁には装飾が施され、床には毛の長い絨毯が敷かれ、置いてあるソファー、椅子なども一目で高価なものと分る物で揃えられていた。扉は入って来たものを含めて三枚もある。
部屋には入室の許可の返事をしたであろう白いひげを蓄えた礼服の老紳士がいるだけで、彼以外はいなかった。
「急で申し訳ない」
ヴァルデマルが軽く頭を下げた。宰相が頭を下げる程の相手など、この国では数人しかいない。嫌な汗が背中を伝っていくのが分る。緊張で、ごくりと唾を飲み込んだ。
「只今謁見されております。少々お待ちいただけますでしょうか」
物腰柔らかく、ソファーに座って待つように言われた。ローイックは居心地が悪いと感じるも勝手な行動はとれず、言われるがままに座る。ヴァルデマルは少し離れた椅子に座った。
「どうぞ」
いつのまにかトレイを持った侍女が近くのテーブルにカップを乗せていた。ローイックは緊張から、全く気が付かなかったのだ。その様子を見ていたヴァルデマルがククッと笑ったのが耳に入る。ローイックは背筋を伸ばして誤魔化すのだ。
十分ほどだろうか、髭の老紳士が一つの扉の前に移動した。彼がノブに手をかけ扉を開くと、そこからレギュラス・エクセリオン三世皇帝が姿を現した。紫の衣装を纏い、細やかな金髪を軽く後ろになでつけ、緋色の目でローイックを捕獲してきた。
ローイックは弾かれる様に立ち上がった。皇帝陛下の前で座っているなど、不敬罪以外の何物でもない。
「陛下。ローイック・マーベリク殿が話があると」
ヴァルデマルが口を開いた。その言葉にローイックはギョッとした。まず話をするのは宰相のヴァルデマルからと決めていたのだ。
話の持って行き方にも決まりはある。いきなり最終判断をする人物に話などできないのが普通だ。だからこそ、ヴァルデマルに話そうと思っていたのである。
「ふむ、そうか」
レギュラス皇帝は獲物を見定める眼つきでローイックを見つめてくる。彼の緋色の瞳は視線を逃すことを許してはくれない。鷲に睨まれたタヌキは恐怖で硬直してしまっていた。
「ローイック君、一つ聞きたい事があるのだが」
「は、はひ!」
レギュラス皇帝の低い声に慌てて返事をしたが、ローイックは呂律は回らなくなってしまっている。そんなローイックに向かい、レギュラスは皇帝は歩み寄ってくる。
ローイックは極度の緊張と恐怖で直立不動のまま微動だに出来ない。カチコチに固まったローイックの肩にレギュラス皇帝の右手が乗せられた。
「つかぬことを聞くが」
肩に乗せられた手に力が入り、強く掴まれた。
「南関門で我が娘と一晩を共にしたという話は、真か?」
レギュラス皇帝の睨みつける様な緋色の瞳には、はっきりと殺気が見えた。




