第二十七話 決断の理由
「あーーーーー、肩こった……」
ヴァルデマルの後を歩きながらローイックは右肩をぐるりと回す。居心地の悪い会議に、体はカチコチになっていた。
昨日までモノ扱いしていた人間が、いきなり宰相付でしかも会議にまでついてきたのだ。官僚たちからは訝し気な視線を投げつけられていた。
会議場ではヴァルデマルの横でおとなしくしていたが、それだけで精神をすり減らしていた。今のローイックの目に光はない。
「もう、視線が刺さって痛くてさ」
「お前でもそう思うんだな」
首を回すローイックの横にはハーヴィーが歩いている。ハーヴィーは呆れた顔をしていた。
「なんか、私の扱いが酷くないか?」
「もてる男は僻まれるんだぞ?」
「だから違うと!」
後ろで言い合いをしている二人の声を聴いて、ヴァルデマルはくいっと肩を上げた。そのヴァルデマルは顔だけ後ろに向けてきた。
「ローイック君。午前中はこれで用事はお終いだ。昼食をはさんで午後にまた会議がある。それまでは自由にしてくれたまえ」
ローイックとハーヴィーの二人はキョトンとした。自由と言われても、宮殿内を自由に動けるはずもなし。どうしたものかと顔を見合わせた。
「そうそう、君は本が好きらしいな。第一書庫は誰でも入れる。そこに行くといい。帝国の歴史書なども揃っている」
第一書庫とは、誰でも中に入って調べることができる書庫だ。宮殿には第一、第二書庫があり、第二書庫は重要な種類を収めている書庫であり、許可なく中には入れない。
第一書庫には帝国の区域分け、各地の地名、歴史などの帝国の基本資料が揃っており、その中には各地のお伽噺、伝承、神話の類も納められている。第二書庫は帳簿、条約書、任命書などの行政書類などの機密性が高いものが揃っている。
本と聞いてローイックの目が精気を取り戻し、表情もあからさまに明るくなった。その横のハーヴィーが額に手を当てて天を仰いでいる。ハーヴィーはローイックの本好きを、よーく知っていた。
「ほ、本当ですか! ありがとうございます!」
その場で深く頭を下げたローイックの顔は、満面の笑みであった。
「さて、どんな本があるのかな」
春の日差しが差し込む廊下を歩くローイックの足取りは軽かった。床に足がついていないんじゃないかと思われるくらい、軽やかに歩いて行く。二人は宮殿の二階にある第一書庫へと向かう途中だ。
「お前って、ほんとに本にだけは目がないよな」
「本は知識の宝庫さ。知り得なかったことも、読めば知識として頭に蓄積される。本当は実際に見た方が良いのだけど、出来る事にも限りがあるからな」
ハーヴィーの呆れ声にも、ローイックは嬉々として答えた。キャスリーンの前以外では、一番のはしゃぎ様だ。
「その熱意を少しは姫様に向……あれって皇女殿下じゃねのか?」
ハーヴィーが脇にある窓を覗いている。「本当だろうなぁ」と言いつつ、ローイックも見に行く。騙されるかもしれないと思っていても、自分に嘘はつけないらしい。
「あっ!」
ローイックは思わず声を上げた。見えたのは、ホークと話をしているキャスリーンだったからだ。話をしているというよりは、言い寄られているという感じだ。キャスリーンは剣こそ抜かないが、かなり嫌がって声を荒げているように見えた。傍にいるのはテリアかタイフォンであろうが、何も出来ずに控えているだけだ。
「第三騎士団じゃ、アイツを諫められないか」
ローイックは歯ぎしりをした。
ホークは騎士団長であり、公爵の嫡男だ。地位はかなり高い。第三騎士団ではキャスリーンが皇女ではあるが、他の団員は高くても伯爵令嬢もしくはテリア、タイフォンの様に伯爵夫人でしかない。それに平民もいる。要するに、ホークを止められる人間がいないのだ。
ローイックがいれば身代わりや盾にもなれたが、残念ながら今はあそこにいない。自分がいなくなってすぐにこの有様を見たローイックは、壁を殴った。何もできない自分が情けなかったのだ。
「行ってくる!」
「おい、ちょっと待て!」
振り返り走り出そうとしたローイックの肩をハーヴィーが掴んだ。熊の様な力でローイックは押さえつけられて動けない。ハーヴィーを睨み、ローイックは叫んだ。
「ハーヴィー、邪魔をするな!」
「今お前が行っても火に油を注ぐだけだ!」
ハーヴィーは冷静だった。無関係だから、というのもあるだろう。
「それに、ここは人目が多い。あまり変な行動はするな」
ハーヴィーはローイックにだけ聞こえる程度で話をつづけた。廊下にいる人達が何事かと、二人を見てきていたのだ。ここで目立つのは、今後を考えても良くはない。会議でさえ、声なき異論があったのだ。ローイックの存在は、地位の復帰とは関係なく、良いものではないのだ。
「頭を冷やせ。お前の、皇女殿下を心配する気持ちはわかるが、場所を弁えろ」
ハーヴィーのゆっくりと諭す口調に、ロ―イックの頭も少しずつ落ち着きを取り戻してきた。だがそれでも自責の念は消える事は無い。拳を握り、肩を震わせた。
「だが、姫様が……」
「良く見てろ」
ハーヴォーの冷徹な声がローイックの頭を逆上させた。
「見ていられるか!」
「彼女をこんな目に合わせたくなかったら、お前に何ができるのかを、考えろ」
ローイックは窓に顔を向け、目を大きく開けた。
ホークが、事もあろうにキャスリーンの頬に片手を当てていたのだ。キャスリーンは剣の柄に手をかけ、ホークを睨み付けている。キャスリーンが身体を後ろに逃がすと、すぐさま抜剣した。さすがにまずいと思ったのか、ホークは後ろに数歩下がった。恭しく礼をしたホークは、踵を返し、キャスリーンから離れて行く。彼の後ろ姿を睨み付けるキャスリーンの顔は、怒りよりも、悲しさの色が濃いように、ローイックには見えた。
「ふざっ……」
ローイックの腸は煮えくり返っていた。無礼を働くホークに。見ている事しか出来ない己の無力さに。キャスリーンにあんな顔をさせてしまったその境遇に。
脇にいた従妹に慰められているキャスリーンを、直視することができなかった。怒りと口惜しさと、馬鹿な自分に、腹が立っていたのだ。
ローイックは窓枠に乗せた右手にすじを浮かばせ、ただただ、歯をかみしめていた。
あれから第一書庫にいったが、頭の中が混沌としていたローイックは、一言もしゃべる事は無かった。ハーヴィーも声をかけることもなく、友が抱える悩みと苦しみを、静かに見守っていた。
その日の午後の会議も、内容は頭に一切残らず、キャスリーンの事ばかりを考えていた。ヴァルデマルもおかしいとは感じたのだろうが、ローイックが聞かれることはなかった。
夕食後、もう就寝の時間も過ぎた頃、ローイックは一人テラスに所在無げに佇んでいた。椅子に座り、テーブルに肘をつき、掌に顎をのせ、仄かな明かりが照らす宮殿の庭を見ていた。動くものの無い空間を、焦点の合っていない青い瞳で、眺めていたのだ。
「私は、どうすればよかったのだろうか」
頭の中に浮かぶのは昼間の場面。キャスリーンの悲しそうな顔が、瞼から離れないのだ。
我儘言っても。良いんじゃねえの?
耳にはハーヴィーの言葉が甦る。
「我儘、か」
ローイックは今の自分を省みた。身分は由緒ある侯爵家だ。兄が死んだ今、継ぐのは自分しかいない。
皇女の相手としては、ギリギリの身分だろう。競合する相手と比べれば、一段二段落ちるだろうと予測される。だがローイックは決定的なものは持っていない。何か相手を凌駕するような利点を持たねば、勝ち目はないだろう。
「何か打つ手はないか」
ローイックはテーブルに額を付けた。ひんやりとした感触が、頭の中にある雑念を吹き飛ばしていく。だが、それでも名案は浮かばない。劣勢をひっくり返す案など、簡単に浮かぶわけがない。ましてローイックの頭は混乱していたのだ。
「……考えるだけ、無駄か」
ローイックは顔を上げた。自嘲気味な笑みを浮かべ、息を吐いた。
「やれるところまで、突っ走るか」
椅子から立ち上がり、右手をうーんと伸ばし、凝り固まった背中を元に戻す。肩を下げ、軽い笑みを浮かべた。
姫様。やっぱり、貴女を諦められませんでした。
ローイックは部屋へ戻るべく、テラスから出ていく。その足取りは、浮かべる表情より軽いものだった。




