第二十五話 背中を押す言葉
えー、危険なので骨折している時の飲酒は止めましょう。というか禁止だ!
「そうか……」
「俺が伯爵を継いだのは、お前が帝国に行ってからすぐさ。まぁ、俺の父親は小さい頃に死んじまってるからな。暫定で爵位を継いでた母には、そうも苦労をさせらねえって」
月が望める宮殿のテラスで、ローイックとハーヴィーはテーブルにつき、酒を交えて歓談している。アーガスを離れて四年、ローイックはハーヴィーと久しぶりにグラスを突き合わせていた。
テーブルにはワインの入っていたフルボトルが転がっている。二人のグラスは既に空だ。ローイックは既に顔を赤くしていた。ローイックは帝国に来てアルコールなど一滴も飲んでいない。あくまでモノだったからだ。四年ぶりの友との酒は、酔いも早かった。
「んで、騎士団の副団長もやらされて、この四年間忙しかったよ。俺としちゃずっと、どこぞに遠征してたい気分だね」
ハーヴィーは苦笑していた。戦争で失った人材も多い。その穴埋めもあるのだろう、若くして騎士団の副団長を押し付けられていた。国王が出掛かければ護衛で付き添い、城に戻れば書類が待っている。部下の訓練もある。休暇もろくに取れていなかったのだ。
エクセリオン帝国に護衛として来ている間は、かなり自由だった。わずらわしい書類もなければ、訓練も自分の鍛錬さえしていればよかった。ハーヴィーにとっては休暇みたいなものだった。
「お前も苦労してるんだな」
テーブルに右手で頬杖を突きながらローイックは呟いた。苦労しているのは自分だけかと思っていたのだ。だが故郷にいなかった間の苦労など、ローイックには知りようもないのだ。
「お互い様だ」
二人に気が付かれない様に、テーブルにスっとワインのボトルが置かれた。誰かが気を利かしたのかもしれない。ハーヴィーはボトルを取り、コルクを指でつまみ、力で引き抜いた。
「コルク抜きくらい使えって」
「この方が速いんだよ」
「まったく……」
ローイックは、やや呂律が回らなくなった口を歪めた。ハーヴィーは空の二つのグラスになみなみと注ぐ。
「で、色男殿。貴殿はどちらの令嬢を選ばれるのかな?」
ハーヴィーはグラスを二つ並べ、意地悪な顔をする。
「私は選べる立場にはないよ」
ローイックは自分のグラスに手を伸ばした。そのままぐいっとグラスを傾ける。
「いい飲みっぷりだな。その勢いで、お姫様のどこに惚れたか教えろよ」
「ぐふっ」
「ははは!」
ローイックは派手に咽っている。離れた場所で目立たない様に控えている侍女達が一瞬ざわついた。彼女達の侍女服は黒であり、即ちキャスリーンの侍女部隊なのだ。第三騎士団では公然の秘密であったが、彼女達は知らなかったのだ。
「な、なにを!」
「何をって、お前、バレバレだろ」
ローイックはハーヴィーを睨むが、当の本人はニヤニヤしているだけだ。ローイックの睨みなど、どこ吹く風である。
「それに……まぁいい。で、麗しのお姫様のどこが良いんだ?」
「……お前はロレッタの味方かと思ったんだが」
話題逸らしの為にローイックはロレッタの名前を出した。だがそんな事はハーヴィーには通用しなかった。
「俺はどっちかの肩を持つつもりはねえよ。俺はお前の味方なだけだ。個人的にはどっちだっていいし、他の誰かだっていいんだ。お前が選んだんであればな」
ハーヴィーはそう言うと、グラスを呷った。グラスの中のワインはみるみる減っていく。ローイックはその透明になっていくグラスを、言葉もなく、ただ眺めていた。
「……姫様の笑顔があったから、私は今ここにいられる。でなければ、私も冷たい土の下にいただろうな」
右手に持ったグラスを見つめ、ローイックは語りだした。ハーヴィーはグラスにワインを注ぎ、話を聞いている。
「あの笑顔に、私がどれほど救われたか。お前には分らないだろう」
ハーヴィーは黙っている。ローイックが語る事を静かに聞いていた。
「……私の、全てだったな……」
ローイックは吊り下げてある左腕を見た。この怪我に後悔はしていない。やれる事をしただけだった。もっとうまいやり方があったのだろうが、その時のローイックには思いつかなかった。
「そんなに想ってんだったら、モノにしてみたらどうだ」
ローイックはハーヴィーに視線を移した。
「そんな簡単にできる事じゃない。第一、彼女の縁談が動いてるって話だ。そもそも私が勝手な事をすれば、国にも迷惑がかかる。そんな事は、私にはできない」
興奮したのだろう、ローイックは早口で捲し立てる。
「なぁ、ローイック」
ハーヴィーがジロリとローイックを見てきた。その目は酒に酔っている目ではなく、真剣な眼差しだった。その視線にローイックは一瞬たじろいだ。
「戦争に負けて、国の為だって事で敵国に人質として送られた。そこで苦労もして、辛酸も舐めて、惚れた女もできた。もしかしたらって時に、国の都合で戻って来いって。さすがに勝手すぎる。酷いと思うぜ」
「だからと言って、私が好きに動いていいわけではない」
「こんだけ苦労したんだ、多少我儘を言っても、許されると思うけどなぁ」
俯くローイックとは対照的に、ハーヴィーは不敵な笑みを浮かべている。自らの説得が功を奏すのが見えているかのようだ。
「……しかし」
「他の男に、とられても良いのか?」
ハーヴィーは笑みを浮かべながらローイックを追い詰めていく。ローイックは俯いて唇を噛むだけだ。
ローイックだって、キャスリーンの横にいたいと言う望みはある。だが、彼の中にある良識と常識が邪魔をしていた。普通ならば許されぬ事だ。であるからこそ、ローイックは我慢していたのだ。
覚悟をしているとはいえ、キャスリーンが他の男の横で微笑んでいる場面など、見たくはない。そこにいるのは自分でありたいと、思っているのだ。
「まぁ、ゆっくり考えな」
「あぁ……もう寝るよ」
ハーヴィーの言葉に、ローイックはふらふらと立ち上がり、テラスから出て行った。それを見届けたハーヴィーは大きく息を吐き、背もたれに寄りかかった。グラスにワインを注ぎ、ふふっと笑った。それは、罠を仕掛けた猟師の顔だった。
「あのような事をおっしゃってよろしいのですか? お立場上ロレッタ様を推さなくてはいけないのでは?」
いつの間にか傍には、手を体の前で揃え、笑顔で佇んでいるミーティアがいた。頭の団子は無く、後ろで一つに纏めてあるだけの、幼い感じのミーティアだ。
ハーヴィーはチラと視線を向ける。彼女以外の姿が見えない。ローイックについて行ったか、戻らせたか。なんにせよ、ここにはミーティアしかいないようだ。
「個人的には、ローイックが納得した相手であれば、誰でも良いのですよ、私は」
ハーヴィーは手で座るように示した。ミーティアは「失礼します」と声をかけ、ハーヴィーの向かいに座る。
「随分と話し方が変わりましたが?」
ミーティアが空になったグラスにワインを注ぎながら、ふふっと笑った。ローイックと話している時よりも大分固い口調になっているからだ。
「『女性には優しく話すのですよ』、と小さい頃から母には躾けられましたので。もう耳にタコができて痛くてたまらない程ですよ」
ハーヴィーは苦笑いをした。幼い時から、ずっとそう言われていたのだ。それは今でも本能として刻み込まれている。普段は砕けた口調だが、女性の前だけは、いっちょ前に丁寧な口調になるのだ。
「ハーヴィー様は、さぞかしご婦人には人気があるでしょうね。女性は優しい殿方に弱いですから」
「いやぁ、若い御令嬢方は、厳つい顔には興味は無いようで。とんと、声もかかりませんよ」
ミーティアの探るような質問にも、肩を竦めて笑って答えた。
ハーヴィーの顔は整ってはいるが、輪郭が四角い。背丈もガタイも良いから、厳ついイメージがあるのだ。本人の性格はやや軽く、人当たりは良いのだが、見た目がそう感じさせてしまうのだ。
伯爵であり、地位はそこそこで、騎士団の副団長。それなりに優良物件ではあるのだが、未だに独身だ。本人は、そのうち行き遅れが寄って来るだろう、くらいにしか考えていない。副団長としての仕事が忙しいのもあるのだが。
そんなハーヴィーの様子に、ミーティアも思わずふふっと声を漏らしてしまっていた。
「勿体ない事です」
「そう言ってくれる女性も、なかなかいないのですよ」
ハーヴィーはグラスを呷り、空にした。
「あら、目の前に、おりますけど?」
ミーティアはあざとく首を傾げた。
「はは、これは失礼」
「ふふふっ」
二人は笑いあった。
「先程の事は、皇女殿下には内密にお願いしたい」
「さて、何のことでしょう?」
ミーティアはおどけて答えた。内密にと言われたから、聞いていなかった、とアピールしたのだ。その顔を見たハーヴィーは口を曲げた。
「一筋縄ではいかないようで」
「私の大事な、妹、ですので」
ミーティアはニッコリと微笑んだ。その笑顔に一瞬呆気にとられたハーヴィーだが、にやっと笑った。
「なるほど、箱入りなわけですか」
「えぇ、大事に大事にしまっておかれておりますから。その大事な妹の初恋ですもの」
ミーティアはにっこりとしたままだ。ハーヴィーはふぅと息を吐くと、右手を差し出した。
「ここは一つ、共同作戦という事で」
「ふふ、よろしくお願いいたします」
二人は、がしっと手を握った。
「さて、そろそろ寝ないと、朝がキツイ」
「ハーヴィー様、お部屋は分かりますか?」
「出て左だったはずだが」
ハーヴィーは顎に手を当てて考えた。実のところハーヴィーは方向音痴だ。南の関門で迷子になったのもこれが原因だった。
「いや、大丈夫ですよ。では」
軽く挨拶をしたハーヴィーは、テラスを出ると右へと進んで行った。彼の客間があるのは左なはずだ。
「あぁ、そっちは女官舎です!」
ミーティアは空のボトルとグラスを乗せたトレイを持ちながら、小走りでハーヴィーを追いかけて行った。
結局ハーヴィーを部屋まで案内するはめになったミーティアだが、別れ際に、トレイを持っているために手が空いてないから、と額に口づけをされ、顔を真っ赤に染めあげ、プルプル震えていたのは、内緒だ。
これは酔っていたハーヴィーの悪戯でもあるのだが。




