第十六話 動揺する侍女
珍しくミーティアです。
ローイックは押し倒され、キャスリーン諸共ベッドに沈み込んだ。彼女の柔らかい体が乗りかかっており、完全に抑え込まれていた。
「ちょっ、姫様?」
キャスリーンはローイックの左肩に頭をうずめ、イヤイヤをしている。はねのけようとしても、左腕が痛み力が入らない。右手だけでは押し戻すこともできなかった。ローイックは軟弱な我が身を呪うが、後の祭りだ。
「姫様」と言いかけたローイックの耳に、小さい嗚咽が入ってきた。それを聞いてローイックはハッとする。自分が倒れてしまった為にキャスリーンに心配を掛けてしまったのだとローイックは理解した。と共に反省もした。
「ご心配をお掛けしてしまって、すみません」
ローイックは右手をキャスリーンの背中に回し、トントンと優しく叩く。五分もしてキャスリーンの嗚咽が収まると、ローイックは彼女の背中に、そっと手を乗せた。震えていたキャスリーンの肩も大分落ち着いてきた頃、頭の横から小さな声が響いてきた。
「ローイックは、帰りたい?」
密着しているからか、頭に直接伝わってくる。声がやや震えているのは、泣いていたからなのだろうか。だが帰りたい、とはどうしてそのような事を聞いてくるのか、ローイックには分からない。先程は気を失ってしまっていたから、話を聞いていないのだ。
「帰りたい、とは?」
口から勝手に言葉が出て行った。
「……さっきね、ローイックを連れて帰るって、言われたの……どうあっても、連れて帰るって」
帝国に来る使節団の名簿を見てから、なんとなく、そんな予感はしていた。彼女がこんな風になっている理由も、分かった。
ローイックは、背中に置いていた手を彼女の頭に移し、ゆっくりと髪を撫で始める。乱れた髪を整えるように指を櫛にし、背中に集めていく。
この行為はキャスリーンの為というよりも、自分を落ち着かせるための様な気がした。だが、落ち着くと同時に、どうにも嬉しかった。
自分が帰ることを悲しんでいる。
ローイックには、これだけで十分だった。
「そう、ですね……」
実はローイックにも分からないのだ。帰れるのならば帰国はしたいが、キャスリーンの傍にもいたい。だが、両方を満たす答えは思いつかない。
「……よく、分からないです」
指に絡まる髪の感触を確かめながら、ローイックは呟いた。いきなり問われても、すぐに答えを出せるわけではないのだ。
「そっか」
キャスリーンは掠れそうな声で、囁いた。
ローイックが大きく息を吸えばキャスリーンの身体は持ち上がり、彼女の柔らかい感触が押しつけられてくる。普通、抱き合う姿勢になれば、心臓は鞭を打たれたように早まるはずだが、ローイックは逆に心地よい安堵を感じていた。心が真っ白になっていくのを感じている。自然と瞼も閉じていく。
「暖かいのは、落ち着きます」
「……うん」
閉じた視界の暗闇の中、ローイックには、自分と彼女の鼓動だけが聞こえた。
「疲れたね」
「……疲れましたね」
彼女との会話は、これで良いのだ。
ゆったりとした時間の中、キャスリーンの呼吸が静かに規則的に変わった。相当疲れていたのだろう。
「おやすみ、なさい、ま……せ……」
キャスリーンの体温を感じ、彼女の鼓動と寝息を子守歌に、ローイックも意識を手放していった。
まだ夜も明けぬ時から、ミーティアは一人、部屋を歩き回りソワソワしていた。みなが寝静まった頃、キャスリーンを見届けてから就寝したのだが、二人が気になってよく寝られなかったのだ。
「万が一、間違いが起きたてしまったら! あぁ、でも間違いが起きてしまった方が萌える展開に!」
薄暗い部屋の中、ミーティアは頬に手を当て、身体をくねらせ悶えている。背中に下ろしている黒髪を振り乱し「あぁ、いけませんいけません」と叫んでいた。
「やはり、気になります」
ミーティアは決意をするとクローゼットから大きめのストールを取り出し、寝間着の上に羽織った。人前に出て良い格好ではないが、夜明け前で起きている人もいないから大丈夫だろう、と一人うんうんと頷いている。ミーティアは静かに部屋の扉を開けた。
扉の向こうは薄暗い廊下で物音一つしていない。ミーティアは頭を左右に振り、誰もいないことを確認した。そして斜向かいのキャスリーンの部屋の扉を見た。
「……静かですね」
ミーティアはそろりと足を運び、その扉の前に立つ。「どれどれ」と独り言を漏らしつつ、扉にぴたっと耳をくっつけて、中の音を探り始めた。
むむむ、とミーティアの眉がつり上がる。
話し声などは聞こえない。起きていないのか、それとも部屋にはいないのか。キャスリーンがいないとなれば、問題だ。
「やはり、確認すべき、ですよね」
ミーティアはぐっと手を握った。自分に言い聞かせるように呟くと、鍵穴から中を覗き込んだ。狭い隙間から見た光景に「ひゃぁぁ」と悲鳴を上げる。顔に熱が上がってくるのが良く分かった。
「まぁまぁまぁまぁ! なんて事でしょう!」
ミーティアは顔に感じる熱を冷ますために扉から顔を放し、だがもう一度覗き込んだ。そして身悶え「きゃーきゃー」騒いだ。
「あー、楽しんでるところすまないんだが」
突然脇から低めの声をかけられて、ミーティアはビクリと体を震わせた。
こんな時間にここに人がいるはずはない。しかも声は明らかに男性のものだった。ここは女性のみの区域で、しかも皇女の部屋の前だ。あからさまに怪しい。
背中に流れる嫌な汗を感じながらも、ミーティアはグギギと声のする方に首を曲げた。
「驚かせて申し訳ない」
そこにいたのは、金髪の大男、ハーヴィーだった。発光石のランプを片手に持ち、肩を落として苦笑いを浮かべていた。
「ハ、ハーヴィー様。お、驚かせないで下さい」
ミーティアは動揺を隠せず、頬を熱くさせた。恥ずかしいところを見られてしまったのだ。逃げたしたいがそうもいかない。
すくっと立ち上がり、ストールをぎゅっと握る。今の着ている物が寝間着なのを思い出し、更に頬が熱くなってしまう。
「トイレの帰りに迷ったみたいで、部屋に戻れなくて困ってたんだ」
ハーヴィーは苦笑いのまま頭を掻いていた。ただ視線は脇にずらしている。女性の寝間着姿をじろじろ見る行為は品格を疑われてしまうのだ。
ハーヴィーは、大柄な体のようにおおらかだ、とミーティアは感じた。体の大きな男は体格にものを言わせる性格が多いが、彼は違うようだ。ミーティアはホッとして息を吐いた。
「はぁ、そうでしたか。ハーヴィー様のお部屋は、来た廊下を戻って突き当たりを左に曲がるとあります」
「お、そうだったのか。ありがとな、お嬢ちゃん」
ハーヴィーは笑いながらそう言った。それを聞いたミーティアは「お嬢ちゃん?」と素っ頓狂な声をあげる。ミーティアはちょっとむっとした。また子供に見られたからだ。ミーティアは顔のつくりも幼いが、黒い髪と黒い瞳が更に彼女を歳下に見せるのだ。ミーティアはそう見られることは好きではない。
ミーティアは体の前で手を重ね、姿勢を正し、彼を見上げた。
「ハーヴィー様? 私はもう、お嬢ちゃん、と呼ばれる年齢では御座いません」
「……十五、六歳で皇女殿下の侍女を纏めてるなんて大したもんだ、と思ってたんだが。違うのか?」
ハーヴィーは驚いたのか、目を丸くしている。無理もない。ミーティアの見た目は幼く見えてしまうのだ。
「私はこれでも二十二歳で御座います」
ミーティアは、ちょっと口を尖らせた。若く見えるのは嬉しいが、侮られることもあるのだ。
だがこの仕草は余計彼女を幼く見せてしまうのだが、その事には気がついていない。
「は? 二十二歳? 俺とそう変わらないじゃないか」
ハーヴィーの視線が下にずれた。ミーティアは思わず胸を隠して睨んだ。体は小さいが、そこは普通程度はある。低めの身長からは、相対的に大きく見えてしまうのだ。
「いやすまない。そんなつもりは無いんだ」
ハーヴィーはバツが悪そうにまた視線を横に振った。やや顔が赤くなっている。ストールがあるとはいえ、寝間着で体の線が出やすいのもあるのだろう。
「いえ、よく間違われますので」
ミーティアも視線を感じてしまっているので、ハーヴィーを直視できていない。
「そ、そうか。以後気をつける」
ハーヴィーは照れながらもミーティアの左手を取った。突然のことにミーティアも反応できずにハーヴィーを見てカチンと固まってしまった。貴族令嬢であるミーティアだが、侍女として仕えていた彼女はこのようなことに慣れてはいない。故にハーヴィーを見つめたまま、人形になってしまった。
ハーヴィはそんな彼女を見ながら指先に唇を落とした。ひぃやぁぁ、とミーティアの心の中で悲鳴が上がる。
「では失礼する、可愛らしい侍女殿」
彼はにっこりとミーティアに微笑むと、元来た廊下を歩いていった。
「……」
ミーティアは、彼が突き当たりを曲がるまでずっと、逞しいその背中を見つめていた。姿が見えなくなった瞬間、床にへたり込んだ。
ミーティアも乙女なのです。




