第十三話 皇女の敵
突然の事に唖然とするキャスリーンの前で、ローイックは「いたたた」と声を上げた。派手に深紅のスカートを捲りあげてしまっているが、その女性はお構いなしにローイックに抱き付いている。
「ローイック様、お久しぶりです! お会いしたかった!」
「ロ、ロレッタ! 痛いって! ちょっと待って! ロレッタ!」
いつもの丁寧な口調ではないローイックの叫ぶ声が響くと、そのロレッタと言われた女性は「ご、ごめんなさい」と慌てて立ち上がった。ばつが悪いのか、少し俯いている。
そのローイックを押し倒したロレッタという女性は、大人というにはまだ幼く、少女と言った方が良い顔立ちだ。癖のある栗色の毛をポニーテールの様に一つに纏め、丸い目に茶色の瞳を湛え、やや丸い輪郭で、なんとなく小動物を想像させる女の子だ。強いて言えば栗鼠か。
ただし、キャスリーンと違い、備えている女の武器は格段に凶悪だった。ゆったりめのワンピースの下からでも、それは、かなりの存在感を誇示していた。
「おー、早速やってるな」
いつの間にか馬車から降りてきたのか、大柄な男性がキャスリーンの近くに立っていた。金色の毛を短く切り、翡翠の目で、倒れたローイックを悠然と眺めていた。顔立ちも良く、美丈夫ではあるが、丈夫成分が八割ほどを占めているような、盛り上がった筋肉と、ちょっと角ばった顔をしている。そんな男が、楽しそうに笑っていた。
「いたたた。やぁハーヴィー、久しぶりだ。遠路はるばるご苦労さん」
片腕で上半身だけ起き上がったローイックは、馴れ馴れしく挨拶をした。キャスリーンは、殆ど聞いたことのないローイックのしゃべり方に、目を白黒させている。
「息災……じゃぁねえなぁ」
「まぁねぇ」
ハーヴィーと呼ばれた美丈夫は、ニヤリと笑った。ローイックに右手を差し出すと、軽々と彼を引き起こした。
「相変わらず熊みたいな力だな」
「お前が食うもん食ってねえからだ」
「はは、耳が痛いな」
二人の男は笑いながらだが、しっかりと握手をした。
「お前達、何故先にキャスリーン皇女殿下にご挨拶をしない」
一番最後に馬車から降りてきたのは、杖をついた、初老には早い年齢の男性だ。髪は白くなってしまったが、きちんと手入れもされており、その白髪を後ろに流していた。目元などに皺は見えるが、まだまだ壮年でも通用しそうな、端正な顔をしている。
彼は杖を突き、片足を引きながら不自由そうに歩いた。キャスリーンの前に跪こうとしたが、彼女は「いや、そのままで結構だ」と止めさせた。
「お気遣い感謝いたします。私はネイサン・リッチモンドと申します。あれは私の娘で、ロレッタと申します」
紹介にロレッタはスカートを摘まみ、軽く足を曲げ、優雅に挨拶をした。彼女を見ていたキャスリーンの緋色の目が、一瞬で険しくなった。敵を察知した、そんな目だ。睨まれたロレッタも、キャスリーンに対して不敵な笑みを見せていた。場には得も言われぬ空気が流れている。
穏やかではない気配を察知したのだろう、その様子を見ていたハーヴィーがヤレヤレと肩を竦めている。
「ったく、お前が呑気に笑ってる場合じゃねえだろ」
ローイックはハーヴィーに突っ込まれた。
「あの男はハーヴィーと申しまして、今回の使節団の護衛の指揮をしておるものです」
「ハーヴィー・サックウェルと申します。本国では騎士団の副団長をしております」
ネイサンの紹介にハーヴィーが右手を左胸に当て、深々と礼をした。その礼はかなり堂に入って物で、自然体だった。
「私はエクセリオン帝国第四皇女のキャスリーン・エクセリオンだ。これからは我らも護衛に入る。長旅でお疲れだろう。綺麗、とはいかないが、今日は隣接した砦の中で休んでいただきたい」
返答とばかりにキャスリーンも凛々しく言葉を発した。ここだけ見れば、惚れ惚れする程の麗人なのだが、ローイックが絡むと途端に女の子になってしまう。それがキャスリーンだ。
「ロレッタ殿は我が第三騎士団が護衛いたします。第三騎士団は女性の騎士のみ構成されておりますので、ご安心を」
ご安心を、といいつつその緋色の眼光には棘が含まれているように見えた。ちっとも安全ではなさそうだ。
「お気遣いありがとうございます」
またも淑女の礼をするロレッタも目を細めた。その眼差しは、いやらしい何かを帯びていた。二人の間では、既に戦闘が始まっているようだった。
ハーヴィーはネイサンに肩をすくませて見せた。ネイサンも、それに答える様にため息をついた。こっちも困っている様子だが、手は出せないようだ。
「なんか、空気が重い?」
ローイックだけが、分っていないのだ。
「ローイック様。そのお怪我は?」
挨拶も終わり、馬車を移動させ必要な荷物を選別している際中に、ロレッタがローイックに歩み寄ってきた。キャスリーンが騎士達に指示をしている隙をついたのだ。彼女をブロックするはずのミーティアはこの場にはおらず、宿泊の準備をしていた。
「あぁ、ちょっと転んじゃってね。片腕だと色々と不便だよ、まったく」
ローイックは苦笑いをしていたが、それを聞いたロレッタは、ぱあっと笑顔になった。栗色の丸い目が嬉しそうに開いている。
「では、私がお世話を致します!」
ロレッタは胸の前に手を組み、ずずっとローイックにすり寄ってきて、可愛くアピールを始めた。キャスリーンはその行動に気が付いたが、指示を出さなければならず、その場を離れられないようだ。
「いや、大丈夫だから」
「ダメです、お体に障ります!」
「いや、そのね」
ローイックは助けを求める様にキャスリーンを見た。キャスリーンも助けを求めるその視線を受け止めた。
その視線の先を察したロレッタが、眉をひそめた。
「ダメです! 将来ローイック様に嫁ぐ身としては、放っておけません!」
「は?」
「私は、ローイック様の妻になるのですから!」
攻めるロレッタの突然の言葉に、ローイックは口を開けたまま凍りつく。そしてそれを耳に挟んだキャスリーンはローイックに向きをかえ、ズカズカと歩き出した。指示を受けていた騎士達は、キャスリーンの突然の行動にあっけにとられている。
「ちょっと待て。その言葉は聞き捨てならんな」
歩きながらキャスリーンは止めにかかった。放置は危険、と本能が叫んでいるのかもしれない。
「ロレッタ殿。ローイックの身の回りの世話は私がやっているので、心配は無用だ。それよりも、将来嫁ぐ身、とは穏やかではないが?」
身代わりを立ててローイックの世話をしていた、という前提は、どこに吹き飛んでしまったのか。キャスリーンが腰に手を当て、猛烈に異議を唱え始めた。
元々バレバレではあったが、こうも盛大にバラして良い事ではない。そして、穏やかではないのはキャスリーンの方だ。
「あら聞こえてまして? 私もようやく成人いたしまして、ローイック様にこの身を捧げる事ができるようになったものですから。我が夫となるローイック様の為に、わざわざ皇女殿下のお手を煩わせる事はできません」
キャスリーンの視線を真っ向受けてもロレッタはにこやかに腕を組み、その上に誇らしい女性の武器を乗せていた。所持する女性の武器は寂しいキャスリーンにあてこすっているのはミエミエだ。キャスリーンは悔しさからか、くっ、と唇を噛んでいる。
ロレッタは自分こそがローイックの妻になる、と信じてやまない顔をしている。狸を挟んで狐と栗鼠が睨みあっていた。
「えーと、ちょっと、落ち着きましょう。ね?」
ローイックは二人を見比べ、呑気に声をかけた。だが内心、かなり緊張していた。流石にやばいと感じたのだが、少々遅かった。
「ローイックは黙ってて」
「ローイック様は口を出さないでください」
お互いを睨んだままの二人に言われ、ローイックは「はい……」と口を噤んだ。なんとなく将来が心配になり、ローイックはがっくりと肩を落とした。
脇で見ているハーヴィーが口に手を当て、笑いをこらえるのに苦労しているのが、視界の隅にあった。




