第十一話 馬車の中の二人
この章は、少し長くなりそうです。
春の柔らかな日差しの中、草原を切り裂く街道を進む馬車は、ガタガタと不規則に揺れる振動に襲われていた。その馬車の中でローイックは、青い顔をして包帯で巻かれた左腕を抱き、痛みから庇っていた。
彼の周囲には剣や槍、保存食などが重なって、転がらない様に縛られている。彼の下にはわらがぎっしりと敷き詰めらており、少しでも衝撃を和らげようと試みられていた。
車輪が大きな石を乗り越えたゴツンという衝撃が、ローイックの身体を伝わって腕に達し、彼は「いたっ!」と小さい悲鳴を上げた。
「ローイック、大丈夫?」
「やっぱり、私だけでも、歩いたほうが、良かったの、では?」
額に脂汗をかきながら、断続的に襲いくる痛みに耐えているローイックの視線が、傍で黒いロングスカートを広げ、女の子座りをしているキャスリーンに向けられた。ローイックの為に、間に合う限界まで速度を落としていたからだ。
「歩いたら間に合わないのよ」
キャスリーンは眉尻を下げ困った顔で、口を尖らせた。彼女は黒い侍女服の胸のポケットからハンカチを取り出して、ローイックの汗を押し拭いていた。その間もガタッと馬車は揺れ、ローイックは顔を歪める。
「ですが、私の所為で行軍速度が落ちてしまっては、護衛の騎士団そのものが間に合わなくなってしまいます」
ローイックは痛みに耐えつつも、しっかりとキャスリーンを見据えた。ローイックは右腕で骨折している左腕を庇っているからか、キャスリーンの行為をなすがまま受けていた。ミーティアが傍にいれば、「人目を気にしてください!」とお叱りが飛んでいるだろう。が、そのミーティアはこの場にはいない。というか、そもそもキャスリーンが侍女服を着ている時点で大分おかしい。
「仕方ないじゃない。ローイックがいないと、アーガス王国の使者の確認がとれないんだから」
キャスリーンは手に持ったハンカチで、ローイックの頬をぷにっと押した。その頬は未だ腫れが収まらず、痛々しい包帯が巻かれている。腫れが引くまではもう少しかかるだろう。
「まぁ、そうなんですけど……」
ローイックは口ごもった。アーガス王国から戦利品として連れ去られた内、一番地位が高いのがローイックであり、他は下位の貴族だった。地位が高ければ面識も広いというのは、常識でもあった。だからローイックが選ばれたのだ。
「あら、ロレッタとかいう女性に、会いたいんでしょ?」
「姫様? 目が、怖いですよ?」
「あら、やましいことを考えてるからそう感じるのよ」
「いえ、怖いですって」
この、じゃれる二人がいるのは、南の関門に向かう馬車の中だ。馬車といっても、荷物を運搬する為の、幌付きの荷馬車だ。アーガス王国からの使者の護衛任務で、第三騎士団の騎士十名と第二騎士団の十名が、馬で伴走していた。
モノ扱いのローイックは荷馬車の中で正解だが、何故かキャスリーンが、ちょこんとその横を占拠している。彼女には、黒く無骨だが頑丈そうな専用の馬車があり、本来ならそこの中にいるべきだった。だがその馬車には、ため息を連発しているミーティアとその部下の侍女二人の姿があった。
そしてその馬車には、帝都の宮殿にいるはずのタイフォンが、身代わりとして急遽連れてこられていた。身代わりの使い方が間違っているが、護衛の第二騎士団は素直に騙されていた。目の色と寂しい胸が違うだけで、容姿はよく似ているのだ。ちなみにテリアもタイフォンも女らしい体つきだ。
怪我で片腕が使えないローイックの世話は、ミーティア率いるキャスリーン侍女部隊が受け持つ羽目になったが、実際はキャスリーンその人が我儘を発揮して、なんやかんや動いていた。なので、ローイックのいる荷馬車に彼女がいるのだ。
「なんであたしが」
馬車の中で、白い騎士服を着た、キャスリーンによく似たタイフォンが、ぼそりと愚痴った。そっけないようだが、タイフォンはこれが通常だ。言葉数少ない彼女だが、これでも熱烈なる恋愛結婚をしている。
実は明るい姉のテリアの方が政略結婚だった。というか、テリアの政略結婚の相手の弟と、いつの間にか出来あがっていたのがタイフォンだった、というのが真相だ。
「苦情は、姫様に、お願いします」
ミーティアは、シレっと返す。ミーティアは侍女ではあるが、貴族の娘でもある。彼女の父は伯爵だから、それなりの出自なのだ。だからタイフォンともやり合っているのだ。もっとも、愚痴仲間だ、というのが一番の理由だ。
今回も、お供で付いていけば、ちょっとした息抜きだったが、身代わりでは自由など無い。だから文句が出るのだ。
「言うだけ無駄」
「よく、ご存じで」
「付き合い長い」
タイフォンは、これでも従妹であるキャスリーンの事は理解しているのである。我がままで、言い出すと止めない事を。
「……心中、お察しします」
タイフォンとミーティアは同時にため息を零した。馬車の中は各人のため息が充満して、常に誰かの「はぁ」という声が途切れなかった。
恐らくキャスリーンは、宮殿に帰るまでずっと侍女服を着て、ローイックの傍にいるつもりなのだろう。アーガス王国から、ローイックの幼馴染と目される女性が来るからだ。キャスリーンも、女の子なのだ。
荷馬車の中でゴトゴトと揺られ、時折来る大きな衝撃に顔を顰めるローイックを、キャスリーンはすまなそうに見守っていた。
「ごめんね。痛いよね」
「大丈夫、ですよ」
ローイックは引きつりながらも、少し笑って見せた。
「……ホントは、ゆっくり行ってあげたいんだけど、そんな訳にもいかないのよ」
「待たせていれば、いいのでは?」
キャスリーンは、困った顔をしていた。ローイックから見れば、祖国の使者だからそう思うのだろうが、キャスリーンから見れば迎える客なのだ。
「何故なんです?」
「それは機密だから、言えないの」
と言いつつ、キャスリーンはローイックに顔を近づけた。ローイックは、近付いた彼女から香る良い匂いに鼻をピクリとし、少し頬が緩ませた。ローイックはある意味、簡単な男だった。
この荷馬車は前後の幌を降ろして、外からも御者からも見えなくなっており、耳打ちする程度の声なら外に聞こえる心配はない。
「今回は、帝国から持ちかけた話なの。だから使者にこっちの都合を押し付けたくないのよ。父の予定もあるしね」
キャスリーンはローイックに耳打ちをした。驚いたのかローイックの青い瞳が開かれていく。
「アーガスから持ち掛けた訳ではないのですか」
ローイックもキャスリーンに耳打ちで返す。傍から見れば愛の囁きでもしているかのように見えるのだろうが、違うのだ。
「これ以上はあたしも知らされてないの」
彼女は耳打ちをすると顔を離し、眉尻を下げた困り顔で小首を傾げた。ごめんね、と空耳が聞こえてもおかしくない、そんな顔だった。
「そう……ですか……」
ローイックは額に右手を当て、考え込んだ。
何のために祖国から使者が来るのか。使節団の名簿にあった元上司は、かの国の宰相だったからだ。この事はキャスリーンも知っていた。
考え悩むローイックを、キャスリーンは黙って見つめている。
御者がいるとはいえ二人きりの密室ではあるが、色気のある会話は、欠片もなかった。残念である。
「あの二人」
ゴトゴトと揺れる黒い馬車の中、キャスリーンの身代わりで白い騎士服を着たタイフォンが、おもむろに呟いた。
「進展した?」
視線だけをミーティアに向けた。が、その栗色の瞳には、期待の色は無かった。一応の確認であるようだ。
「立場上、手を出せない男と、立場上、傍にいられない女です。あれ以上の進展はしていません」
ミーティアも視線だけを向け返した。顔は真面目だ。
「今だって二人きりですが、何も起こっていないでしょう。姫様も、ぐわっと襲ってしまえばいいんです。押し倒して唇を強奪してしまうんですよ。既成事実を作った方が勝ちなんですから。彼が負傷している今が絶好の機会なのですが」
視線だけだったはずが、ぐっと拳を握りしめ、プルプルと震えていた。明らかに力が入り過ぎている。ミーティアとしては、世話をしてきたキャスリーンの初恋は成就させたいのだ。その想いが、ちょっとだけ溢れてしまったのだろう。
「ミィーティア。化けの皮が、はがれてる」
「あら、いけませんね」
タイフォンの指摘に、ミーティアは、さっと居住まいを正した。そこには静かに佇む、幼顔で凄腕侍女の姿があった。
「嫌な予感がする」
タイフォンはキャスリーンの身代わりとして、ある程度の情報は教えられていた。その中にローイックの幼馴染らしき女性がいるというものも、当然ある。
「障害がある程、恋の炎は燃え盛るんですよ」
自身も独り身な事は脇に置いて、ミーティアは不敵に笑った。




