第八話
「な、なんであなたが……ってああああああ!!」
自室に戻ったサヤを待っていたのは結弦であった。それがただ待っていたならよかったのだが、結弦はサヤ秘蔵の饅頭を食べながら寝ころんでいたのだ。
「ん? どうした、ってこの饅頭か? うまいぞ」
「知ってるわよ! わたしが言ってるのはなんで! あなたが! わたしの部屋で! 大切にとっておいた饅頭を! 食べているのよ!!」
サヤはぜぇーはぁー、と一気にまくしたてた息を整える。
「だいたいなんでここにいるの。今日は部屋にいてって言わなかった?」
「いや、暇だったから。それで屋敷の中散歩してたら昼寝に良さそうな日当たりの部屋の部屋があったら昼寝するしかないだろ?」
「するしかないだろ? じゃないわよ!」
「まあまあ、お茶でも飲んで落ち着いて。これもうまいぞ」
「ああもう! わかったわよ! 飲めばいいんでしょ、飲めば!?」
そう言うと結弦から手渡されたお茶をひったくり、一息に呷る。
「あれ?」
「おいしいでしょ?」
「……」
図星を着かれたサヤは口を紡ぐ。いつもアイリが淹れてくれるお茶もおいしいのだが、結弦が淹れたお茶はそれを凌駕していた。
「前から思ってたんだけどここの人は緑茶をなめてるね」
「は、はぁ?」
「緑茶には一番おいしい温度ってのがあってだね……」
結弦が長々と何かを喋っているが、サヤはこの緑茶の味に感動して聞いていなかった。
(こんなおいしいお茶初めて飲んだ……これからも飲みたいかも)
アイリには悪いと思うがそう思わざるえないものであった。
「……と言うわけで、このお茶はここまでおいしくなれるのだよ。わかった?」
「ごめん、なんも聞いてなかった」
「あ、そう……」
サヤがそう言うと、結弦は本気で落ち込んだ様子を見せた。引きこもりという事情から初めて人前に出したお茶をおいしく思ってくれた事に調子を良くして、うんちくをべらべらと語るのは失策だったらしい。咳払いを一つすると結弦は
「ま、いいや。おかわりいる?」
「……もらう」
サヤにおかわりを勧めるとおずおずと湯飲みを差し出してきた。二煎目を淹れようとしたところであることを思いついた結弦はニヤリと笑った。
「はい、どうぞ」
「……ありがと」
結弦から渡された湯飲みを持つと今度はじっくり味わおうと湯飲みを傾ける。程良い熱さのお茶がサヤの喉を流れて……いかなかった
「ぶーっっ!! なにこれ? しっぶいんですけど!?」
「はははは。いやー傑作傑作」
してやったりと大笑いする結弦を見て、先ほどのしたり顔の意味を理解したサヤの顔がわずかな怒りで上気してくる。
「あー笑った笑った。そっちは渋みが強いんだよ。ほら、交換」
「うぅ〜」
口内に残る渋みで顔をしかめながら湯飲みを受け取るサヤ。またしてもなにかされたのではと警戒心があり恐る恐る口をつける。
「おいしい……」
危惧していたような事にはならず、一煎目とは違ったおいしさを味わえた。二口目を飲むとほうと息を吐く。すると、それを見た結弦が言った。
「どう、少しは楽になった?」
「えっ……」
そう言われ自分の頬を触ると微かに緩んでいるのがわかった。初めてアヤカとアイリ以外の前で素をさらけ出していたサヤは困惑した。盗賊の襲撃、迫る謝龍際、そして帝国の人間との対話とここ最近ずっと立て込んでいたサヤは自分の疲れも把握できないほど多忙だったのだ。
「その温かさをもって心も体も癒す。これがお茶の底力だ」
「ふふっ、確かにこれはまるで魔法ね」
そう言い久しぶりに心から笑ったサヤは結弦の頬が軽く染まっていた事に気づいた。
「どうしたの? 顔真っ赤だけど?」
「な、なんでもない」
そう言うと結弦は立ち上がり
「とりあえず色々忘れて、昼寝でもしようぜ」
手をサヤに伸ばした。
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サヤはてっきり自分の部屋で昼寝をするものだとばかり思っていたが、サヤの手を引いた結弦はそのまま屋敷を出て小高い丘までサヤを連れてきた。
「へえ、近くにこんなところがあったのね」
「薪集めの時にさぼ……じゃなくてちょっと休憩するのにいい場所がないか話が
したら偶然見つけたんだよ」
「……へえ〜あなたは真面目そうな顔して意外と不真面目なのね」
「不真面目なんじゃない。効率的に生きてるだけだ」
「なら休まずちゃっちゃか薪を拾ってればいいじゃない。その方が早く終わるでしょ?」
「俺が集めるよりもサルバドにそれとなくアヤカさんの話するだけであいつ手が早くなるからさ」
結弦はサヤのじとーっとした目を躱すと腰を下ろし隣に来るようにサヤに勧めた。
「ほら、こっち来いよ。ここ風が気持ちいいんだ」
「う、うん」
サヤは着物が汚れるのを気にしてか恐る恐るといった様子で腰を下ろそうとする。が、姫として教育を受けてきたサヤは躊躇してしまうのだった。
「ねえ、何か敷物とかないの?」
「そんな上等なもんないって。気にしない気にしない」
「で、でも……ってちょっと!?」
未だ渋るサヤにしびれを切らした結弦は、サヤの手を強引に引っ張るとそのまま勢いよく寝転がった。もちろんサヤが怪我しないように配慮はしているが。
「これで汚したのは俺だからアヤカさんに怒られるのは……」
「急になにすんのよ! 危ないじゃな……」
サヤの声は結弦の想定よりだいぶ近くから聞こえた。それもそのはずで、サヤの顔は結弦の目の前にあった。サヤができるだけ地面に触れないように努力した結果がこれであった。それは端から見たら抱き合っているようにも見える。お互いにそのことに気づいた二人はほぼ同時に顔を赤く染め上げ、結弦は一旦距離をとろうとした。ところがサヤは顔を赤くしながらもどこかすがるように結弦の襟首を掴んでいた。
「え、えっと……サヤさん?」
怪訝に思った結弦が声をかけるとサヤは静かに震えていることに気づいた。以前どこかで似た光景を見たことがある気がした結弦はすぐさま記憶そ辿り、そして思い出したのだ。つまり
(風呂でのハプニングと同じ!? なら……殴られる!!)
出来事と一緒に思い出した顎の痛みで恐怖に震え、目を閉じる結弦だったが、幸いいつまでたっても拳は降ってこなかった。恐る恐る目を開くと目尻に涙を抱えるサヤの姿が目に入った。どうしていいのかわからずおろおろしているサヤは静かに言葉をこぼした。
「こんなに人って暖かかったんだ……」
「え?」
サヤの呟きは風にさらわれて結弦の耳には届かなかったが、どうやら怒られるわけではない事がわかった結弦はほっとした。だが依然サヤは結弦の襟首を掴んだままで離れようとはしなかった。
「サヤ?」
「あなたの心臓の音がする」
サヤを心配する結弦に返ってきたのはそんな言葉だった。
「どくんどくんって力強く動いてるのがわかる」
「そりゃまあ……生きてるわけだし」
「そうよね……こんなに近くに人を感じるのはいつぶりかしら」
サヤの言葉にどう返していいかわからない結弦は黙って耳を傾けた。
「ねぇ、もう少しこのままでいてもいい?」
「……好きにしなよ、昼寝に誘ったのは俺なんだし。なんだったら寝ちゃってもいいぜ」
「寝ないわよ」
サヤは自分でも驚くほど結弦に心を許していた。どうしてここまで自分の素をさらけ出しているのか不思議でしかたなかった。しばらくそよぐ風の音を聞いているとやはり疲れが溜まっていたのだろう、急激に眠気が襲ってきた。結弦の力強い心音に包まれるような気持ちになってくると、とうとう意識が薄れ始め、サヤは深い眠りに落ちていった
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結弦は今ものすごい我慢を強いられていた。というのも自分の目の前で絶世の美少女が眠っているのだ。結弦は視線をできるだけそらそうとするが、男の本能がそれを拒否して美少女の寝顔を見ようとする。
サヤの髪はのとても手触りがよさそうだった。またいつもは力強い意志を宿している瞳も眠っている今は当たり前だが閉ざされていて儚げな印象を結弦に与える。視線をそのまま下にずらすと形の良い唇が目に入る。今ならサヤは無防備だ。ならば……
(ってまずい。これは非常にまずい思考をしているぞ俺。いや、男としては正しいとは思うがとにかくまずい。落ち着け、落ち着くんだ俺……)
と高ぶった己の精神を抑える為に結弦は目を閉じて深呼吸をした。恐らくそれが間違いだったのだろう。
「スーッ……」
もにゅん
「……ハァー」
もにゅん
「……」
深呼吸をした結弦は。自分の愚かさを呪った。精神を落ち着ける為に深呼吸をしたはずなのにそのせいでサヤの実に女の子らしい甘い匂いが鼻腔をくすぐり、そして呼吸と共に上下する自分の胸板にとても女の子女の子している感触が伝わってきた。風呂場でのアクシデントの時も思ったがサヤの身体は非常に魅力的であった。
こちらの世界ではどうだかわからないが結弦の知る同年代の女の子よりも華奢でいてとても柔らかい。結弦は男子の平均身長よりも小さいがサヤも恐らく平均値を下回るであろう。それでいて胸は身長に対しては大きい方で、しかし決して大きすぎることはなく、また形もいい。布を数枚隔ててるこの状況でさえそれがわかってしまうのだ。そして何より結弦の理性をかき乱すのがサヤの美脚であった。いつもは巫女服によって見えることはないが、例の件の際一瞬見えた脚には見とれてしまっていた。むっちり美脚というのだろうか、太股はとても柔らかそうでかといって贅肉なわけではなく、必要な筋肉はしっかりついていた。動物で例えるならばカモシカと言ったところか。
結弦の左足はその極上と言える太股に挟まれていてとてつもない幸福感を味わっていた。自分の語彙の貧弱さに嘆く結弦だが、このようにスレンダーでありながら出るところはしっかり出ているサヤはまさしく結弦の、否。全ての男の理想像と言っても過言ではなかった。
「落ち着け……邪な事を考えてはならぬ……サヤは俺を信頼して疲れをとるために寝ているんだ……そう俺は布団だ、姫様に安眠を与えるのが使命なんだ……それを放棄してしまっていいわけがないだろ……」
そう小声で呟くと結弦は素数を数えることによって落ち着くことができるというのをどこかで見たのを思い出した。
(素数素数……)
「んん……」
素数を一生懸命数え上げている結弦の努力をあざ笑うかのように、艶めかしい声を上げながらサヤが軽く身じろぎをする。
もにゅもにゅん
(だめだこりゃ……いっその事俺も寝てしまえば楽になるんじゃ……)
そう思う結弦だが二人とも寝てしまっては何か起きた際に対処ができなくなってしまうことはわかっていたので結弦はサヤが起きるまで煩悩と戦うことを余儀なくされたのだった。