第七話
ある日の午後。結弦は昼食のあと自室でぼうっとしていた。というのもいつもなら木を拾っている時間帯なのだが今日はなぜか皆慌ただしくしていて、サルバトも別件を任されていた。
こっちに来てからそれなりに経つが、本当に何もしなくていい時間と言うのは久しぶりだった。四日前アヤカと食事をした日から結弦は朝はアヤカとの勉強、昼はサルバトと薪拾い等雑用、夜はアイリの夕食づくりの手伝いと翌日の仕込み、そして寝るまでまた勉強と一日の習慣ができあがっていた。
「暇だ……」
あっちにいたときは毎日が暇つぶしの状態だった結弦だが、それもネットやゲームというすばらしい文明の利器があっての生活だった。先ほどまでは自主学習をしていた(結弦の勉強が進むとアヤカは自分のことのように喜んでくれて、それが結弦自身うれしかった)のだが、自力でできる範囲というのもそこまで多
くなく朝からやっていればこの時間には終わってしまっていた。
「暇だ……」
同じ言葉を繰り返すもそう言うことで現状が変わるわけでもなく、風や木々の音が結弦の耳に入ってくるのみであった。
「ーー」
自然の音に耳を傾けていたらどこからか騒ぎ声のようなものが聞こえてきた。
気になった結弦はどうせ暇だしと様子を見に部屋を出た。
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「話が違うではありませんか!!」
屋敷の応接間には六人の人間が大きな机を挟んで両側に三人ずついた。片側には椅子に座るサヤとその両脇に立っているアヤカとケイ。反対側には肉付きの良い四十代前半と思しき男と鎧をまとった男が二人いた。どちらも二十代程で一人は小柄でへらへら笑っている。その反対側に立つのは筋肉隆々で背が高く、いかにも武人然としている男だった。
「ケイ、下がりなさい」
サヤが大声を出したケイを窘める。ケイは渋々と言った様子で前のめりにしていた体を元の位置に戻した。
「従者がお見苦しい真似をいたしました。ご無礼お許しください」
「なあに。そんな小さなことで頭を下げなさるなサヤ姫」
「では私も無礼を承知で言わせて貰いますが、彼の言うとおり話が違いますゴ
ンボ卿」
「と言いますと?」
いやらしい笑みを浮かべながら男-サハモン・ゴンボ-はサヤに問い返した
「先の談義においてわたしはゴンボ卿との婚約の条件として民の生活の保証と『光の龍』の存在を認めるということをゴンボ卿に提示しあなたはそれを飲んだはずです」
「ええ確かに」
「ですがあなたは今、里を帝国の属州にするとおっしゃったではありませんか」
「それのどこが問題なのでしょうか?」
「それでは『龍の谷の民』ではなくなります」
「いやいや。それはおかしいでしょう。サヤ姫、貴女と私の間にある取り決めは先ほど貴女が言った通りでしょう。その文言にいつ『龍の谷の』という言葉が入っていたのですか?」
ゴンボの言に自分の失態を恨むサヤ。アヤカは従者として静観しているだけだったが、同じ従者であるケイは先ほどの怒りがまたふつふつと湧いてきたのか
「そんなもの言葉の綾であろう! こじつけも甚だしい!!」
と大声を出していた。年若いながらも幾たびも戦場から生き残ってきたケイの怒りがこもった言葉は常人であれば恐れを抱くものであろうが、ゴンボを含めた相手側には恐れを抱くものなどいなかった。
「ほう。では小童、お主はこの私がおかしいというのかね?」
ゴンボの言葉に肯定を示そうと息を吸い込むケイの肩をアヤカが掴む。
「そちらの従者殿はなかなかに頭が回るようですな」
アヤカに初めて視線を向けたゴンボがそう言うとアヤカはかぶりをふった。
「よかったなぁ! そこの女が止めてなかったら今頃お前の首は宙を舞ってたぜぇ?」
「っ……」
小柄な男が腰に帯びてる刀の柄に手をかけているのに気づいたケイは息をのむ。仮にケイがそのままゴンボに思うままを伝えていたらそれを暴言ととらえてこの場で決裂していたかもしれないのだ。
「……さて、サヤ姫。どういたしますかな? 帝国としては別に小さな里の一つや二つ、潰すのはたやすいこと。ましてやそちらは大罪を守る咎人であるぞ。帝国が容赦をするとでも?」
「……」
「それをこの私が救ってやろうというのだ。感謝こそすれ、口答えとは。未だ己の立場わからんのか?」
「……いえ」
そう答えるサヤの声には覇気が全くこもってなかった。そんなサヤを助けられないケイは自分のふがいなさに嘆く。
「なに、この里は上玉が多いからな。それを咎人であるというだけで失うのは勿体なかろう? なれば私が愛でてやろうぞ」
ははははははとゴンボは大笑いした。彼の頭の中にはこの里の女という女を侍らせる未来像が浮かんでいた。そんなゴンボの様にケイは血が出るかと言うほど
唇を噛みしめ、手を握り込む。
「話が長くなってしまうのは私の悪いくせであるな」
ひとしきり笑ったゴンボは場を仕切り直す為につぶやくとサヤに言った。
「なに、将来の妻である姫の気持ちを最大限尊重してやりたいからな。私からも帝国に掛け合ってみようではないか。……もっとも? そこの侍女のような者の一人二人を一緒に交渉役として連れ帰ってよいのであれば確実に姫の要望を通し
てみせようではないか!」
アヤカをなめ回すように見て、ゴンボは下卑た笑みを浮かべると大仰にそう
言ってのけた。
「そのようなことをせずとも結構です。私が里の者を説得いたします」
「ほう。左様であるか」
ゴンボの視線を遮るように立ち上がったサヤが胸に手を当て宣言する。その言を聞いたゴンボは落胆する様子を隠そうともしない。
「まあ、よいであろう。期日を延ばした方が良いかね?」
「いえ結構です」
きっぱりと言うサヤがおもしろくないのか、ゴンボはあからさまに顔をしかめる。
「ふん、そうか。では私たちはこれで失礼するとする」
「ではお車までお送りしましょう」
サヤがそう言い手をたたくと、部屋の外に控えていたアイリが「ではこちらに」と先導する。
ゴンボが部屋を出たのを確認すると緊張で疲れがたまってしまったサヤは一人自室に戻った。サヤの気配を感じなくなったところでケイはアヤカに詰め寄った。
「あなたは悔しくないんですか!? 姫があんなやつの所に行かなきゃいけないなんておかしいですよ!!」
「わかっています。ですが今の里には彼の要求を飲むしかありません」
「……だったら。だったらあいつさえいなくなってしまえば!!」
そう言ったケイの表情には鬼気迫るものがあり、さすがのアヤカも気迫にのまれた。だがそれでもアヤカは首を縦に振ることができなかった。
「この里の関係者にやられたとなればそれこそ帝国と戦争……いえ、一方的な殺戮が待っています。あんな人間のくずですがゴンボ卿は帝国で政治の一端を担っているのです。それをわかっているからこそ姫は自分の身柄を帝国に渡すのよ」
「なんでアヤカさんはそんなに冷静でいられるんですか!? 悔しくないんです
か!!」
「冷静? 私が? 悔しくないのか? 悔しいに決まってるじゃない。姫には……妹には幸せになって欲しいに決まってるじゃない……」
アヤカの悲痛な叫びを聞いてケイもそれ以上強くは言えなかった。
「すみません……」
「……いえ、私こそごめんなさい」
二人の間に沈黙が流れる。そしてそれ以上相手を傷つけてしまう前にとケイが略礼をして部屋から出て行く。一人になったアヤカは誰もいない部屋の中静かに涙をこぼした。
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ゴンボは目の前にいる侍女の案内で自分の馬車に向かっていた。ゴンボはやはりこの里の女は上玉であることを再確認すると、この里を手に入れる決意を固くした。
「それにしてもあのガキはよく吠えましたねぇ、腕もないのに見栄だけご立派になっちゃって。ああいう奴って嫌いなんすよねぇ」
侍女を値踏みするように眺めていたゴンボに従者であるスライが話しかける。スライは帝国では珍しいスラム街の出身でゴンボとしては侍らせるのもイヤなのだが、実力だけは確かなようで他の文官からのすすめでつけている。
「なあに、若いと言うだけであれだけ吠えられるんだ。噛みついてくるなら躾るまで。といっても? あんな駄犬は躾てもどうにもならんかもな」
「そりゃ違いないですねぇ」
「……」
会話に混ざろうともしないもう一人の従者トドリ。傭兵である彼は二人の会話に興味を持たず一言も喋ることはなく、しかしゴンボもスライもそのことを気にしてはいなかった。
「スライ。貴様は早く女を覚えた方がよいぞ」
「俺は女に興味なんてないっすよー女を眺めるよりも人そ解体する方が好きですよぉ」
「そんなことあるまいて。女はいいもんだぞ? 特に生意気な小娘を堕とすときの快感といったらもう……」
「ゴンボ卿。着きました」
「っと、ご苦労。もうよいぞ」
ゴンボはアイリにそう言うと馬車に乗り込む。正直なことを言うとアイリをお持ち帰りしたいゴンボだったが、馬繋場には里の自警団であろう男達がいたため、自制した。
(ここでつまみ食いをしてメインディッシュを逃してしまっては勿体ないから
な)
そう心の中で呟きながら馬車に乗り込む。馬車の中にはうつろな目をした少女たちが鎖に繋がれていたのだった。そして馬車の扉が閉められると中は密室になってしまう。
「それまではこれで我慢するとするか」
そういい手近な少女に手を伸ばす。
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自室に戻る足取りが重いサヤ。それも無理のないことではあるが部屋に戻るまでは、自分に張り付いた姫という仮面を脱ぎ捨てるまでは涙は流さない。そう自分に言い聞かせる。
サヤは生まれてからすぐに姫になったわけではない。先代の巫女である母が他界し、姉のアヤカが継承すると思っていたサヤだったが、龍はアヤカではなくサヤを巫女に指名してきた。それから指導者として里を治められるように努力してきた。だがそれでも姉より自分が優れているとは思えなかった。姉の方が長としてふさわしいと思った。それでも皆から求められたから、姉にほめてほしかったから。その一心でがんばってこれた。それなのに……
叫びたかった。叫ばずにはいられなかった。だが自分はまだ姫だ。ならば仮面をはずさなければならない。そう思い重い足取りを無理矢理進める。数分もしないでサヤは自室にたどり着く。もうすぐだ。戸を空けて部屋に入ったら仮面を脱ぎ捨てられる。そして戸を開くと
「どうしたんですお姫様。綺麗なお顔が台無しですよ?」
何も知らない食客がのんきな顔をしてサヤの部屋で堂々と茶を啜っていた。