第二話
結弦の意識が徐々に鮮明になってくる。自分に手足の感覚がまだ残っていることに驚く。記憶が確かなら自分は陽那を助けて……
「っ!……」
その瞬間の記憶も鮮明に思い出せた。自分の身体が自分のモノじゃなくなる感覚。今思うととてつもなく恐ろしいものだった。
「目は覚めたかい? あ、それとも君たちが作るお話でありがちなセリフならこうかな?」
突如響く声に結弦は辺りを見回す。一面真っ白い部屋。ただただ白いだけなので遠近感が全く計れない。声の主を捜すと結弦の後ろにソレはいた。
この部屋と同じ色の真っ白い長髪、どこまでも澄んだ海の色の瞳を持ちこれまた髪と同じく真っ白いワンピースを着ている幼女がいた。
「ごめんなさい! 僕の手違いで君は死んでしまったんだ! ……こんな感じであってるかな?」
「……」
「あれ? おーい。おかしいな、言語は君が使うものに設定したはずなんだけど……」
「いや、聞こえている。聞こえてるんだがちょっと状況が整理できてないし、そもそもありがちと言えるほど多くはないと思うんだが」
「いやいやそんなはずないでしょ。とにかく話は聞いてるでしょ? 状況の整理ができないってどういうことさ?」
「いやいやいやなんの事だよ……」
「とぼけなくていいさ! 君は僕を知らないが僕は君を知っているのだよ颯斗くん!」
「いや、颯斗じゃないです。結弦です」
「……え?」
謎の幼女は結弦の名前を聞いて黙り込んだ。
「えーと……とりあえず状況の説明をお願いしたいんだが」
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しばらくして幼女が再起動を果たすと言った。
「……えーとそうだね。このまま黙ってても話が進まないし、お互いに状況把握につとめようじゃないか。」
そう言うと幼女はどこからともなくソファとテーブルを出すと、結弦に座るよう促した。
「まずは僕は何か? そうだね君の疑問は尤もだ。君にわかりやすく説明すると神かな。より正確に言うと君たちが住む世界の意志とでも言うべき存在さ。」
幼女は結弦の心を読んだのか、結弦の疑問に答え始めた。自分の考えが相手に筒抜けになっていることに不安感を隠せないものの、現状の鍵を握っているであろう幼女と対話するのだった。
「世界の意志? というと地球のってことか?」
「当たらずも遠からずかな。僕の管理する世界の中で世界を世界と認識しているのは君達だけだからね。とりあえずはその認識でいいよ」
そこで一度言葉を切るとまたもやどこからともなくカップを二つだした。
「それでだね。ここだけどそうだね僕の部屋っていう説明が一番手っ取り早いかな。正確に言うならば僕という力を保管し循環させる場所。そこを僕の住みやすい様に一手間加えたのさ」
そういうと大仰に手を広げ部屋を誇示する幼女。
「ふーん。それでえーと……君は」
「おいおい、初対面の人に向かって『君』呼ばわりはないんじゃないか? せめて『あなた』とか」
「いやだって幼女だし」
結弦の言葉にむっとした反応を示す幼女。すると幼女は良いことを思いついたと言わんばかりに手をうった。
「そうだ。君が僕の呼び名をつけてくれよ」
「は? なんでまた」
「いまどきの流行はわからないからね。君も呼び名があった方が会話しやすいだろう?」
「それはそうだけども……うーん」
結弦はしばし黙考する。
「じゃイアで」
「ちなみに素敵な由来とかあったりする?」
幼女……改めイアが結弦に問う。
「ガイア論みたいな考え方あるじゃん。星が一つの生命でうんたらかんたらみたいな。なら星の意思である君の名前もガイアで良いんじゃないか、いや待てよ。仮にも女の子の形をしているものにガイアはどうなんだ。じゃあガを取ろう。という脳内会議の結果です」
「……安直だけどいい名前だね。よし、じゃあ僕の名前も付けてもらったところ
で君の……結弦の現状の説明に入ろうか」
先程までおちゃらけてたイアが真面目な雰囲気を出してきたので結弦も気を引き締める。結弦はここまで平静を装っていたが自分の状況がうまく把握できていないのだ。
「最初に僕が結弦に言ったこと覚えてる?」
「えっと『目は覚めたかい?』だっけ」
「その後」
「『ごめんなさい! 僕の手違いで君は死んでしまったんだ!』だったかな」
「そうそれ。冗談で言ったつもりが事実だったみたい」
「は?」
「人違いで結弦を殺しちゃったみたいなんだ。」
「はぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「いや正確に言うと殺したわけじゃないんだよね。ただ手違いがあったのは事実でそのせいで君の世界に結弦を返せないんだよ」
結弦の口は開いたまましばらく塞がらなかった。結弦が落ち着くのを待つとイアは説明を続ける。
「本来ここに来るのは君ではなく颯斗という少年だった。僕はそのために颯斗の居る周辺にそうだね、転移結界とでもいうものを張っていたんだ。それはある程度体内に魔力がある者にしか反応しなく、あるタイミングでしか発動しないようにしといたんだ」
「結界とか魔力とか色々つっこみたいところだけどそれと俺の話となにが関係あるんだよ」
「うん。まず結弦の魔力はそちらの世界ではかなり多い部類に入るんだ。そして本来結界が発動するはずだった時間よりも前に結弦の魔力に惹かれて想定の時間よりも早く起動してしまった。結果、君はここにいるってこと」
結弦はイアの説明を頭のなかでかみ砕き飲み込む。ついでに出されたままで手をつけていなかったコーヒーに手を伸ばす。どういう原理かわからないが、しばらく置いていたのに温度は保たれたままのようだ。 口に近づけるだけでコーヒーの香りが漂う。一口飲むとコーヒーの苦みと仄かな酸味が舌を駆ける。今まで飲んだことのないおいしさのコーヒーを堪能している結弦を満足そうに眺めるイアの視線に気づくとこんな状態でくつろいでる自分が恥ずかしくなり、背筋を正しちゃんと考えてましたよとアピールをする。
「理解はできた。だけど納得ができない。どうしてそれと俺が元に戻れないのが関係してくる」
「問題点は二つある。まず結弦の現実の体の方。ぶっちゃけちゃうと人の形をたもってない。こっから見れるけど見てみる? すっごいおもしろいことになってるよ」
イアは空中にある小窓のようなものを覗きながら言う。
「……いや、遠慮しとく」
「それもそうか。とにかく体の再生もできなくはないけど君が元に戻ったときに支障がないようにするにはちょっと時間がかかるんだ。それで、もう一つの問題なんだけど……」
そこで言葉を切ると意味ありげに結弦のほうに視線をよこしたかと思うと目を伏せてしまう。
「今更何を言われても驚かないから言えよ」
「……二つ目の理由が君が、君の魂が死を受け入れてるっていうことだ。いくら星の意志といえど人を生き返らせることは簡単じゃない。いや、星の意志だからこそとも言えるかな。なんせ人はいつか死ぬんだ。それがこの星のルール。本来結弦がここにいるのはイレギュラーなんだよ。それでも僕は僕の手違いのせいで死んでしまった君に救済を与えたい。君が望めば体のほうも後遺症なく治せる。それなのに君自身がそれを拒んでいるんだ」
イアの言葉に結弦はなるほどと思った。
「まぁ当たり前だわな。さっきイアも言った通り人はいつか死ぬ。それがたまたま今日だったって話だし、俺は最後に自分の人生に意味が持てたからそれでいいんだよ」
「人生の意味?」
「今までなんとなくで生きてていつ死んでも多分後悔はなかったんだ。けどどうせ死ぬなら人の、ひいては世界の役に立ちたかったんだ。俺は最後にそれを実現できた。だから満足なんだよ。」
「……結弦。君なかなか壊れてるね。自分の人生を誰かや世界の為に費やす人間なんてそういない。口ではそう言う人間も結局自分の命が惜しくなるもんだ」
そう言うイアの口調はやや責めるような棘のあるものだった。だが結弦はそれに気付くことはなく、にへらっと気の抜けた表情で答えた。
「よく言われる。他に理由をあげるとすればそうだな……弱者が救われず強者が我が者顔で理不尽を振りかざす。そんな世界が俺は嫌いなんだよ。そんな世界に戻るくらいならなんのしがらみもないあの世とやらの方がマシだと思えるね」
結弦は苦笑を浮かべる。つられてイアも笑うがそれは苦笑などではなく大爆笑といったものだった。
「あははははははっ……はぁ、ほんっとおもしろいね結弦は。世界の意志たる僕の前でそれを言うか! 僕、君のこと気に入ったよ」
腹を抱えて転げ回ったイアはようやく笑いが収まったのかイスに座り直した。まだ顔はにやけてたが
「よし、それじゃあ結弦にこれからの選択肢を与えてあげるよ」
そう言うと可愛らしい小さな指を四本前に出した。
「一つ、このまま死んじゃう。僕としては選んでほしくないね。二つ、君が元の世界で生き返る。僕としてはこれがいいんじゃないかなって思うけど君が嫌がる選択肢だね。そして三つ目ここで僕のお話相手になる。颯斗はいつかもう一回召還しなきゃいけないんだけどすぐっていうわけにもいかないんだ。荒れた龍脈の調整とかいろいろね。それまでの時間つぶしだね。君にとっては考える時間が増える選択肢かな。最後の四つ目」
そこで言葉を切るイア。もったいぶって結弦の反応を面白がっている。そのことに結弦は怒ったりはしないが続きが気になるのも事実なので、目線で先を促すとつまらなそうにしながら
「四つ目は異世界で第二の人生とやらを歩んでみる。ついでに主人公になってみる」
とてつもなく意味のわからない事を言った。
「異世界で主人公?」
突然でてきた単語に疑問を浮かべる結弦。それに当然だと頷くイア。
「君が驚くのも無理はない。なんてったって主人公だもんね」
「いや、そうじゃない。主人公ってなるものだったのか?」
「そうだね、いろいろな煽り文で『今日から君も主人公になれる!』とかあるけど実際主人公になれる人間なんて極々一部だよ。歴史上実在した人物で有名どころはアーサー王伝説のアーサー王とか三国志の劉備とかは最初から主人公体質だったね。まあかなりの脚色があるのは事実だけれども。それにどういう人間が主人公と呼ばれるかも結局は人の主観によるものだし」
「それを聞く限り俺がなれるようなものじゃないだろ。それに人間は自分の主観でしか世界を知覚できないんだからそれぞれの人間が主人公なんじゃないの?」
より疑問が深くなった結弦にイアが少し頬を膨らませる。
「なかなか面白い価値観の持ち主だね。けど人の話は最後まで聞いてよね〜人じゃないけど。確かに人間は主観でしか世界を知覚できないよね、けど君は主観ですら自分を主人公に置くことができていない。それはなぜか」
そこで一度区切るとコーヒーを口に運ぶイア。こんな時にも関わらず結弦は姿は幼女な神っぽいのがブラックコーヒーを飲むというシチュエーションのシュールさを感じていた。
「答えは君の求める主人公像と現実とのギャップにある。さっき君は自分の人生の意味がどうこう言ってたね。それは主人公は少なからず周りの人間に影響を与え、時には救うからだろう。案外君は夢見がちなんだよ」
「……ま、自分で色々と思うところはあったけど、改めて他人から夢見がちとか言われると俺って結構イタいやつだよな」
そういうと内心を見透かされたことを隠すようにコーヒーに手を伸ばす結弦。
「そこが君の良いところじゃないか。悪いところでもあるけどね」
そう言うとコーヒーを口につけ苦笑い。ただ結弦から見ると無理して背伸びした幼女がブラックコーヒーを飲んだはいいものの、結局苦くて飲めなかったというほんわかする絵面にしか見えないのであった。
「今よからぬ事を考えたね?」
「気のせいだ。それよりも急にそんな顔してどうした?せっかくの可愛い顔が台無しだぞ」
「……とにかく君の選択肢は以上の四つだ。僕的には最後に近い方が嬉しいんだけど……」
「おーけー。それなら四番目の選択肢だな」
イアの言葉が終わるのを待たず即答した結弦。これにはさすがのイアも驚きを隠せなかった。
「即答って……君の今後を大きく左右する話だよ。ちゃんと考えたのかい?」
「ちゃんと考えたさ。理由は三つ。まず俺はさっきも言ったけど人や世界の為になりたい。次にこれは前の理由とつながるんだけど自分の人生で人や世界の為になれるなら喜んで生き返る。それが前の世界とは別だというなら尚更。最後は……いや、なんでもない」
とここで口を閉ざす。
「もったいぶってないで教えてよ〜おーしーえーてー」
イアは結弦が自分に隠し事をしているのが気にくわないのか駄々っ子のように手足をばたばたさせる。
「さっきみたいに俺の心を読めばいいじゃんか。口にするのが恥ずかしいんだよ」
「それじゃあつまらないんだよ。よし、なら最終奥義を使おうじゃないか」
「最終奥義?なんだよそりゃ」
結弦が問うとソファから降りてテクテクと結弦に近づいてくる。物理的手段を行使されるのかと身構えた結弦だったがイアは目の前で少しかがむと
「おねがい。教えてお兄ちゃん?」
上目遣い涙目妹キャラ攻撃をしかけてきた。なるほどこれは最終奥義も過言ではない。見た目年齢が十歳前後の幼女が頬を染め潤んだ目をまっすぐにぶつけてくるのだ。そして全く血縁関係がない幼女に「お兄ちゃん」と呼ばれることの破壊力。結弦は世界にロリコン紳士が増えるのも仕方がないのでは!? とすら思ってしまうほど庇護欲その他もろもろをかき立てられてしまう。
「あーくそ、わかった。わかったから座れ」
結弦が諦めたのを見ると無い胸を張り勝ち誇った様を見せつけてくるイア。結弦がそっぽを向き無視しているとつまらなさそうにソファに深く座り直した。
「それで最後の理由は?」
「……可愛い女の子の頼みだからだよ」
諦めたにも関わらず羞恥心が消えるわけではないので必然と声は小さくなってしまっていた。だがこの部屋はなぜか音がよく響く。結果イアの耳にも入ってしまっているのだ
「……あはははははははははっ!! もうほんっとうに結弦は最高だね!! 本来僕に性別の違いが無いことくらいわかってるだろうに!」
またしても腹を抱えながら床を転げ回るイア。ひとしきり笑うと満足したのか結弦の前に立つ。
「よし。では君に主人公として必要なものをあげよう」
「必要なもの?」
「簡単さ」
言うと結弦の頬に手を添え唇を唇で塞いだ。とっさのことに驚いた結弦だったがそれ以上に自分の中に何かが入ってくる感覚の方に気が向いていた。体感ではとても長く感じたが、実際は一秒もないほどの接吻を終えると体の奥底に火が灯ったような感覚がした。
「これって……」
「全く。結弦は自分が可愛いって言った女の子との接吻より自分の変化が大事か。もっと照れるなりおもしろい反応を期待したのに……とにかくこれで契約は成立した。君は僕という世界から理不尽を許された存在になった。君には今異能とでも呼ぶべきモノが目覚めた。これで少しは君の理想とする主人公に近づいたんじゃないかな」
「さて、どうなんだろうな。あんまり実感が湧かないな」
「最初はそんなものだろうね」
そう言うとイアはコーヒーを一口。
「さて、さっき僕は主人公と表現したね。けどそれは主観的な意味合いで、他の人からしたら君はいつか英雄と呼ばれるだろう」
「どういうことだよ」
結弦がそう聞くとイアは一際真剣な表情で言った。
「僕の……いや僕たちの世界を救ってくれ」
「世界を救う?」
「そうさ。君の世界の裏側、コインの裏表のように創られたもう一つの世界が危機に瀕しているんだ。コインの片面がなくなったらそのコインに価値はなくなる。つまり二つの世界が同時に消えてしまうんだ」
「急に話が大きくなったな。つまりそれはお前が消えるってことか?」
「それだけじゃない。正確に言うと僕と裏側の世界の僕の半身、そして二つの世界に住むすべての生き物の存在が無に帰る。僕には裏側の世界に直接的な干渉ができない。けど君みたいに別の世界の人間を送り込んで間接的に干渉できる。向こうで何が起きているのかはわからないけど向こうの僕の苦しみが僕に伝わってくるんだ」
イアの言葉を結弦なりに飲み込むと続きを促した。
「具体的に俺は何をすればいい?」
「ごめんね、僕にはわからないんだ。向こうの世界に異変が起きていることはわかるのに何が起きているかはわからないんだ。僕にできるのは君を向こうの世界に送ることだけ。本当に不甲斐ないよ」
「もともとお前はそういうもんなんだろ。気に病むな」
「けど……」
なおも自身を責めようとするイアの頭をなでると結弦は
「俺に任せろって。なんてったって俺はイアに選ばれた主人公なんだぜ?」
イアは顔を俯け肩を震わせる。結弦はしばらく手触りのいいイアの頭をなで続けた。
「まったく君って奴は……さぁ結弦、君を向こうに送るよ。準備はいい?」
「ああ、いつでもいいぜ」
「ーーーーーー」
イアが何かを唱え始める。結弦の耳には意味を持たない音の羅列にしか聞こえないものだったが、しばらくすると結弦の視界が歪み始めた。目の前に居る筈のイアが遠くに居るように見え、真っ白い部屋がどこかわからない場所へと変化していく。否。結弦が徐々に転移しているのだろう。
「結弦、向こうの僕の事を頼んでもいいかな?」
視界の歪みがひどくなってくる。気持ち悪いというレベルを越えて尚気分が悪くなるのはどういう仕組みか。だが結弦はそんな素振りを見せず、
「任せろ。俺がお前を、お前達を救ってやる」
そしてまたしても結弦の意識は闇に落ちていく。
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「行ったか」
そうつぶやくイアの顔はとても先ほどまでと同一人物だとは信じられないほど表情がさめきっていた。否、表情と呼べるようなものがなく、感情のない人形のようだった。
「まったく。人間という生き物は度し難い。なぜあそこまで自分に都合のよい方向にしか解釈できないのか」
言葉では落胆しているように聞こえるが自分にとっての事実を述べているだけのイアにやはり感情らしきものは見えない。
「結局私がやったことはもともと小さかった世界の歯車を大きくしただけ。小さい歯車は無くなっても気づかないがどこにでもはめられる。対して大きい歯車は無くては困るが一つの役割しかできない。さて、アレはどのように物語を回してくれるだろうか」
そう言うイアに初めて感情らしきものが見えたがそれはとても禍々しく邪悪なものだった。