第十九話
「そういえばユズルもう起きて大丈夫なの?」
「え、ああ。歩くくらいなら」
サヤの言葉でレイへの恐怖心から解放された結弦はサヤの顔を見る。以前の様な暗い顔はしておらず、その表情は物事がうまく進んでいることを語っていた。
「どうにかなりそう?」
「ええ。ゴンボの資産の三分の二をもらえて預かっていたゴンボの身柄を帝国に渡すことになったんだけど……」
サヤは一度そこで言葉を切るとどこか腑に落ちなさそうな顔をしていた。
「けどどうした?」
「それがゴンボを調べても何もわからなかったのよ」
「というと?」
「帝国からの使者がくる前にゴンボで竜化の仕組みを解き明かそうとしたんだけど仕組みは全然わからないし、なら帝国の情勢を探ろうとしても何もない。……まるで記憶がごっそりなくなってるみたいだった」
「記憶が?」
サヤを頷く。なるほどそれならゴンボの身柄を一時的にとはいえ里に預けたことにも一応の納得ができる。記憶がないなら調べることもできないだろう。
「ゴンボの様子は?」
「出された食事は食べるし会話も一応はできるけど支離滅裂なことばかりって報告がきてる」
「なんだそりゃ」
もしそれが事実なら竜化とは一体なんなのか、それを平然と行う帝国とは。今考えても仕方のないことだとはわかっていても、心に芽生えた不気味な感じは晴れる事はなかった。
どれほどそうしていただろうか。廊下で二人して不安げな様子で立っていると
「ほら、いつまでそうしているんですか二人とも」
いつからそこにいたのかアヤカがサヤの背後に立ち、サヤのわき腹をつついていた。サヤはとても驚いたらしく「ひゃっ!?」と変な声を上げ腰を抜かしていた。
「ちょっとアヤカなにすんのよ!?」
「いいですか二人とも。確かに帝国の竜化という技術は得体の知れないものではあります。ですが現状わからないのであればどうしようもありません。そんなことを考える時間があれば他にやることがあるでしょう?」
「他にやること?」
サヤが問うとアヤカはとてもいい笑顔をして庭に面した襖を開く。
「宴です!!」
その広い庭に広がるのはケイやサルバト、アイリといったサヤの側近から、結弦が名前も知らない里に住む大勢の人たちの笑顔だった。
「こういうのをユズルさんの故郷では『さぷらいずぱーてぃー』と言うんですよね?」
アヤカのテンションの高さと集まった人に結弦とサヤはぽかんとした表情を浮かべることしかできなかった。
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アヤカが主催となって開かれた宴は実は結弦が目覚めてから急ピッチで進められていた。里に帰ってからは休む間もなく様々な案件を片づけていたサヤに何かできないかとアヤカが企画していて、結弦にも目が覚めたら手伝ってもらおうと思っていたのだが予想よりも目覚めが早く、ならば一緒に驚かせてしまおうと考えたのだ。
「ささ、主役二人がいつまでもぼーっとしてないでくださいな」
「主役ってわたしたちが?」
「そうですよ。あそこに簡単ではありますが姫とユズルさんの主役席を作っていますので」
そうアヤカに言われ未だに驚きが隠せないものの二人は案内された場所に座った。アヤカは二人からやや離れた位置に座る。するとケイが前に進み出てサヤに一礼すると集まった面々に向き直る。
「諸君! この度は集まってくれて感謝する! 今日は-」
「ケイの話は長いからさっさと音頭をとれー!」
「今日は無礼講って聞いたからお堅い話は聞きたくないね!」
ケイが司会進行役を勤める中サルバト達がヤジを飛ばす。だがそれは決して不快なものではなく会場からは同調する声や笑い声がどっと沸いた。その様子にケイは頭を痛くしつつも
「ええいわかったわかった! だが姫様からの言葉はしっかり傾聴したまえ!」
ケイの言葉に一瞬で静まり返る。里の民のサヤへの尊敬の念が感じられて、やはりサヤは姫なんだなって思っていたら、隣に座るサヤが戸惑いの表情を浮かべていた。
「え、わたし?」
「みたいだな」
「何も聞いてないんだけど!?」
「そりゃサヤを驚かそうっていう企画だし」
あわあわしているサヤの様子は会場からも見えているがそれで民の信頼を失うことはなく、むしろ皆が同じ事を思っていた。曰く
(うちの姫様が可愛すぎる)
老若男女問わずほわっとした表情を浮かべていた。それを見た結弦は姫というよりアイドルって感じだなぁとあわあわしているサヤを他人事の様に見ながら思った。するとサヤは決心がついたのか簡易的に作られた壇上に立つ。
「此度、里は危機に瀕していました。それもわたしの力が至らなかったせいです」
サヤを励ますような言葉がそこかしこで飛び交うがサヤは手で制す。
「ですがわたしの巫女守が里の危機を救ってくれました」
そう言うとサヤは手を結弦の方に向ける。結弦は嫌な予感がしてサヤを見るととてもいい笑顔をして言った。
「今回の功労者は全てわたしの巫女守であるユズルです。わたしは何もしていません。ですので後はユズルに任せます」
(何意味分からないこと言ってんのこの娘!?)
それっぽく言おうとはしているが結局のところこの場に合う台詞が思いつかないから結弦に丸投げしようという魂胆が丸見えだった。だが里の民達はサヤの言葉で結弦の事を英雄の様に見ていた。してやったりという表情をするサヤは壇上から降りると結弦に目配せしてくる。周囲の視線もあるため仕方なく壇上に立つとここに集まった人数の多さにめまいがしそうになる。
「えーと、正直俺もお堅いのは苦手なんで……サルバト!」
「は、はい?」
突然結弦に呼ばれてびっくりしたのだろう。素っ頓狂な声をあげたサルバトに問う。
「今日は無礼講って言ったよな?」
「ええ」
その言葉に結弦はニヤリと笑うと能力で即席マイクを作り出す。まだ魔術神経が過敏になっているのか一瞬頭がずきんと痛んだがすぐに気にならなくなった。
「というわけだ皆! 今日は無礼講だ! 飲んで食ってどんちゃん騒いじゃってくれ! 謝龍祭の前に思いっきり盛り上がろう! ケイ、音頭って俺がとってもいい?」
「え? ああ構わないが」
「それじゃ、我らが里に! 我らが竜に! そして……我らが可愛い姫様に!!」
「「「我らが可愛い姫様に!!」」」
「ちょっ!?」
結弦の音頭。その最後の部分で里に住む人間の心が一つになった。その日一番の唱和が響くとサヤは顔をボンッと真っ赤に染めた。やはり可愛いと言われるのには慣れていないのだろう。そんなサヤの真っ赤な顔を肴に里の皆は思い思いに飲み食いを始めた。
余談だがその唱和は帝国への帰り道であったレイの耳にもかすかに届くほどであったという
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「つっかれたぁぁぁ」
「本当だよ」
大いに盛り上がった宴も終わり主役である結弦とサヤは一足先に会場から追い出された。他の人たちは後かたづけがあるのでもうしばらくは二人きりだろう。
「ところで何でユズルは当たり前のようにわたしの部屋に来ているの?」
「ふむ。何故かと問われれば特に理由はな……いやあった」
「何よ……ってまさか!?」
結弦の笑みから理由を想像したサヤはさっと結弦から距離をとった。
「ほほう。理解が早くて助かりますなぁ」
「ちょ、ちょっと待って。先に言っとくけどわたしにもやれることの限度はあるからね?」
サヤはあらかじめ牽制球を投げるが結弦はそんなもの意に介さない。
「さて、どんなお願いを聞いてもらおうか……なんてね。そんなにひどいことを言うつもりはないよ」
「ほ、本当?」
サヤの表情は若干の怯えの色が浮かんでいたが、結弦の言葉に安堵した表情を浮かべる。そのギャップに一瞬嗜虐心が結弦の心に浮かんでくるも自重する。
「それじゃあ膝枕をしてもらおうか」
「へ? そ、それでいいの?」
結弦の言葉に肩すかしを食らった気分になるサヤ。正直胸を触られる覚悟はしていたサヤにとっては拍子抜けもいいとこだった。だがもちろんそれだけで結弦の要求が終わるわけがなかった。
「ただし! これに着替えて」
「へ?」
そう言い結弦が取り出したのはアニメに出てくるようなミニスカタイプの巫女服、しかも白ニーソつきという代物だった。
「な、なによこれ? 儀礼服……にしちゃ丈が短いわよ?」
「名付けて<|破邪の衣(虹巫女さん)>ささ、それに着替えて膝枕しちゃってくれよ」
「わかったわよ! やればいいんでしょ! 着替えるから外に出てて」
サヤはそう言うと結弦を部屋から追い出し着替え始める。部屋の中で衣擦れの音が響く。襖一枚隔てただけのところで美少女が結弦の為に着替えている。結弦は喉を鳴らした。
「き、着替えたわよ……」
サヤの震え声が中から聞こえ結弦は一度深呼吸をしてから襖を開く。
「ね、ねえ? やっぱりこれ短くない? そ、それに……した……」
サヤが震える声でぼそぼそと呟くが結弦の意識はサヤの姿に釘付けにされていた。見慣れたと思っていたサヤの巫女服も現代日本の紳士(変態)の幻想という力を得るとこうにも変わるものなのかと驚愕せざるを得なかった。袖が腋の部分で分離し二の腕の辺りで留められている。緋袴……否、緋スカートは膝上二十センチほどまであげられており、また白ニーソがサヤの神々しいまである太股を際だたせていた。
「ねえユズルってば」
「……はっ!?」
サヤの言葉に昇天しかけていた魂を取り戻すとサヤを見る。サヤはやはり照れがあるのか顔を真っ赤に染めて涙目を浮かべている。短いスカートが気になるのか先ほどから裾を下に両手で引っ張っているが、それが原因で胸が強調されてしまっていることには気づいていないのだろう。内股気味にしている脚は微かに震えている。
「……どう?」
サヤは潤んだ瞳で上目遣いに結弦を見る。サヤも着替える前までは可愛い服だと思っていたのだが、いざ着てみると羞恥心の方が勝ってしまう。こんなに恥ずかしい思いをしているのだ。生半可なほめ方をするようなら結弦の顔に拳を放ってやろうとサヤは思っていた。が
「綺麗だ……うん、すっごい似合ってる」
「っ!? あ、うんありがと……」
結弦の心からのほめ言葉であっけなく先ほどの決意は霧散していた。サヤが結弦の顔を見ると真っ赤になっている。目が合うと二人同時に目を逸らす。やや気まずい雰囲気が流れたが、サヤの方が吹っ切れたのか
「ほ、ほら。はやくこっち来てよ」
と結弦の腕を引っ張って縁側まで歩いていった。サヤは縁側に腰掛けると自分の膝頭をぽんぽんとやって「ん」と結弦を促した。
「えと……失礼しまーす」
結弦はサヤの隣に座ると、おそるおそる自分の頭をサヤの膝に倒していった。「んぅ……」とサヤの小さな吐息が漏れる。結弦の髪が肌に当たってくすぐったいのだろう。だが結弦にはそんなサヤの様子を伺うことはできなかった。
(な、なんだこれは天国か!? なんでこんなに甘い匂いがするんだなんでこんなむっちりもちもちなんだ!)
「太股なくして人生なし」というあほらしい格言を思いついてしまった程だった。
「これでいいの?」
「お、おう……」
サヤの方は大分落ち着いてきたのか、結弦の頭に手を乗せると優しく髪を梳き始めた。サヤの手の暖かさで結弦も徐々に平常心を取り戻していった。尤も、心臓は先ほどから高鳴りっぱなしだが。
「なんかばりばりする」
「そりゃ女の子の髪に比べたらなぁ」
「当たり前じゃない。髪は女の命なんです」
そんな風に軽口を叩けるくらいには両者とも落ち着いてきた。先ほどまでの宴の喧噪が嘘のように、この空間は静まりかえっていた。いつもなら風の音や虫達の合唱が聞こえるものだが、今日はそれすらもない。どれだけ静かな時間を過ごしていただろうか。サヤが頭を撫でていた手を結弦の目の前に持ってくると、手のひらで目隠しをしてきた。
「サヤ?」
それに悪意が無いことはわかっているものの突然のことで驚いた結弦はサヤに声をかける。サヤはしばらく無言だったが意を決したのか静かに口を開く。
「今回は本当にありがとうね」
「そんなこと……」
「ううん、『そんなこと』なんかじゃないよ。結弦がいなかったら多分、今頃里はなくなってた。それが戦争にしろ俗州であろうと」
「……」
サヤの吐露を結弦は黙って聞いている。それが今の結弦の仕事だった。
「それに結弦はわたしを助けてくれた。だからありがとう」
「……改めて言われるとこそばゆいが、どういたしましてかな」
結弦の頬に暖かいものがぽつりと落ちる。それは次第に数を増し結弦の顔を流れていった。しばらくするとやがてそれはとまり、サヤの鼻をすする音がした。思った以上に響いたのが恥ずかしかったのかサヤは顔を赤く染めた。結弦が何かからかってくると思って身構えていたが、いつまで経っても反応がない。サヤが結弦を見ると結弦は幸せそうな顔で寝息を立ていた。
「まったく……」
そう呟くサヤの表情は空に浮かぶ月だけが知っているのだった。