第十八話
「んうぅ……」
小鳥の鳴き声や木々のせせらぎの心地よい音色に囲まれながら結弦は目を覚ました。一体自分はどれほど眠っていたのだろうか。そう思い瞼を開くと久しぶりに光が目に入り眩しく感じた。
「いわゆる目がぁー! ってやつだな」
目が光りに慣れるまでしばらく時間はかかったが視力は落ち着いてきた。すると気になってくるのは周囲の環境だ。結弦の記憶ではつい先ほどまでゴンボと戦っていたのだ。辛うじて勝利したことは覚えていてもその後の事が全く記憶になかった。辺りを見回すと見慣れた和室、つまり結弦の部屋だった。自分がここで寝ているということはどうにかなったのだろう。それを誰かに確認しようとして起きあがろうとした結弦の身体が言葉にならない痛みに襲われた。
「痛ぇぇぇぇ!?」
痛みで布団の上をのたうち回るがそれが更に痛みを加速させる。一人部屋で呻いていると結弦の声を聞きつけたのか、アヤカが部屋に入ってきた。
「まだ安静にしてないとダメですよユズルさん」
アヤカはそう言うと鎮静効果のある魔術を結弦にかけた。すると先ほどまで筆舌に尽くしがたい痛みだったものが我慢できる程度には落ち着いた。
「あ……ありがとうございます。もう少し遅ければ痛みで発狂するところでしたよ」
「全く、あなたはとんでもない無茶をしたんですよ、わかっていますか?」
アヤカの言葉にシュンとなる結弦。そんな結弦にアヤカは苦笑すると「とにかくまだ横になっていてください」と結弦を横たえた。おとなしく布団に寝転がると実家に帰ってきたかのような安心感を結弦は覚えた。
「あれからどうなりました?」
「そうですね……その前に傷の具合を見ても?」
結弦が首肯すると、アヤカは傷の具合を確認しながら話し始めた。アヤカの見立てではもう数日は寝込んだままだろうと予想していたのだが、想像以上に結弦の回復が早かったのだ。「失礼しますね」と一言断ってから結弦をコロンとうつ伏せに転がす。それだけで結弦の全身に痛みが走った。
「傷の方は大丈夫そうですね。後は能力行使の反動のようなものでしょう」
「というと?」
「慣れない魔力を大量に身体に流し込んで、身体中の魔術神経がかなり鋭敏になっているんです。なので動くだけでかなり痛むと思いますが時期に元通りになりますよ」
結弦の身体をさわりながらアヤカは言った。これが医療目的である触診とわかっていても軽く肌をなでられる感じが結弦には痛がゆく感じた。
「それじゃユズルさんが気を失った後の話からしますね」
アヤカはフェザータッチをやめると再び結弦をコロンと転がし仰向けにした。勢いよく転がり全身に激痛が走る。
「ったあああ!? ……アヤカさんわざとやってません?」
「はて? なんのことでしょう」
とぼけられた。自分が何かしただろうかと腑に落ちない結弦を華麗にスルーするとアヤカはいたずらっぽく笑うと結弦が気を失った後のことを語り始めた。
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「ちょっとユズル、利子ってそんなに多くないわよね? わたし変なことさせられないよね!?」
全身ぼろぼろの結弦の首が前後に激しく動くほどサヤは結弦の身体を揺すっていた。
「サヤ、もう結弦さん気を失って……」
「え? ……あ」
アヤカの言葉で気がついたのだろう。慌ててサヤが手を離したため結弦は強く頭を打った。今の勢いだとたんこぶくらいはできただろう。
「ああユズル大丈夫……ってこれだけぼろぼろになって大丈夫なわけないか。後はわたしのしごとだからゆっくり寝てて」
くすっと笑うとサヤはその場に結弦を寝かし、帝国の人間達がいる方に振り返った。その時には姫としての仮面を瞬時に身につけている。
「今いる皆様にどうか聞いていただきたい」
姫としての威厳を放つサヤの言葉に周りの人々は耳を傾ける。
「此度のゴンボ卿の所行、里としては断じて許すわけにはいきません。それは帝国もきっと同じでしょう。わたしの従者が竜化した部分のみを斬ったのでゴンボ卿、いえ、ゴンボの命までは奪っていません」
「何を言っている! そいつは殺すべきだ! 今すぐに!」
サヤの言葉に帝国の男は激昂した。帝国の法を破り、自分たちの命も狙われ、実際に少ない人が殺されたのだ、彼らがそう思うのも無理はなかった。
「いいえ、ゴンボを今殺してはいけない。彼は法で裁かれるべきです。今ここで殺したら彼に奴隷を売った奴隷商の情報がつかめなくなる」
「それは……」
「その通りです」
サヤと話していた男とは別の男が前に進み出た。彼の後ろには約四十人ほどの武装した集団が従っていた。男の風貌は二十歳前後の青年。金髪碧眼で整った顔立ちをしている。サヤの目測では結弦より頭一個分程慎重が高く、金属の鎧を動きが制限されない程度に纏っている。その男を見るや帝国の人々は彼にかしずいた。
「あなたは?」
「失礼いたしました姫君。私帝国の第二龍滅大隊隊長を勤めている、レイ=パターソン少佐と申します」
男-レイ-はそう名乗りサヤの問いに答えた。サヤはレイの腰にゴンボが持っていたものと同じ様な装飾をしている剣が帯刀されているのを見ると、途端に身体を緊張させた。
「それでいかがいたしましたか?」
「いえ、我らが見回りをしていた時に誰かが竜化した反応を捉えまして、様子を見に来たところこの現場に居合わせた。それだけのことでございます」
レイはにこやかにそう言った。
「どうやらそこにノビているゴンボ卿が……いえ失礼。その逆賊が姫に多大なるご迷惑をかけ、あまつさえ帝の顔に泥を塗った模様。つきましては此度の件を帝に報告ししかるべき処理を行いたいと思うのですがよろしいですか?」
レイの提案はサヤが持ちかけようとしたものとほぼ同じだった。
「それは勿論構いません。ですがすぐにというわけにもいかないでしょう。わたし達は一度里に戻ろうと思っています。改めて話し合いの場を設ける、ということでよろしいですか?」
「ええ、もちろん。ではお車を用意させます。あとゴンボの身柄はそちらに預けてもよろしいですか?」
「……ええ。構いません」
サヤはレイの言葉がこちらにとって都合が良いものばかりなのを疑問に思った。ゴンボから情報を聞き出す手段などいくらでもあるし、そのゴンボの身体を調べれば帝国の切り札とも言える竜化の仕組みが判明するかもしれないのだ。それなのにレイはゴンボの身柄を引き渡すという。腑に落ちない事もあるが、サヤは利点が欠点を勝ると考え了承した。
「お手数おかけします」
そう言うとレイは近くの隊員を呼ぶと車の手配をさせる。
「では後日使者を向かわせますので何卒よろしくお願いいたします」
「いえ、こちらこそ車の手配をしていただいて助かります」
固唾を呑んで二人の会話を見ていたアヤカとアイリは話しがまとまったのを見てほっと息をつく。サヤは姫としてまだまだ未熟であるため何かあればサポートしようと思っていたアヤカだったが、サヤの成長にうるっときていた。二人が帰り支度を手早くすませたのと同じタイミングで手配された車が到着し、皆で里に帰ったのだった。
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「といった事があったんですよ」
アヤカが語り終える頃には結弦は起きあがれるようになっていた。アヤカはもちろん驚いたが自分で納得したらしく話しを続けていた。いろいろ気になることのあった結弦だが、一番気になることをアヤカに聞いた。
「それでサヤは今どこに?」
「ちょうど先ほど帝国の使者がお見えになったのでその応対中ですよ」
「なら邪魔しない方がいいですかね」
結弦が遠慮がちに言うがアヤカは行った方がいいと言う。
「暴走したゴンボを止めたのは貴方なのですから会談に立ち会う権利は十分にあると思いますよ」
そういうアヤカの言葉に背を押され結弦は自室を出た。先の戦いで力を行使しすぎたのか、まだ頭が重く、足取りも若干ふらふらしていた。だが以前よりも感覚が鋭敏になり、今の結弦にはサヤがどこにいるのか把握できるようになっていた。
既に歩き慣れた廊下を進み目的の部屋に着くと、ちょうど話し合いが終わったのかサヤとアイリ、帝国の使者二人がヘヤから出てきたところだった。
「それではくれぐれも帝によろしくお願いしますとお伝えください」
「はい。確かに承りました。……そちらは?」
使者の一人、レイが結弦に気付くと興味深そうに結弦を眺めた。
「わたしの巫女守のユズルです」
「姫の巫女守……ということは彼がゴンボを?」
「ええそうです」
サヤの言葉に益々興味が出たとレイは結弦を見る。結弦は男にしげしげと見られて悦ぶ性癖はしていないため、レイがやめるまでやや不快に思った。レイはひとしきり見て満足したのかサヤに挨拶すると、もう一人の使者に帰る支度をさせる。そして廊下で結弦とすれ違う際に他の誰にも聞こえない声でぼそっと呟いた。
「君は強い。が、未熟だ。精々精進したまえ」
「っ」
結弦の肩をぽんぽんと叩く仕草はさながら兄と弟の様に他の者の目には映っただろう。だが結弦はそんな事を感じる余裕はなかった。肩に触れられた瞬間理解してしまったのだ。
(こいつには勝てない)
なぜそう思ったのかはわからない。強いて言えばゴンボが竜化したときと同じ、生物としての根源的恐怖が近いものだろう。唐突に、無慈悲に力の差を見せつけられた結弦は離れていくレイの背中を見送ることもできなかった。