第十四話
結弦は部屋に戻り出立の準備をしていた。といっても元々持ち物などないに等しく、せいぜい数日分の着替えを風呂敷に包む程度だった。
「突発的に思いついたことではあるけどもどうにかなりそうだな」
結弦は一人ごちると自分の左腕を見つめた。
(最初はすごい能力だと思ってたけど制限がいろいろあるから、頭を使わないとな)
そうして暇を持て余していると部屋に誰かが近づいてくるのが分かった。足音からして女性のものだが流石にそれだけでは誰が来るかは判断できない。そんなことを考えているうちに足音は結弦の部屋の前で止まった。
「どうした? 入らないのか?」
「むぅ……さっきの仕返ししようとしたのに」
そう言い部屋に入ってきたのはサヤだった。
「っていない!?」
だがサヤの目には結弦が映らなかった。『身隠しの衣』を使っているのだろうと思ったサヤは部屋に入ると中央で立ち止まり目を閉じた。すると結弦の呼吸音が聞こえた気がした。その辺りに向かって拳を握った右手を振りかぶると予想通りの位置から結弦が慌てて出てきた。
「ちょ、なんでわかったし」
「呼吸音と勘?」
「なるほどね。確かにこれを造る時には視線を遮るとしか能力を想像しなかったからな……って呼吸音は無理だろ」
結弦は脳内メモリーにその旨を記録した。
「それでどうしたの?」
「あ、いやえっと……」
結弦の至極当たり前の質問にしどろもどろになるサヤ。結弦がそのままサヤの返答を待っていると、意を決した様子でサヤが言った。
「結弦はわたしの巫女守でしょ? 巫女を……わたしを守ることがその使命よ」
「うん」
「だ、だから……その」
サヤはそこで俯き頬を染めた。座っていた結弦からはその様子が見えた。だがそれを指摘するとこの姫様のことだ、羞恥心で殴りかかってくるに違いない。そう思った結弦は静かにサヤが喋るのを待った。
「ん?」
「あぅ」
結弦から見られてるとも知らず顔をころころ変えるサヤを見ていると不思議と心が軽くなっていった。しばらくゆっくり呼吸をする音だけが部屋にあった。サヤは一度深呼吸をして落ち着いたのか顔を上げ結弦の目をまっすぐに見ると、姫としてと同時にサヤとして言った。
「必ず。必ず帰ってきて」
サヤの真摯な瞳に一瞬時が止まったかのように結弦は錯覚したがもちろんそんなことはなく、サヤが結弦の返事を待っていた。
「当たり前だろ。俺はお前の剣であり楯だ。必ず帰ってくるよ」
「約束よ?」
「任せろ」
結弦の力強い言葉に安心したのかサヤはくるりと踵を返すと
「じゃ、それだけ確認したかったから」
と言い部屋を出ようとした。が直前、言い忘れたことがあったサヤは再び振り返る。
「いってらっしゃい」
「おう。いってきます」
そう言い二人は笑いあった。
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それからの日々はサヤにとってあっという間に過ぎていった。結弦が出立して二日後、再びゴンボ卿との会談が開かれた。今回の会談はサヤがゴンボに嫁ぐかどうかの話し合いが行われた。
「してサヤ殿。いかが致しますかな? 里の者達の説得やらはできたのですかな?」
「まだ全員が納得した訳ではありませんが大旨の理解は得られたと思います。ただその納得していない者達を説得させる為にもいくつかゴンボ卿に協力して欲しいことがあります」
「ほほう。いかような?」
ゴンボ卿はサヤを試すように問いかけた。
「まず一つ。我々『龍の里の民』の自治権。属州になることはこの際致し方ないかと思います。ですが我々龍の里には我々の掟があります。これを認めてもらいたい」
「例えばどのような」
「そうですね。『里に生きる人々は互いを尊重し、敬い、助け合うこと』等ですかね」
「ほほう。それは誠に立派な掟でありますな。いいでしょうその人徳溢れる掟はさぞや帝もお喜びになるでしょう」
「もう一つは龍の保護です」
「それは以前にも言いましたが……」
「いえ、違うのですゴンボ卿。以前は光の龍が里にいる前提の話でした。ですが今のは帝国に保護してもらいたいというお願いです」
今までの話と違う事を言い出したサヤに戸惑ったものの、それを隠してその真意をはかろうとゴンボ卿はサヤに聞いた。
「ほう。それは関心ですな。しかしなぜそのような心変わりを?」
「帝国の属州になることは致し方ありません。なれば我々が帝国に属しながら里の民として生きるにはどうすればいいのか考えたまでのこと、それが里の自治権と光の龍の存続であったということです。我々は光の龍が存在していてくれればそれを守る民としての役割は果たせるのではないかと考えたのです」
「なるほど……この件に関しては私の一存では決められませんので一度持ち帰ってもよろしいかな?」
「それは勿論構いません。この二点を遵守していただけるならば、ええ喜んでわたしは嫁ぎましょう」
「……ほほう。その言葉に嘘はないのかな?」
聞きたかった言葉がやっと聞けたと心躍ったゴンボ卿だったがそれを表に出してしまってはせっかくの話が流れかねない。そう自制心をきかせ、ゴンボ卿は努めて冷静を保ち言った。
「ええ」
「わかりました。ならば帝に具申致しましょうぞ」
そう言うとゴンボは立ち上がり部屋を出ていった。ゴンボが機嫌良く帰って行くのを見送るとケイは不安そうにサヤに聞いた。
「本当によろしかったんですかサヤ姫」
「ええ、これで少し時間が稼げましたかね」
「ユズル殿に……ですか」
ケイの言葉にサヤは頷く。
「正直ユズル殿に今から何ができるのかという気もするんですがね」
「それでも今はユズルさんに頼るしか我々の……サヤの望む未来を掴む方法はないのでしょうね」
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後日、ゴンボから帝が条件を呑んだという事と式の日取りをこちらで提示する日で問題ないかという旨の書簡が届いた。結弦からの連絡がないのが不安要素ではあったがサヤはそれを了承した。
式の三日前、里に追加でゴンボからの書簡が届いた。その内容は要約すると『侍女は二名まで、護衛は帝国からの信頼を失いかねないからつけるな』という横暴なものだった。
「ここまでくるとゴンボ卿も勝ちを確信しているのでしょうね」
「サヤ姫さすがにこれは見逃せません。一人でも護衛を付けられるよう交渉しないと」
ケイが怒りを露わにサヤに言うが、アヤカが
「いえ、それでしたら私が従者ということでついて行けばいいでしょう。今事を荒立てるのは得策ではありません」
「確かにアヤカ様なら魔術が使えますが……」
それでもケイは渋った。
「大丈夫、きっとなんとかなる」
「ですが姫」
「大丈夫、ユズルは約束してくれた。だから大丈夫よ」
「……」
そういうサヤの表情はその言葉に縋っているように見えてケイは何も言えなくなった。
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式二日前。サヤはアイリとアヤカを伴い、帝国のゴンボ卿が治める領地へと出立した。ケイは最後まで同行しようとしていた。
「サヤ姫、やはり私を連れて行ってください!」
「ケイ。あなたには里の事をお願いしたいのです。わたし達が出ている間、里の皆を守ってください」
「姫!」
「これは龍の巫女としての命令ではなく、サヤ一個人としてのお願いです」
「……わかりました。ならば私は皆が帰る場所を命をとして守りましょう」
「ありがと」
「っ……」
サヤは最後に素の自分を見せるとゴンボ卿が手配した車に乗り込んだ。
「サヤ……」
アヤカはここ最近でサヤの笑顔を見たのはいつだったか思い出せなかった。それほど最近のサヤは笑わなかった。どうすればサヤが笑顔を取り戻せるか。その答えはわかりきっているのにどうしようもできない自分に腹が立つ。
(ユズルさん何をしているのですか。早くサヤを助けて上げてください)
そう思うことしかアヤカにはできなかった。
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「つきました」
竜車を操っていた女性が言った。ゴンボが気を効かせたとはアイリには思えなかったが、同性であることでいらぬ警戒をしないで済んだのは事実だ。アイリが竜車の扉を開けるとゴンボ卿が抱える侍女と思しき女性たちがサヤ達を出迎えた。その中の一人が一歩前に出ると
「サヤ姫様、また従者の方々、長旅お疲れさまでした。どうぞこちらに」
と言った。おそらく侍女のまとめ役といった所だろう。アイリはサヤの後ろを歩きながら、案内された宿を眺めた。格調高い宿なのだろう。調度品も豪華なモノを揃えているように見える。といっても素人判断ではあるが。そんな事を考えているうちにサヤ達は最も豪華な部屋に着いた。
「式は明日の正午執り行われます。といっても明日の式はお披露目の場という側面が強いものになります故、細かい儀礼は行わない予定であります。明日の九の刻より式前準備を始めますのでそれまでどうかごゆるりと」
そう言うと女性は一礼して姿を消した。アヤカが魔術的な結界をはる様を眺めていると、サヤが自分に視線を向けているのをアイリは感じた。
「どうかしましたかサヤ様?」
「あ、ううん。なんでもない」
「……サヤ様、ここなら私たち三人しかいませんよ」
「……大丈夫、本当になんでもないから」
「そうですか……」
アイリはその後もなんとかサヤに元気を出してもらおうとするも、努力が実ることはなかった。
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式当日。サヤはほとんど寝れていなかった。高揚からでは決してなく、寝不足から目元にクマができていた。このままではいけないと思ったサヤは広い庭に出ると目覚ましがてら散歩する事にした。といっても所詮は宿の敷地内にある大きさで、十分もしないで一周してしまった。一周したところでおもしろいものがあるわけでもなく、縁側に座った。
「昨日出されたお茶ぜんぜんおいしくなかったな」
ぽつりと呟く。
「ユズルのお茶を飲んでから誰が淹れてもなんか物足りないのよね」
嗚咽をこらえて呟く。
「ねぇユズル……わたし頑張ってるよ? 信じろって言われたから信じて待ってるよ?」
目に涙を浮かべ、それでもこぼさないように空を見上げた。空はサヤの心を映しているかの様な曇天で、今夜は綺麗な星は見れそうになかった。
「ユズル……」
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サヤが部屋に戻るとまだ陽も昇っていないというのに、アイリとアヤカはお茶を淹れて待っていた。
「サヤも飲む?」
「うん」
「飲んだら少しでもいいから眠りなさいな」
「そうですよ。サヤ様ほとんど寝てないでしょう?」
「……わかっちゃう?」
「ええ。サヤ様の美貌は全く衰えていませんが、それでもクマが少し目立っています」
アイリの言葉にはにかむ余裕が出たサヤは言葉に甘えて仮眠をとることにした。お茶を飲んで身体が温まったからか、今度は自然と睡魔がやってくる。その微睡みに身を任せるとサヤは眠りについた。
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「サヤ、時間です」
「ぅぅ……」
アヤカの心地よい声でサヤは目を覚ました。自分で思った以上に気持ちよく寝れていたらしい。
「クマは?」
「そうと知らなければ気づかない程度には」
「なら良かった」
言うとサヤは起き上がり就寝用の軽装から運んできた礼装に着替え始めた。昨日出迎えた侍女の数人が手伝いを申し出てきたが、アヤカがやんわりと断った。いつもより人手が足りない中の着替えではあったが時間内には終える事ができた。
「そういえばアイリは?」
「サヤがお腹を空かせているだろうと厨房を借りてお腹に優しいものを作ってるみたいですよ」
「それなら着替える前に食べたかったな」
「あら、私が食べさせてあげますよ?」
「大丈夫よ」
一眠りしたからかサヤは冗談を言い合える程度には落ち着いていた。しばらくするとアイリが小鍋を抱えて戻ってきた。
「あ、サヤ様もうお目覚めでしたか」
「ええ」
「寝不足のサヤ様でも食べやすいお粥にしてみました」
アイリの作った粥を食べ終わった頃に侍女長がサヤを迎えに来た。
「サヤ姫様はこちらに。従者の方々はあちらでお待ちください」
そう言うと侍女長は部屋を出た。サヤはその後をついて行く。
式の開始まで残り数時間であった。
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「ーーという流れで式は進みます。何かご質問ございますか?」
「いえ、大丈夫です」
「かしこまりました。ではお時間になりましたらお呼びいたしますのでもう少々お待ちください」
侍女長が姿を消すとサヤは一人きりになった。アヤカとアイリは何をしているのだろうか。そう気になりはしたものの確かめる手段がない。ぼーっとしていると何故自分がこんな所にいるのか分からなくなってくる。
「わたしは大丈夫。ユズルがきっとなんとかしてくれる」
しかしどうやって?
一度そう思ってしまったのが間違いだった。今まで平静を何とか保てていたのは結弦を結弦の言葉を無条件で信じ込んでいたからだった。それを疑ってしまったサヤの心は既に折れかかっていた。
(大丈夫。大丈夫じゃない。大丈夫。どうしてそう言える? ユズルがどうにかしてくれる。どうしてあったばかりの他人をユズルは助ける? 他人じゃない家族だ。そう思っているのはお前だけかもしれない。違う!違わない。)
この自問自答が悪手だとは分かっていても止めることはできなかった。結局侍女長が予備に来た頃にはサヤの心は疲れ果てていた。
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「ーーという取り決めのもと、龍の里は我らドラゴニア帝国の御旗の下に集う事を決意され、その友好の証として今日、我らが婚姻の契りを結ぶものとする」
サヤはいつの間にか式のまっただ中にいた。だがそれまでの経緯を覚えていない。式場を見渡すと帝国の儀礼服を纏った貴族達が退屈そうにしていた。見知った顔を探すとアヤカとアイリを式場の端で見つけた。二人とも落胆した表情をしている。
(ああ、そうか。ユズルは間に合わなかったのかな)
どこか人事の様にサヤは思った。この儀式が終われば宴を開き、夜には初夜の儀が待っている。もう何もかも手遅れならばいっそ早く終わってしまってくれとサヤは願った。
(心が壊れるのも時間の問題だろうな……それまではせめて)
サヤは終わりが来るまでを幸せな記憶で満たすことにした。
サヤの記憶に残る最初の誕生日。両親と姉が里を上げて盛大に祝ってくれた。何気ない毎日もとても幸せだった。だが幸せな記憶というとここ最近のできごとの印象が強かった。それもほとんどが結弦との思い出だった。数は多くないものの一つ一つの重さが全然違った。輝きが違った。それらを思い出すと、
「ーーという事を誓おう。さぁサヤ姫よ」
「……」
「サヤ姫?」
隣にいる誰かが話しかけていたがサヤの耳には届いていなかった。周囲がざわめく中隣の誰かが苛立ちを隠さずサヤの耳元でいった。
「何をしている。ここで誓いをしなければ帝国は里を蹂躙するぞ。それでもいいのか!?」
それでもサヤには届かない。温かい思い出に満たされたサヤは自分の愚かさを恥じた。
(何悲劇に酔っているんだわたし。勝手に諦めるな! ユズルは、わたしの巫女守は言った、信じろって。ならわたしがユズルを信じないでどうする! 根拠もなにもあったものじゃないけれどそれでも!)
隣の誰か-ゴンボ卿-はしびれを切らしたのか何か短剣型の魔道具を手に持っている。恐らくは心を操る類のものだろう。それに気づいたサヤはどうにか避けようとするが、体格さもあり捕まってしまう。周りから見ればふらついたのを助けたようにしか見えなかった。ゴンボがニヤリと笑いその短剣を刺そうと--
「詠唱破棄! 無銘短剣!!」
式場に高らかに響いた声を聞いたサヤは涙が溢れた。声の主はその手の短剣をゴンボに向かって投げつけた。するとその短剣は寸分違わずゴンボの持っていた短剣を弾きとばした。式場をゆっくりと、だが堂々と歩く少年に儀式の見届け人達は道を譲っていた。やがてサヤの前にたどり着くと片膝をつき言った。
「遅くなってごめん。待たせた?」
その少年-結弦-にサヤは
「すっっっごい待ったんだから。帰ったらお仕置きが必要かしらね」
と涙を流しながらも精一杯の笑顔を見せた。