第十一話
「ごちそうさまでした」
「おそまつさまです」
結局戻ってきてからサヤとは出会えずじまいだった。来たのはアヤカだけでそのアヤカも結弦に謝罪の言葉を伝えると二人分のお膳を持って部屋に戻ってしまった。元は一人での食事だったが最近では誰かと一緒に食事をすることが当たり前になりつつあったので、いざ夕食をとろうとしてもなかなか箸が進まなかった。それをみかねたアイリが一緒に夕食をとってくれたのだった。
「いいですか? 本来侍女である私がお客人である結弦様と一緒の食卓を囲む等ということは許されることではありません。これっきりにしていただかないと」
「う……って待て。それだったらさっきの夜這いはなんだったんだ」
「あれはあれ、これはこれです」
「……まいいや。で、話の続きなんだけど」
結弦がそう言った頃にはアイリは襖に手をかけ出て行こうとしていた。
「ってどこ行くんだよ!?」
「どこって姫とアヤカさんのお膳を下げに行くんですけど」
「あ、ああそうだよな。アイリは侍女だったな」
「私をなんだと思ってるんですか……てかいつのまに呼び捨てになってるんですか? 私の方が年上ですよ! 多分……」
「いや、俺が敬語を使うのは敬うべき人だけであって年上だから敬語使うって訳ではないから」
「私は敬うに値しないと!?」
「さっきも言ったが痴女はダメなんで」
「ぐぬぬぬ……っと遊んでる場合じゃありませんでした。ではもうしばらく待っていてください」
そう言うとアイリは今度こそ結弦の部屋を出た。一人残された結弦はかなり高い位置に昇った月を縁側に座りぼんやりと眺めていた。気候的には夏に近いといっても夜にもなるとひんやりとした空気が結弦を包み、食後で眠くなっている頭をすっきりとさせた。
(というか今日眠くなりすぎじゃないか?)
思い当たる節もなく不思議に思っていると戸が開く音がした。アイリが戻ってきたのかと思い振り向くと、そこに立っていたのはアイリではなく普段よりも軽装のサヤだった。
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「……」
「どうかした?」
部屋に来るなり黙り込んでしまったサヤに結弦はどうしたものかと頭をかいた。
「えーと……お茶でも飲む?」
こくり
「……了解」
サヤが頷いたので結弦はお茶を淹れ始める。何をしにきたのかわからないが先ほどと同じようにお茶でも飲めば少しは話しやすくなるだろうという楽観的な考えからの提案だったがどうやら正解だったらしい。
「ほい。まだちょっと熱いから気を付けて持てよ」
「うん」
お茶が入った湯飲みを受け取るとサヤは一口飲む。ほうと一息つくと少し表情が緩んだように結弦には見えた。
「で、どうしたよ」
「もうちょっと待ってくれてもいいじゃない」
そう言うサヤの言葉には覇気がない。目も若干赤く、どこか疲れているようにも見える。また一口お茶を飲むとぽつりと口を開いた。
「その……さっきはごめん」
「……」
「心遣いはうれしいの、けどこれは里の……私の問題だから」
「俺は里の一員になれたと思ってたけど違うのか?」
「そんなことは……」
「じゃあなんで何も言ってくれない?」
「……」
そう言うとサヤはまた黙りこんでしまう。それでも結弦はまとまったかっこいい言葉ではないとわかりつつも、自分の思いを正直にぶつけた。
「確かに出会ってからそんなに時間も経ってないさ。役に立てないかもしれない。けどさ、俺だってグチを聞く事くらいはできるぜ。というか俺にしかできないと言っても過言じゃないね」
「……どうして」
「俺はお前を特別だとは思わないから」
「……」
「俺はお前が巫女としてどんなすげーことをしてるか知らない。どれだけ偉いのか知らない。俺が知ってるのは俺の淹れたお茶を飲んで「おいしい」って言ってくれる、俺を少しは信用して一緒に昼寝してくれるサヤっていう一人の可愛い女の子だけだよ」
「なっ……」
サヤは結弦の言葉を聞き耳まで真っ赤になった
「あ、顔真っ赤になってる」
「ゆ、ユズルがそんな恥ずかしい事をそんな真顔で言うからでしょ!?」
「そう? 俺は事実を言っただけだけどね」
「は、はぁ?」
「サヤ可愛い。可愛いな〜あー超可愛い」
「な、ちょ……やめなさいよ!」
「え、なんで?」
「私が恥ずかしいのよ!」
「サヤが恥ずかしがる。ムキになってるサヤ可愛い。俺うれしい」
「やめろと……言ってるでしょぉぉぉ!!」
「元気なパンチが飛んできて良かったですっ!」
サヤの右アッパーで的確に結弦の顎を捕らえ、結弦はきれいな弧を描き地面に叩きつけられた。少し調子に乗りすぎたかと思い謝ろうとした結弦に追撃をかけるかのようにサヤがダイブしてきた。結弦の上に馬乗りになり拳を握りしめるサヤに結弦は諦めの境地に達し目を閉じた。が、いつまで経ってもその拳が振り下ろされることはなく、結弦は恐る恐る目を開くと顔真っ赤になって目に涙を溜めているサヤが映った。
「サヤ……」
「一回しか言わないから……」
そう言うとサヤは結弦の胸に顔をうずめ、
「……ありがと」
と確かにそう言ったのだった。
結弦は感謝された照れをごまかそうとサヤの頭に手を伸ばした。が、それを鋭敏に察知したサヤは勢いよく飛び起きると結弦から距離をとった。余談だが結弦の腹に座っていたため起きあがるとき結弦を踏みつけ、結弦はうめき声を上げたのだった。
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「ふぅ……とりあえずは若い二人に任せても問題なさそうですね」
「そうですね。もし結弦さんがサヤに手を出していたら自制心が効いたかどうか定かではないですけど」
「アヤカ様、笑顔なのに怖いです」
「気のせいですよ」
「そ、そうですか……」
「おっと二人してお散歩にでも行くんですかね?」
「ってこっち来てます! 早く隠れないと!」
「別に隠れなくてもいいと思いますが……」
「若い二人に任せるって言ったのアヤカ様ですよね!?」
「はいはい。行きます行きます」
「もう……シスコンも大概にしてほしいです」
「何か言いました?」
「いえ何も!!」
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「んで何で外出なきゃいけないのさ」
サヤに連れ出された結弦はどこに行くのかも聞かされておらず、前を歩くサヤについて行くしかなかった。サヤも行き先は教えずずんずんと進んでいく。
「一応理由がまったくないわけではないんだけどね。ただ驚きがあった方がおもしろいかなって」
「ふ〜ん。ま、いいよ。どこへでも連れてってくれて」
「もうちょっと期待してくれてもいいじゃん」
結弦の関心があまり向いていないのでサヤはつまらなそうな表情をする。今までは姫としての最低ラインを守っていたが、結弦の前ではそれがいらないとわかってサヤは自分を素直にさらけ出せていた。一方結弦は
(なんだこの可愛い生き物)
と内心悶えているのを悟られないように素っ気なくサヤのことばに対応していた。
しばらく歩くと結弦も見覚えのある小高い丘についた。
「というわけでさっきのやり直し」
前を歩いていたサヤが振り向くとそこには年頃の少女らしい笑みが浮かんでいた。
「自分で言うのもなんだけど私の愚痴は長いよ?」
「それでも聞くって言った」
「ありがと。じゃ……」
サヤは地面に座るとその隣にぽんぽんと手を叩いている。
「……隣同士はなんかアレなんで背中越しでもかまいませんか?」
「なによそれ」
サヤはくすっと笑い結弦に背中を向け座り直す。結弦も少し距離をとって座ったがすぐにサヤの方が距離を詰めて、自分の背中を結弦に預けた。
「何から話そうかな」
そうしてサヤは語り始めたのだった。
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「ふむふむ。つまり最近帝国が活発に龍退治を行っていると。んで里としては全面抗争もやむなしって感じだけど、最近龍は謝龍祭の時位しか姿を見せないから、龍を戦力として数えられるかは微妙。しかも謝龍祭までは後数日。その隙にゴンボ卿とやらが里にちょっかいを出してきて、しかも帝国側としてそれなりの権力があるみたいだから無碍にはできないと。で、そのゴンボ卿とやらが言うにはサヤが嫁に行けば全面抗争の回避を帝に具申しても良いと。それでサヤは姫としては納得しているけど個人的には里の危機に来ない龍にイライラするし、下心丸出しのゴンボ卿の所に嫁ぐのもイヤだと。それで姫としての自分とただのサヤとの板挟みになってしまったと」
「……私の愚痴をまとめてくれてどうもありがとう」
「痛っ!? なんでつねるってかわき腹はやめれぇぇぇ」
「ふんっ」
背中越しにサヤがそっぽを向いたが、結弦はつねられたわき腹の痛みに気を取られていて気づかなかった。
「でもそれだったら簡単じゃん」
「え?」
「さっき風呂場で叫んでたどうしたらいいのって質問に俺が答えてやろう」
「ちょ、なんでゆ、ゆゆ結弦がそのことを知ってるのよ!?」
「俺って人より耳良いから。んで答えだけどもどうしたらいいのかってやりたいことやればいいじゃん」
サヤは結弦の言葉にぽかんとした。
「それができたら苦労はしないわよ。できないから困ってるの」
「いいからいいから。どうしたいか、どうなりたいか言ってみなって。言うだけならタダだし、聞いてるのは俺だけなんだから」
「……姫として里を守りたい。わたしはあんな奴と結婚なんかしたくない! そんでこんな時に助けてくれない龍に一言言わないと気が済まない!!」
はぁはぁと叫んで乱れた呼吸を整えるサヤ。知らない内に立ち上がって大声で叫んでいた。それを聞いた結弦は満足げだった。そして
「よっし!それじゃいっちょ頑張りますかぁ」
立ち上がり身体を伸ばしながら言う結弦に、サヤはぽかんとした表情を向けた。
「ん、どうした?」
「いや、頑張るって何を」
「サヤの願いを叶えること」
「無理よ」
「まぁまぁ俺に任しとけって」
「でも……」
「信じられない?」
「……」
サヤは黙るがそれは無言の肯定だった。サヤの願いを叶えるというのは里もサヤも両方とも帝国に渡さないということだ。そんなことをしたら全面戦争は免れないであろう。そうなったら龍の力を借りられるかわからない里が圧倒的に不利になる。それがわかっているからこそサヤは自分を犠牲にしようとしたのだ。
「じゃあサヤは姫として下僕に命じればいいんだよ。わがままを叶えなさいって。そしたら下僕がどんな無理難題でも可能にしてやるさ。だめだったら下僕が
責任をとればいい。ね?」
「……結弦、あなたを信じてもいいの?」
「任せてくださいよ姫」
結弦が答えるとサヤは姫の顔つきになり言った。
「汝ユズルは我が剣となり楯となることを誓うか?」
「命にかけて」
「なれば我が名龍の巫女サヤの名の下にユズルを我が巫女守とす」
そう言うとサヤから魔力のようなものが溢れ結弦に流れ込んだ。次第に左肩に熱が集まると幾何学的な龍の紋様が浮かんできた。
「えと……これ何?」
「主従契約の証。これで結弦はわたしと契約関係にある龍、つまり「光の龍」の力を一部行使できるようになったの」
結弦に聞かれたから当たり前の事を答えたと言わんばかりのサヤの態度に結弦は違和感を覚えた。
「ん? ひょっとして結構がっつりした契約?」
「当たり前じゃない。巫女守は巫女に仕え巫女を守る者。巫女の言うことには絶対服従だし巫女が死んだら運命を共にする。その代わりに巫女を守る力が与えられるんじゃない」
「……まじ?」
「さっきから何をそんな……ってひょっとして知らないで儀式の言葉を使ってたの!?」
結弦の態度にさすがのサヤも話の食い違いに気づいたようだ。
「まじかぁ」
「だ、だってあんなに真剣になってくれてたし自分を下僕って言ってたじゃない! そりゃ意思確認をおざなりにしたわたしもいけないけど、あんな誤解するようなことを言うユズルがいけないんじゃない!」
「いや、別に怒ってるわけではなくてですね?」
「……何よ」
サヤはキッと結弦を睨んだが、その結弦の顔には後悔などひとかけらも浮かんでいなかった。
「この巫女守っての誰でもなれるわけじゃないでしょ? サヤの特別になれたことがうれしくてさ……」
「誰が特別よ! まったくこんなのがわたしの初めての巫女守だなんて……」
「え、俺が初めてなの? 俺がサヤの初めてなのかぁ〜そうかそうかぁ〜」
「ちょっと、誤解されそうなこと言わないでよ!?」
夏の夜空の下、特殊な経緯で主従関係となった二人の狂騒がいつまでも続いていた。