被害
まるで刑事のような台詞を吐くので、
「セールスや宗教は一切受け付けていません。」
と、即座に扉を閉めた。
だが鍵を閉める前にぐわっと勢い良く開く扉。ドアノブを握りしめたままだった僕は、扉と共に外へと引っ張り出される。そしてその勢いは止まることを知らず、僕の顔面はバンッという凄い音を立てながら扉へ叩きつけられた。
「こんな事をしている場合では無いのだ。泥棒に入られた。至急、私の美術館へ来てくれ。」
此方の心配など一切してくれやしなかった。館長はその、泥棒が入ったという事で頭が一杯のようだ。それにしてもこの人がここまで狼狽える姿をお目にかかれると思わなかったので、少し得した気分だ。
僕はヒリヒリジンジンと痛む鼻を右手で摩りながら立ち上がり、我が城の扉の鍵を閉める。
「泥棒ですか。一体何を盗まれたのです?」
「来てみればわかる。ほら、早く行くぞ。」
肝心の盗まれた物を伝える事なく、背中をぐいぐいと押して急かされる。あの部屋に泥棒が盗みたいと思う物などあっただろうか。高価そうな物と言ったら鹿の生首オブジェか…だがそれを盗まれただけで館長はここまで必死になるだろうか。特別大切にしていた記憶も無い。ならば何だ。何を盗まれたというのだ。この疑問だけが、僕の足を早めた理由である。館長と同じく、僕は人の事など関係無しに自分の感情だけで動いた。実は似た者同士なのかもしれないとふと思ったが、直ぐにその考えは覆る。
「おお、変な方向に曲がっていなくて良かったな。」
僕の前を物凄い速さで走る館長が不意に首を此方に回して、自分の鼻を指差しながら言う。ああ、この人はこういう人間なのだ。ここまでうんと振り回されて来たが、一応心配はしてくれているのだ。地図を渡してくれた時といい、僕が珈琲を浴びた時といい。それは何処かひん曲がってはいるが、それが館長なりの心配の仕方なのだろう。僕は似た者同士だと思った自分に対して酷く恥ずかしい気持ちになった。
ドアノブ美術館に辿り着き、玄関で靴を脱ぐ。その時に気付いたのだが、館長はスニーカーを履いていたようだ。成る程、だからあそこまで速く走れたのだ。
「失礼します。」
中に入ると、扉だらけなのには変わりが無かったのだが何か可笑しい。何だろう。何処かいつもと様子が違う。間違い探しを見つけるように、僕は黙りこくって四方の扉を舐め回すように見る。すると、この違和感の原因は直ぐに発見出来た。
「ドアノブが無い、ですね。」
四方の扉全てが綺麗に平坦だった。
ドアノブが無いだけでこうも質素な見た目になってしまうのか。
だが、跡形もなく消え去った訳では無いらしい。ドアノブがあったであろう部分には、扉に取り付ける為の金具部分がそのまま残されている。その事から、手で回す部分のみが何者かによって切り落とされたのだと推測出来た。
「私が外へ新たな展示品を探しに行っている間にやられたらしい。私の愛すべきドアノブを盗むなぞ、何て恐ろしい泥棒なのだろうか。」
館長は、この世の終わりだとでもいうような、青白い顔をして頭を抱えてその場にしゃがみ込んでいた。その姿はとても小さく見え、何だかとても可哀想だと感じてしまう。
城を勝手にドアノブ美術館にされたとは言え、大量のゴミの始末などもこの人がしてくれたのだろう。それはとても労力を使うものだったであろう。ならば、僕は感謝の意を示さねばならない。そして今がその時である。と、自分の中の意見をまとめ行動に移す事とした。
「そんな小さなミジンコの様に縮こまっているなんて館長らしくないですよ。僕等で犯人を捕まえてやりましょう。」
館長はむう。と唸ると力無くゆらりと立ち上がった。
「戸締りはきちんとしていたのですか?」
「今日のことはしっかりと記憶には無いが、いつもは出かける際に鍵はかっちり閉めていたぞ。」
「鍵が閉まっていたとしたら、泥棒はどうやって鍵を開けたのでしょう…?」
「ピッキングだ。私もピッキングの技術は持ち合わせている。だがこいつは物凄く下手だ。シリンダーに証拠がたくさん残されていた。」
館長に僕が呼び出される前、もしかしてと思いシリンダー部分をルーペで凝視したらしい。その際に細かな傷が幾つか残っている事を発見したのだという。生気のない顔と声で話してくれた。引っかかるのはピッキングの技術を持っているという発言だ。館長は軽く言ったが、普通の人間はピッキングなんてものとは生涯無縁と言っていい。もしかして過去に泥棒をやっていた事があるのでは?と疑ってしまう。
「それにしても妙ですね。とても綺麗に切断されています。こんな簡単に分厚い物をここまで見事に切断出来るなんて有り得ません。」
「そうだな。普通は刃の方が負けてしまったり、摩擦による熱によって溶けてしまうだろう。」
いくら考えても結論は出なかった。このまま考えを巡らせていても始まらない。先に別の謎の方を考える事にした。
何故入り口のドアノブは残されたままだったのだろう。もし館長を陥れる為の犯行なら、家に入る為のドアノブを切り落とすだけで良かったはずだ。だがそれをしなかった。そればかりか、僕達が部屋の中に入れた事から分かるように、入り口のドアノブは丸ごと残されたままなのだ。
「泥棒は何を思って入り口のドアノブには手を付けず、室内のドアノブを盗んだのでしょう。そもそもまだ全ての部屋は見れていないので、他にも被害があるのかもしれませんが。」
「泥棒の心理なんて皆目見当が付かんよ。被害範囲は知っておかねばならないな。これ以上被害が大きくなければいいのだが。」
館長は目を瞑り顎に手を置いてなんだか探偵の様な素振りをしていたが、如何見ても格好、白衣の所為で研究に明け暮れる教授の様にしか見えなかった。
「被害範囲を確認する為にもまずはこの扉の先になんとかして入らなければなりませんね。問題はどうやって入るかですが…」
「扉を直してから中に入るのは手間がかかりすぎるな。私は別に扉だけには興味はないから、破壊して中に入るのがいいと思うのだが君の考えはどうだ。」
「僕も同じ考えです。盗まれてからどれ程の時間がかかったかは判らないので断言はできませんが、まだ中に犯人が居るかも分かりません。それに、館長は被害範囲の把握もしておきたいでしょう。ここは一刻も早くこの先の状況を確認すべきだと思います。」
先に進めば何か解決の糸口となるものを発見できる可能性もある。意見の一致もしたし、そうと決まれば善は急げ。と、僕達は早急に行動に移す事とした。
肩から突進しようと体制を整えると、それではいけない。と館長に阻止された。
「それだと体を痛めるし、扉を破壊できる確率は低い。無駄に体力を消費するだけだ。扉で一番脆いのは鍵穴付近。よって、鍵穴のすぐ横を蹴る事が一番良い方法なのだよ。」
気付けば先程のミジンコのような館長は消え、いつもの館長に戻っていた。
「流石は館長殿。そんな知識まで持っているんですね。」
「小馬鹿にした呼び方はやめたまえ。鼻にトドメを刺すぞ。」
「まあまあ。では二人一気に鍵穴付近、左右の扉を蹴りますか。」
「それが良いだろう。間違っても私の足を蹴るなよ。」
「館長こそ、僕の鼻を蹴らないでくださいよ。」
「うむ、精進しよう。では神崎君、掛け声を頼む。「せーの」の”の”で一気に蹴破るぞ。」
「分かりました。…せーの!」
僕の掛け声を合図に、館長と共に扉に向かって蹴りを入れる。
僕はそうは言っても映画やドラマの様に簡単に扉を破る事は出来ないだろう、おそらく数回は蹴らなければならないだろうと思っていたのだが、そんな僕の考えを他所に、扉はいとも容易くメキメキと地鳴りをあげて開いた。