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不運の象徴

「何です?そんなにかしこまって。」

白衣を(なび)かせながら、回転式テーブルに腰をかける館長。

「ずっと気になっていたのだが、君がホームセンターで握りしめていたドアノブ…もしかして何か困っているのではないか。」

腰をかけた拍子にカチャリと揺れたカップを横目で気にしつつ、僕のズボンのポケットを指差して言う。


「ああ、これですか。これは僕の人生の中で史上最強な不運の1日が終わり、さあ風呂に入ってすっきり寝ようと家に入ろうとした際に何故か根元からボッキリと折れてしまったものです。大変困った事になりました。」

そう言いながらポケットに手を突っ込む。そしてその中からあの無残な姿に変わり果てたドアノブを取り出し、回転式テーブルの上に置く。このドアノブは、僕の今日一日の不運の象徴とも言えるし、目の前のこの男に出会ってしまった原因とも言える。それを手に取りまじまじと観察する館長。


「それじゃあ君は家に拒否されたのだな。そんな不運を持ち帰ってくるなと。」

館長の口から出た言葉は、僕にとって奇想天外なものだった。そんな思わぬ言葉に、暫し開いた口が塞がらなかった。

「そ、そんな殺生な。家に意思があるというのですか。」

「無いとは言い切れぬだろう。自分の中に不運な人間が入って来ようとしたら、君はどうする。自分にまで不運な出来事が起こるかもしれないと叩き出すのでは無いか。」

「何を言いいます、僕はそんな酷いことしません。」

「果たしてそれは君の本心か。自分を良い人間に仕立て上げ、仮面を被っているのでは無いのか。」

「な、何故そんな事が言えるのです。」

僕は焦っていた。気持ちの悪い脂汗が額から頰、顎へと流れ落ちる。そもそも何故僕は今こんなにも追い詰められているのだろうか。家に拒否されたなどという絵空話から、如何して僕が追い詰められることになった。相手のペースにうまく乗せられているのか。なんとかこの流れを断ち切らねば。


「何故そんな事が言えるか。それはこの世に毒されて自分でも気づかぬうちにそうなっている人間が多いからだ。」

僕はこの男の矛盾点を見つけ出した。ここぞとばかりに攻めこもうと思う。フッと鼻で笑ってから、探偵のように自信満々に上から目線と決め込む。


「まるで今までそういう人間を見てきたかのような口振りですが、最近の記憶が無いのに何故それが分かるのです。」

「おや、何故だろうな。私自身も気付いていなかった。もしかしたら、君というキッカケがあった為に何か脳が思い出したのかもしれんな。そこは感謝をしなければならないな。」

こうもあっさり認められるとは思っていなかったので度肝を抜かれた。そして、自分が恥ずかしくなってしまった。僕は感謝をされるべき人間ではないと。黙り込んだ僕に少し首をかしげるも、館長の口は止まる事を知らない。


「…それで、実際のところどうなんだい。君の先程の言葉は本当に君自身の本心なのか。」

とても鋭い、何もかもを見透かすような眼で館長は言う。ずっと見ていたら吸い込まれてしまいそうで、僕の脳内は恐怖という一つの感情によって支配された。今まで真剣に考えた事が無かったが、これが僕を見つめ直す良いキッカケなのだろうか。そう思ってしまうくらいに、館長の表情や声、場の空気全てが真剣なものであった。僕は呑まれてしまったのだろうか。家の気持ちを考えるなんて、今までの僕の人生の中では異例の事である。


ふうと息を吐いてから、静かに目を閉じる。


さて。不運な人間が僕の中に踏み込もうとしてくる。そんな状況に陥ったら一体僕はどうするのだろうか。まず、僕の家の状況を思い出す必要がある。玄関を抜け、部屋に入る。ろくに掃除もせず散らかり放題の室内。台所には生ゴミの日を何周も逃し、異臭を放つ袋が幾つも溢れかえっている。他の部屋もまた、飲み干した空き缶やペットボトル、コンビニ弁当のゴミの山で溢れかえっている。少し探せばテラテラと黒く光る嫌われ者がわんさかと出てきそうな場所である。そんな中に不運の塊が癒しを求め入ってこようとする。そんな人間に、僕は簡単に癒しを提供してやるだろうか。否、しないであろう。今までろくに感謝もしてこなかった癖に、平然と癒しを求めるなど甘ったれている。


ーそこまで考えて、僕は目を開く。

館長はこの間に二杯目の紅茶を淹れていたらしく、カチャカチャとカップを揺らしながら再び生まれたての子鹿のように此方へ向かってきている途中だった。


「館長。少し考えました。そして、結論が出ました。本心の僕は、確実にこのドアノブのように叩き出しますね。」

無事に紅茶を運び終えた館長は、此方を見てにやりと口角を上げた。

「やはり君は素晴らしい。私が目を付けただけある。」

この男は本当に意味の分からないことばかり言う。真意が分からない。如何して僕に目を付けたのか。それは何時か。そして何故あんな事を真剣に考えさせようとしたのだろうか。人の性格を表すときによく聞く言葉だが、敢えて僕も使わせて頂こう。この男はまるで掴み所のない、雲のような人物である。そして、どんなものも飲み込み我が物としてしまう。好き勝手に漂い、呑み込みながらも、ひたすら風に乗り自由気ままに流れていく。そんな自由奔放な雲を立ち切る事など普通の人間には出来ないのだ。



館長は「どっこいしょ」とジジ臭い掛け声を上げながら回転式テーブルでは無く僕の隣に座った。鈍い音は残念ながらしなかった。それから、「さて。」と足を組みそこに肘を乗せ頬杖をつく。そしてまたにやにやと怪しい笑みを浮かべながら僕の方を見て言葉を発する。

「それが分かったところで君はどうする。今更謝られてももう遅いと突き返されてしまうのがオチであろう。」

「それはそうですね。今まで蓄積されたものは、どんなに謝られてもそう簡単に無いものには出来ないでしょうしね。」


館長は、そうだろうなと目を閉じながら頷いた後、静かに目を開きながらまた、にやりと怪しく口角を上げた。

「神崎君よ。そこで私に一つ、良い考えがあるのだが聞いてくれるかね。」

「良い考えですか。それは私と館長の利益は平等のものですか。そしてその笑みの理由は何ですか。途轍もなく嫌な予感がしたのですが、それは僕の予感違いでしょうか。」

「それはなんとも言えないよ。(ひとえ)に平等と言っても、私が平等だと思っている事が君にとっては平等では無いのかもしれないし。笑みは…まあ、聞いてみてのお楽しみってやつだ。」


「すみません、少し時間をください。」

「ああ。それもまたいい方法だ。何か求められても、すぐに決めなければならないという決まりは無いのだからな。それに今すぐ決めろとは私は一言も言わなかった。君は正しい。」

館長は深くうんうんと頷き煙管に葉を詰める。

それから火をつけ、気持ち良さげにぷうーと長く煙を吐いた。それは一つの龍のようにうねりながら上へ上へと登る。そして天井に散りばめられたうちの一つの扉にぶつかると、四方八方に散っていった。たった一つの扉にバラバラにされてしまうとは、なんとも脆い龍である。


「館長は、なんだか館長という概念が無いように見えます。そこで、まず館長の考えを聞く前に、貴方という人間を知りたいと思うのです。」

「私にとって、神崎君も神崎徹という一つの絞られた者には見えては無いよ。それは人間誰しも当てはまる言葉であろう。矛盾をなくそうとしてもどうしても出てくるものであるし、自分を一つの者として拘束するのはとても大変なことだ。様々な性格、思考、感情で複雑に絡み合って出来ているのだよ。人間という生き物は、そんな面倒臭い、概念なんてものが無い生き物なんじゃあないか。」

「 それでは私も館長も面倒臭い人間ということですね。」

「そうなるな。だがそこがまた面白いのだよ。面倒臭い人間同士が関係を築く時、新たにより一層面倒臭いものが生まれる。それは、可笑しなことにとても面白きものなのだ。」

「では私と館長のこの不思議な関係も、面倒臭くて面白きもの、なのですね。」

「そうだ。そして私と君が出会ったことで、私は記憶の一部を思い出す事が出来た。これは私一人では成し得なかった事だ。その御礼として、考えを提供しようと君に提案した訳だ。」

二杯目の紅茶を飲み干しながら眼鏡をクイっと上げて柔らかな笑顔で言った。本当にこの人は僕に感謝をしているようだ。そう思うと、この人の考えを聞いてみたくなった。


「館長。先程の良い考えとやらを一つ、聞きたく思います。」

「おや、聞いてくれるかい。意外と時間がかからなかったね。」

「もしかして、想定通りなんじゃないですか。」

「さてそれはどうかな。」

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