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ドアノブ美術館

男に流されるがまま、ホームセンターを出てドアノブ美術館とやらへ向かう。この辺りは田舎なので外灯が全く無く、途中コンクリートが盛り上がっていたりと足場も悪いので足元に細心の注意を払わなければならない。

だが僕の前を歩くこの男は、カランコロンと下駄を鳴らしながら陽気に鼻歌を歌い後ろ歩きをしている。なかなかの強者である。


「なあ青年よ、この道のりを黙って過ごすのも勿体無いとは思わんか。」

「いえ、転ばないように足元を見ているだけで精一杯ですので。」

「どれ、一つドアノブ討論などしてみないか。」

「僕は結構です。遠慮しておきます。」

「まず私からだな。さて、どの話をしようか…。」

どうやらまだ僕の声はこの男に届いていないようだ。全くこの人は自由奔放にも程がある。その両耳は何の為に付いているのだと問いたい。


「ああそうだ。ひねるタイプのドアノブについて語ろうか。あのタイプのものの魅力は、ひんやりとした冷たさ、つるんと円を描いたフォルム、開けるときの冷たいガチャリという音にあると思うのだ。特に古いアパートなんかのドアノブは、そこに更にギィという使い古された音が加わって哀愁を感じる、実に素晴らしい。そして手首を捻るというのは日常生活であまりしない事だろう。良い手首の運動になるところもまた魅力の一つだと思うのだ。」

いやはや流石愛好家と名乗る程の者。両手を忙しく動かしまくり唾を飛ばしそれはもう情熱的に語ってくれた。だが僕には何故そこまで情熱的になれるのか理解が出来ない。


「そうですか。僕にはよく分からない話です。」

「何、君は愛好家ではなかったのか!」

男は騙された!という顔をしたが僕は騙してなどいないし勝手に勘違いしたのはこの男である。

「最初に言いましたよ。貴方は聞く耳持たずといった様子でしたが。」

「うむ…そうであったか。でもまあ美術館へ行けば自ずとその魅力に虜になるだろう。言うなれば君は愛好家予備軍だ。おっと、あと少しで目的地に到着するぞ。」


愛好家予備軍、その単語はおそらくこの世界にいる誰しもが当てはまる言葉であろう。するとこの男の標的になる者は何億万人と居ることになる。その中で何故僕が選ばれてしまったのか。神の悪戯だろうか。何にしても、全くもって迷惑極まりない。




「さて、着いたぞ青年。」

暗がりの中におどろおどろしく(そび)え立つ、まるで廃墟のような佇まいの二階建てのアパート。チカチカと元気無く点滅する常夜灯が、より不気味さを増幅させている。更にパチンパチンと虫達が集まって息絶える音が響き渡る。自分は肝試しにでも来たのだっけと頭がおかしくなってしまいそうになる。もう帰りたい。そう思った。人差し指でちょいと押したらドミノ倒しのように一気に崩れそうなボロアパート。こんな場所が美術館であってたまるものか。だが他に目立った建物は無い。それでも信じられない僕は、館長に問う。


「すみませんが美術館とやらは何処にあるのです。全くそれらしい建物はありませんが。」

「君の目の前にあるだろう。」

「もしかして、このボロアパートが美術館だなんて言わないですよね。冗談きついですよ。」

「冗談なんか言ってないぞ。此処が正真正銘、我がドアノブ美術館だ。」


もうこうなってしまうと帰りたさに拍車がかかるのも仕方の無い事だろう。意味が分からないし”我が”という事はこの男の自宅か何かなのだ。今すぐにこの場を去りたい。だがこの場から猛ダッシュで逃げたとしても、家には入れないのだ。

深呼吸をして精神を落ち着かせる。とりあえず、恐怖心からか突然にトイレへ行きたくなったのので、中に入ってみることにした。まずはこの尿意を何とかする事から始める。後のことはその後の僕に任せる作戦だ。


「こっちだ。」

男に案内され付いて行くと、二階建てのボロアパートの一階、101号室というプレートの横に汚い文字で”ドアノブ美術館”と書いてある場所があった。おそらくこれは油性マジックで書かれているのだろう。しかし美術館と呼ぶには程遠い場所である。足元を見ると、人間に不快感を与えるものがごろごろと転がっている。よくボロアパートや団地で見かける光景であるが、どうも僕は何歳になってもこればかりは苦手である。入る前からこれなら、中に入るのは相当な覚悟が必要だ。



「少し待て、鍵を開ける。」

ジャラジャラと複数の鍵がぶつかり合う重たい音が聞こえたのでちらりと横目で見ると、男の両の手にはとんでもない数の鍵があった。

「ちょっと待ってください。その中から探すのですか。というかそれ何個あるんですか何の鍵なんですか。」

「大丈夫だ。私は全ての鍵とドアノブの組み合わせを覚えている。これは全て美術館にある物の鍵だ。ざっと70くらいはあるかな。」

このボロアパートに70ものドアノブがあるというのか。壁に取り付けられた無数のドアノブを想像したが、それならば別に鍵は要らないだろう。そう考えると、途轍もなく嫌な予感がするのは僕だけであろうか。


嫌な予感に押し潰されそうになっていると、ガチャリと鍵が開いた。もう駄目だ。戻れない。僕はごくりと生唾を飲み込み、覚悟を決めた。

「さあ、入りたまえ。此処が由々しきドアノブ美術館である。」

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